白猫の所在

 パンテオンのサロンは、先日とは違う墓の墓銘が例の文言に変わっていた。コンフェッティはキツツキのごとくすばやく6回ノックをして、中に滑り込む。しつらえも前とはだいぶ違っていた。


 木組みの天井からは裸電球が吊るされ、奥では大鍋がぐつぐつとシチューを煮込んでいる。何の肉を煮込んでいるのか、むわっと迫ってくる獣肉の匂いに、コンフェッティは顔をしかめた。

 陽気な笑い声を立てる人々は、大きな陶器製のジョッキを手に、フィドルの音に合わせて踊っている。こんな絵画をどこかで見たなと思いながら、コンフェッティは人々をかき分けて、ヴォルテールのもとにたどりついた。


「おお、コンフェッティの名折れ!」ヴォルテールはゴブレットを高らかに掲げた。

「どうじゃ、相棒は助け出せたかの」

 コンフェッティが首を横に降ると、ヴォルテールはさも残念そうに眉を寄せた。

「先生、まずいんです。このままミニュイが戻らないなら、俺が仕事しなけりゃならないんです」

「コンフェッティの名折れよ、それが仕事というものじゃ。プロセスではない、結果が大事なのじゃよ」

 コンフェッティは恩師の忠告などハナから紡がれなかったかのように、ヴォルテールに訊ねた。

「ここに最近猫は来ませんでしたか、白い猫です」

「猫はそこらにおるだろうが、わしはわからん。猫に詳しい男ならおるが、ちと変わり者だ。ここにはそういう連中しかおらぬからな」

「先生、類は友を呼ぶんですよ」

 ヴォルテールは滝のような笑い声を轟かせ「おーい、レオさん」と呼びかけた。


 視線の先で、丸眼鏡にちょびひげの男が、顔をあげた。レオさん、と呼ばれた男は、近づくと東洋人風に顔の凹凸が少ないが、眉間にしわを寄せたしかめ面に厳しさが見てとれる。どこかで見たような風貌だが、思い出せない。

「失礼ですが、元・東洋人?」

「私は元・フランス人だ」しかめ面がいっそう深くなった。

 レオさんは、話している間にも膝に猫をのせ、撫で回している。猫を見ている時には微笑みさえたたえた穏やかな表情をしているのだが、コンフェッティの方を向くと、顔だけはムッツリと怒ったようにしかめている。


「何の用だ」

「ここに、猫が出入りしていませんでしたか。魔法を使える白い猫です」

 レオさんがしばらく宙の一点を見つめると、膝の上の猫も同じ一点を凝視する。コンフェッティもそこに目を凝らしてみたが、なにも見えはしない。


「魔法に関してはわからないが、近頃は白い猫はここには来ていない。前はよくサンジェルマンが連れてきていたよ。初めて会ったのは、かなり昔……、私が肉体をもって人間界に暮らしていた頃、若手芸術家の集まるサロンで、たいそう美しい白猫を見たことがあった。あまり美しいから、絵に描かせてほしいと友人とともに頼み込み、連日屋敷に押し掛けた。今にして思えば、サンジェルマンのサロンだったのだな。猫も同じ猫だとしたら、少なくとも、人間界に普通に存在する猫とは言えない」


「きっと凶悪な猫でしょうね?」

「いや、優美で気高く、猫の中の猫といってもいい」

 レオさんは、しばらく沈黙し、確かめるように一言一言を発した。

「白い毛皮は光輝くようにただただ美しかった」

 コンフェッティはあのときの猫を思いだしてみる。ただの白い猫にしか見えなかったが、猫好きの視点から見ると違う面も見えるのだろうか。その道に通じたものの視点と、入口に立っているものでは、見えているものが違うものだ。


「サンジェルマンのサロンには時たま美女がいてね。白猫をこうして膝に抱いていると、夢のように美しかった。エメラルドを嵌め込んだような緑色の瞳と黒髪、白い猫の取り合わせが本当に美しくて」

 緑色の瞳と黒髪と聞き、コンフェッティは一瞬姉のことがよぎった。けれどそれが、あまりにも荒唐無稽だと、自分を嘲笑い、その考えを追いやった。

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