第2部 南仏編

レモンの街

 パリから動脈のように主要地を結ぶ高速鉄道TGVの旅を、コンフェッティは楽しんでいた。

 メトロとは違って、乗り心地のよいシートに身を沈めていられるのも気に入った。さらに、サービスが良いことにも、気を良くしていた。

 TGVには、軽食や飲み物を扱うバー車両がある。コンフェッティは先ほどひやかしに行ってエスプレッソを注文したのだが、渡されたコーヒーカップを受け取って立ち去ろうとしたところを呼び止められた。

 不機嫌さを包み隠さずに向けたコンフェッティに向かって、店員は、ウインクしながら「忘れ物」と、ビスケットを手渡してくれたのだ。ここでは、エスプレッソにはビスケットがつくものらしい。

 カフェでは大抵、コーヒーを頼むとチョコレートが添えられる。コーヒーとチョコレートはもちろん黄金のカップリングだが、シナモンの入ったキャラメル味のビスケットもまた乙なものだ。

 

 昼ともなれば、車内のそこここで、がさごそと弁当を広げる音が走行音に伴奏を始め、車内はチーズのもわんとした臭気に満たされる。

 振り返ってみると、つるりとしたスキンヘッドの男が、片手にゆで卵、もう片方にチーズを持ち、まさにかぶりつくところと目が合った。まるで共食いだ。

 この強烈な臭いの競演が、ミニュイにはなかなかキツいらしい。鼻先を両前足でごしごしこすり、逃れられないと知ると、眠ることに決め込んだようだ。


 ちょうどボックス席の向かいには、老夫婦が乗り込んできた。

 たいそう話好きな夫婦で、コンフェッティを巻き込み、今までの二人での旅について話して聞かせてくれた。旅先での食事をめぐる話は、コンフェッティの興味を大いにひいた。

 レモンの街に行くのだと話すと、老婦人がマントンのレモン祭りを観にいった思い出を語り、老紳士の方は、その時の食事の思い出を微に入り細に入り語った。


 マントン――?

 コンフェッティは、TGVのチケットを確認する。行先には確かに、そう記されている。聞きなれない街だが、そう発言するのは控えた。ミニュイがまた、地理もできないかと馬鹿にしてくるに違いない。コンフェッティは、老夫婦がにこやかに語る南の食事事情へ、笑顔で聞き耳を立てる。

 窓の外が明るい日差しに輝くパステル色の街並みになる頃には、コンフェッティはすっかり、太陽をたっぷりあびたレモンの魅力にとりつかれていた。


 ついには、どこまでも続く、地中海が姿を現した。

 TGVは、海岸に沿って走り、窓の外にシュロの木が増えるごとに乗客が少なくなっていく。

 乗換駅のニースで老夫婦と別れ、ローカル線でイタリアとの国境の町、マントンに降り立つ頃には、乗客は、ミニュイとコンフェッティだけになっていた。


 屋根付きのホームに、出口がついただけの、簡素な駅。

 それがマントンの最初の印象だ。

 線路の端には緑をたたえた山が見える。そして、背の高いシュロの木も。


「だれも、いませんね」ミニュイが、無人の駅を見回しながら、呟く。

「レモン祭りでも、バカンスシーズンでも、ないからな」


 駅前に大きな駐車場が広がるのを見る限り、この街にはこの季節、観光客をもてなすという発想はないと見える。通り過ぎてきた華やかな南仏の宝石のような街並みとは違って、ここでは生活の一部として駅が置かれ、住民のために鉄道が存在するようだ。


 コンフェッティは笑みを深めた。

「ミニュイ、知ってるか? こういう街っていうのは、何の変哲もない定食屋がとびきりうまいんだ」

「また食べ物のことですか。仕事のことも、そのくらいの積極性を持って考えてもらえるといいんですが」

「だってお前、この仕事、何が楽しみって、あちこちのうまいものを食えることだろ?」

「そういう発想だから、休暇のひとつももらえないんじゃありませんか。僕までとばっちりですよ」

「よし。あの店にしようぜ」

「ちょっと! 僕の話を聞いてるんですか?」


 コンフェッティが指差す先、黄昏に包まれた駐車場の向こう側で、電飾看板がきらびやかに光った。

 20世紀初頭に流行したような飾り文字で「終点ホテル」と書かれている。

 淡いローズピンク色の二階建ての建物。電飾看板の下に入り口があり、一階はレストランらしい。クリーム色の鎧戸になっている二階が客室なのだろうが、鎧戸はすべてしまっている。一階にも、客の姿はまだない。開店前なのだろうか。


 なんと直載な名前だろうとミニュイは思った。隣の駅は、もはやイタリア。たしかにこの街はフランスの「終点」だ。ミニュイは、自分の境遇がこの男のために終点に近づいてはいないかと、歩みを速めたコンフェッティの背を、軽く睨みつけた。

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