Interlude

南へ

 ミニュイは、オレンジ色の首輪をつけられ、不機嫌そうに足元に寝そべっている。

 高速鉄道TGVが都市を走りぬけると、景色は次第に緑が増え、家々は田園風景に変わっていった。四人掛けのボックス席の向かいには、まだ誰も乗ってこない。コンフェッティはあたりを憚らず、向かいの座席に足を放り出して、新聞を広げた。

「おい、ミニュイ、見てみろよ」

 コンフェッティは、ミニュイの横腹を靴の先でつついた。至極迷惑そうに、ミニュイが顔を上げ、のっそりとコンフェッティの座席によじのぼる。

 コンフェッティが指さす新聞記事には、幻の壁画がモンパルナスの一室から発見された記事が、大きく取り上げられていた。


 そう、夕べのこと――。

 コンフェッティは、絵から最果てへつながる空間だけを完全に閉じ、作品そのものは残した。

 この世にその作品自体がなくなってしまえば、二度と扉が開くことはない。ミニュイは、数々の前例にならって、作品そのものの存在を人間界から消すよう主張したのだ。なのに、この男ときたら、どんなにミニュイが言い聞かせても聞く耳を持たなかった。しまいには、言い合いに疲れたミニュイが、すべての責任をコンフェッティが追う、という確約のもとに、折れたのだった。


「あれだけ頑なに、絵を残したのは、どうしてなんです?」

 ミニュイが小さな声で尋ねた。

「そりゃ、あの素晴らしい馬は、人目に触れなきゃもったいないだろ?」

「画家が塗り込めたのは、絵そのものだったかもしれないじゃありませんか」

「そんなことないさ。……お前が、自分で言ったんじゃないか。『引きちぎられたかもしれない』って。最果てにうっかり入り込んじまったのかもしれないし、魔物や死んだはずの人間が描いた絵からぞろぞろ出てくりゃ、いい気はしないだろうが。ま、実際のところ、何があったかなんて、本人にしかわかりっこないけどな」


 ミニュイは、険しい視線をコンフェッティに投げかけて、溜め息をもらす。

「そんな調子だから、給料泥棒だなんて、陰口を叩かれるんですよ」

「ふん。言わせとけよ。それより、弁当にしようぜ」


 コンフェッティが、鞄の中から、紙袋をいそいそと取り出した。広げる前からもうミニュイの鼻先にはシワがいくつも刻まれる。

 紙袋などものともしない強烈な臭気がすでに漂っている。紙袋からは、アルミホイルに包まれた、細長い物体。

「チーズと、ハムだけの、簡単なサンドイッチだけどな」

「……だけ?」

 蒸れた靴下と濡れた犬をサウナで三日熟成させたようなこの香りが、と、言いかけたミニュイは、鼻先に突き出されたその現物を思い切り吸い込んでむせた。


 窓の外には、背の低いぶどうの樹々が、棚に頭を押さえつけられながら、広い大地をどこまでも広がっている。


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