二日酔いと幻のジャム

 意識を再び取り戻した時には、日はすっかり高くなっていた。

 すすめられるままに、緑色の発泡する液体を数杯あおったところまでは記憶があるのだが、その後どうやって宿に戻ったのかすら、おぼつかない。扉の向こうでは地鳴りのような轟音と、それに負けない、けたたましいしゃべり声がしていた。掃除婦たちがカーペットを掃除機でかきむしりながら、世間話に花を咲かせているらしい。コンフェッティは、ズキズキと脈打つ頭をすっぽりとシーツに包み込んで、丸まった。


 ようやく熱いシャワーを浴びた頃には、時計は午後をさしていた。

 空腹を抱えて外出しようとすると、受付のマダムに呼び止められる。どんな気まぐれなのか、昼食にとおすすめのビストロを教えてくれた。普段は愛想という言葉を教えてやりたいほどぶっきらぼうな対応なのに、薄気味悪いほどだとコンフェッティは思ったが、ビストロには興味がわいた。


 ビストロには数人先客が並んでいたが、どういうわけだか店員がコンフェッティを先に店内に案内した。やけに対応がよいと不思議に思っていると、案内された席には、アンジェリーナが、待ち構えていた。マダムの親切の原因はこれかと、コンフェッティは腹をくくった。


「よく眠れたかい」

「いや、あまりよくないな。頭痛がひどい。夕べ酒を飲みすぎたようだ」

「ああ、知ってる。覚えてないのかい、アタシがあんたを運んでやったんだよ」

 コンフェッティは、酸素を求める金魚のように、口をパクパクさせ、空いた口をふさぐことができない。意識を失っていることを良いことに、この猛獣に食われたのかと思うと、全身から血の気が引いていくのを感じた。

 動物的な勘でコンフェッティの頭の中身を読み取ったのか、アンジェリーナは口を尖らせる。

「ちょっと、勘違いするんじゃないよ、朝だ。アタシがパンを買いに出たら、お前がパンテオンの前に転がっていたから、おばさんのところへ連れて来たんだ」

 礼として昼食をおごれということなのだと、コンフェッティはマダムの意図を察した。だが、どんなきっかけであっても、美味なるものとの出会いは大歓迎だ。


 たしかに料理は素晴らしかった。ウサギ肉のテリーヌにバゲット、デザートにはイチゴがたっぷり乗ったタルト・オ・フレーズ。豚肉に比べさっぱりと上品な味わいのあるウサギは、ハーブやスパイスの香りが食欲をそそった。添えてあるセルフィーユの爽やかな風味をひと口ごとにさしはさむと、いくらでも食べられるように思えた。

 だが、5人前をぺろりと平らげている鬼瓦を前にしての食事は、いささか集中を欠いた。自分の腹具合と相談する前に、目が満腹になってしまう。すっかり寂しくなった財布の中身を確かめつつ店を出た直後に、腹が切なさを訴えた。せめてタルト・オ・フレーズを、もう1個食べるべきだったと後悔がよぎる。たっぷりのカスタードクリームと甘酸っぱいイチゴの絶妙な組み合わせを思い出して、焦がれるコンフェッティだったが、時すでに遅し。気づけば、まともな食事など、昨日変わり果てたミニュイを発見して以来のことだった。


「で、どこの美術館からまわろうか?」

 アンジェリーナの一言に、我に返った。

 彼女は、暇つぶしがてらタダ飯をたかりに来たわけではなく、力になろうとしてくれていたのだ。見かけによらず、むしろ見かけに反して、優しい娘のようだと、コンフェッティは感心した。


 コンフェッティは、ミニュイが作ったリストを手帳から取り出し、アンジェリーナに手渡した。

 ところどころ、インクのにじんだり、かすれたりしたリストには、大きな美術館をはじめ、芸術家たちの個人美術館、記念館などもびっしりと書き込まれていた。

「ヴィクトル・ユゴー記念館のシノワズリの美術品、アジア芸術美術館の別名を持つチェルヌスキ美術館、陶磁器美術館。なかなかいいチョイスじゃないか」

 あの薄いガイドブックのどこからこんなに情報を見つけ出したのだというくらい、並べ尽してある。コンフェッティは、コートのポケットに無造作に突っ込んだ、ミニュイ入りの水晶柱をぎゅっと握りしめた。

「……なら、まずは」

 アンジェリーナが口を開いた時、再びコンフェッティの腹が盛大に鳴った。


「なんだ、あんた、あんまり食べないと思ってたら、遠慮してたんだね。だったらまずはあっちだ」

 コンフェッティを睨むと、口元を歪めた。微笑んだつもりなのだ、とわかってはいるのだが、まだ背筋が震えた。

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