失楽園 ――ニュージャパン スパプラザ



 今、世は空前のサウナブームである。

 これまででは考えられないほど、サウナが注目を集めている。

 テレビや雑誌では、頻繁にサウナが特集され、インターネットを覗けば、実に様々なサウナ専門サイトやブログが目に入る。現代サウナ文学の金字塔『サ道』がドラマ化されるというニュースも新しい。

 かつて私は、サウナはおっさんのためのものというイメージを拭いきれないでいると述べたことがあるが、しかし、今やサウナはその偏見を脱し、新たなステージへと立とうとしている。

 ありがたいことに、この拙作なるサウナエッセイがカクヨム公式に取り上げられ、多く反響を得た。読者諸兄ならびにレビューを寄せてくれた高橋氏には感謝申し上げる。鑑みれば、また或いはその兄らの存在もまた、世がサウナブームであることの証左に他ならない。サウナブームの波はカクヨムにも浸透しつつある。


 このように世の中がサウナブームに沸き立つ中、悲しいニュースがあった。

 ある一つのサウナが終わりを迎えたのだ。

 ――ニュージャパンスパプラザ。

 平成三十一年三月三十一日、平成の終わりとともに、そのサウナは三十数年間の歴史に幕を閉じた。

 大阪は難波の老舗。もしスパプラザの存在しなかったら、現在のこのサウナブームもまた存在しなかったことは間違いない。それほどに先進的なサウナであった。

 サウナで得られる喜びの全て、即ちこの世で得られることが可能な喜びのすべてがそこにあった。

 断言しよう。スパプラザは紛れもなく日本一のサウナだった、と。

 もはや過去形でしか語ることのできないサウナ。

 今日はその思い出を語ることにしよう。




 ロウリュしたサウナのように暑い日だった。

 その年の夏は例年にない猛暑。だと言うのに、朝から三十℃を越えるなか、私は道頓堀あたりを目的もなくうろうろと歩き回っていた。いや、目的がないわけではない。けれど、目的地の営業時間は昼の十二時から。

 時計の針は未だ中天には遠かった。

 ――ニュージャパンスパプラザ。

 そのサウナを私が知ったのは、ネットでサウナ情報を収集しているときだった。

 たまたま見ていた、とある個人ブログでスパプラザを紹介していた。その中のある一文が気になった。


 「ニュージャパンスパプラザは間違いなく日本一のサウナである」


 サウナーならば、誰しもが気に掛かる一文である。

 とは言え、私がにわかにそれを信用することもなかった。そのブログを読み進めてみると、どうにも言葉が軽く思えたからだ。

 それに『日本一のサウナ』とそう簡単に言われても、簡単に信用できるほどに私は純粋ではなくなっていた。

 ――『日本一のサウナ』。

 そう言われたとき、私のみならず、ここまでこのサウナエッセイを読み進めてくれた読者諸兄なら、あるサウナを想像するだろう。

 そう、サウナしきじである。

 しきじの水風呂は天下一品であり、他に類を見ない。水風呂だけでなく、サウナ施設としてありとあらゆるものが完璧。

 日本一のサウナの肩書きは、サウナしきじが欲しいままにしている。

 少なくとも、そのときの私はそう思っていた。

 もちろん、すでに様々なサウナを体験した私は、だからと言って他のサウナが悪いとまでは思わない。けれど、日本一という肩書きはそう簡単なものではないはずだ。

 結局、私はそのブログを閉じて、気にしないことにした。

 気にしないことにしたはずだった。けれど、ひと月、ふた月と経っても、どうにもその言葉は私の頭から離れずにいた。

 ――スパプラザは日本一のサウナ。

 ついには私はそれを確かめずにはいられなくなって、気が付くと大阪行きの新幹線を予約していた。私の住まいは東北の片田舎。大阪は些か遠い。これを期に以前からチェックしていた関西サウナを一通り回ろうと考えて、計五泊、うちサウナ八件を回るという大阪サウナ遠征を目論んだのだった。

 奇しくも、時は七月。その年、ちょうど私が大阪へ向かったその日から、日本列島はロウリュをしたような異常な猛暑に襲われた。

 スパプラザに向かったのは、大阪サウナ遠征の三日目だった。

 前日までに、すでに二つのサウナをこなした私は爽やかに朝を迎えた。サウナは睡眠の質をも向上させる。私にとって旅行というものは、行く当ても決めず、自由気ままに歩き回るものであったが、その日だけはスパプラザに行くと最初から決めていた。

 スパプラザとは、いったいどれほどのサウナなのか、期待に胸を躍らせた私は、いてもたってもいられずに、宿を出た。

 開店時間は昼十二時。それを忘れていたわけではないが、気がはやって私は我慢できずに宿を飛び出したのだ。そうして、スパプラザに辿り着いたのは午前十時。当然、何もやることがなかった私は、仕方なしに道頓堀周辺を歩き回り、十二時を迎えたころには私はびしゃびしゃに汗でシャツを濡らし、早くもくたくたとなっていたのだった。

 十二時ちょうどにスパプラザに入ると、すでに受付には私よりも先に来た数名が列をなしていた。十二時前から並んでいたのだろうか。もしそうだとすれば、スパプラザへの期待値は上がる。

 ホテルのような豪奢な受付でコースを選ぶとロッカーの鍵と番号札を渡された。

 料金は8,500円。事前に知っていたことではあったが高い。

 別に特別贅沢をしたわけではない。最安値のコースでこれなのだ。東京ドームのスパラクーアの5,000円でも十分高く感じたが、それ以上の値段だ。

 もちろん値段には理由があって、スパプラザでは必ずアカスリとマッサージが付くからこそこの料金になる。コースによる値段の違いは、このアカスリとマッサージの時間や種類によるものだ。

 アカスリとマッサージがセットで8,500円から、と考えると決して高い値段ではないかもしれないが、けれど、心理的な抵抗は拭えない。

 『日本一のサウナ』と豪語する人間がいるぐらいのサウナなのだから、全くの“ハズレ”ということはあり得ないことは承知しているものの、8,500円という値段は、私のの期待値というハードルを否が応にも上げてしまっていた。


 受付で渡された鍵と同じ番号のロッカーを探し出して、着替える。

 ロッカーの中にはパンツが一枚入っていた。大阪サウナの特徴として、サウナにはパンツを履いて入るというものがある。サウナの入り口の脇や水風呂の浴槽の脇など、ちょっとしたところに必ずパンツがあって、サウナに入るときはそれを履いて入り、浴槽に浸かるときは、脱いで回収ボックスに入れるのだ。

 大阪の人間からすれば、それが当たり前なのだろうが、東日本のサウナでは全く見かけないそのシステムに面食らいながらも従った。郷に入りは郷に従えだ。

 理屈としては、他人のケツが直接付いたところに、肌を触れさせたくないということなのだろう。普段、サウナを裸でどう練り歩こうが、気にも留めない私だが、どうにも短パン一つで歩くということは、不慣れだからか、妙に気恥ずかしかった。大阪サウナをすでに数件こなし、その文化に小慣れてきた私であったが、未だそのパンツシステムだけは慣れなかった。

 

 着替えを終えて、気恥ずかしくも短パン一つで階段を降りると、スパプラザの世界だ。

 スパプラザには順路があった。

 受付からロッカールームを抜け、階段を降りると浴場に辿り着く。階段から浴場の入り口に小学校のプールのような足洗い場があって、そこで少し懐かしさを抱きながら足を洗うと、目の前にはサウナ室がある。その先は当然ながら水風呂やジャグジーを完備した浴場で、きらびやかな庭園のような露天風呂スペースもある。

 浴場には『おでんコーナー』という名の休憩所が併設されており、浴場と『おでんコーナー』は好きに行き来できる。浴場の先にはアカスリスペース。さらにその先にドライルームがあって、そこから階段を登るとマッサージルームに仕上げ室。そこからまたさらに階段を登るとラウンジに辿り着き、ラウンジ内の階段を降りるとロッカールームに戻ってくる。

 順路を無視することもできたが、勝手も知らぬ遠い地のサウナだ。

 手慣れていない私は、当然ながら店の流れに乗ることにした。

 足洗い場を抜けて最初に現れるのはサウナ室であるが、これは二種類。ドライサウナとフィンランドサウナ。どちらも温度は約八十℃。サウナ室の造りが若干違うため、温度・湿度のバランスは実際異なるのだろうが、少なくとも私の体感的には違いはなかった。

 サウナ室の扉の前にはレンタルサウナハットと冷凍ケースに入るキンキンに冷えたタオル。心憎い気配りだ。

 角の付いたサウナハットを一つとり、凍ったタオルとサウナ室に入って、どしりと座る。熱すぎず、温すぎず。ちょうどいい温度だ。

 ぼうっと座って、昼下がりの上沼恵美子を見ていると、アナウンスが鳴った。ロウリュの時間らしかった。

 スパプラザの魅力の一つはロウリュだ。

 ロウリュを開催しているサウナなら、どこでもロウリュは魅力の一つだが、それが三十分に一度というサウナはそうはない。それがスパプラザのロウリュの魅力だ。

 バカでかいIKIストーブに思いっきり水を掛けると、外の暑さを鼻で笑うほどの温度が充満する。一人三回づつを二セット。普通よりもやや少なめの扇ぎ回数だが、それでもサウナストーブに掛ける水量が多いため、十分にボイルされ、満足感がある。

 順路があるために、サウナ室には入り口と出口の二カ所の扉があるが、その出口から出ると、さらに驚きがある。

 出口の扉を開けて暗い通路を通り抜けると、そこは“庭園”だった。

 水風呂やジャグジーが並ぶ露天風呂のスペースは、ヨーロッパの貴族邸宅のテラスのような風景となっていた。大きく開け放たれた窓の中には、優しく光が入る内風呂スペース。白いベンチとテーブルが備え付けられ、その傍らにはフルーツを浸けたデトックスウォーターが置かれている。

 奥には大きな内風呂やいくつもの水風呂。

 美しさという点で、他の追随を許さないほどに完成された“庭園”だ。

 二十二℃ほどの水風呂に浸かると、十分に熱せられた体はよく冷えた。

 そうして真っ白なテーブルについて、熟れた果実の香りのする水を飲む。

 贅沢だ。

 そうこうしているうちにまたアナウンスが鳴る。

 私の持つロッカーキーの番号が呼ばれた。アカスリルームまで来いというので行ってみると、入り口には一人、おばちゃんが待っていた。

 そのおばちゃんに言われるがままに、アカスリルームに入ると、イメージしていたアカスリルームとは違った場所だった。

 アカスリルームと言って、一般的に想像するものは、アカスリ用のベッドが何台かせせこましく並べてある場所だろう。けれど、スパプラザでは、もう一つ内風呂が現れたという印象だった。

 普通のサウナ施設やスーパー銭湯にあるような洗い場に、大きなお風呂。しいて普通との違いを挙げるならば、洗い場の数が多いことだろうか。アカスリ用のベッドなどの姿は全くなかった。

 まずは風呂に浸かって、体をふやかせと、おばちゃんに指示されたので、素直にそれに従った。見渡すと、アカスリルームには私以外の客の姿はなく、手持ち無沙汰にしているおばちゃんたち数名に見守られるがままに、風呂に入っていた。

 正直、気まずくて、十分は入っていろと言われたにもかかわらず、五分ほどで「もう大丈夫です」と湯から上がってしまった。

 風呂から上がると、洗い場に座るように促される。言われるがままに風呂の椅子に座ると、どうやら座ったままの体勢でアカスリをするようだった。

 アカスリというよりは、車の洗車でもするように体を洗われるという感じだった。

 体をゴシゴシと、一応はアカスリタオルで洗われて、なされるがままにされる。終いには髪や顔、頬の部分までもゴシゴシと泡まみれにされて、「流しますよー」の一言で思いっきり湯を掛けられて、流される。

 自動洗車機に入れられた車の気持ちというのは、このようなものかと思いつつも、全身くまなく洗われるという快感に身を委ねた。


 アカスリを終え、おばちゃんにゴシゴシと体を拭かれると、そのままドライルームに案内される。

 次はマッサージだから、案内が来るまでここで待てということらしい。

 通されたドライルームは、ソープランドの待合室をそのまま切り取ったような場所だった。

 肌触りの良いソファーの腰を掛けると、すかさずスタッフが冷えた水を持ってくる。目の前のテーブルにはいくつかのアメニティ。その中に綿棒を見つけた私は、待っているあいだ、耳掃除でもしようと、プラスチックのケースを開けたが、中に入っているのはタバコだった。どうやら吸い放題らしいが、勝手に吸ってもいいものか、おそるおそる手にとって火を付けた。

 そうして、ちょうど一本吸い終えたころに小柄なおばちゃんが現れる。

「マッサージのお客様はこちらです」

 またしても言われるがままに、後ろを付いていく。

 上の階にあがると、いくつもの化粧台がならぶ。その化粧台のあいだを抜けると、今度はマッサージルームに辿り着いた。

 マッサージ用のベッドに寝かされて、おばちゃんと世間話をしながら体をほぐされる。サウナのマッサージは、一般のマッサージ店もそうであるが、当たり外れがある。それはサウナ施設の善し悪しというより、施術する人間が単純にうまいか下手かの問題にすぎないが、少なくともそのおばちゃんは上手だった。

 スパプラザが開店するよりもだいぶ前に着いてしまった私は、開店までのあいだ、時間つぶしに道頓堀を歩き回った。猛暑の中で歩き回り、くたくたになった足がよくほぐされて、羽が生えるようだった。

 マッサージは四十分だった。もっと高いコースを選べば、長くマッサージをしてもらうこともできたようだったが、後の祭りだった。

 名残惜しくもマッサージを終えると、そのままおばちゃんに化粧台の前に座らされて、顔に化粧水や乳液を塗りたくられる。髪にも得体のしれない薬品を塗りたくられて、櫛でゆっくりと梳かされた。

 そうして、軽く肩を揉まれると、最後にぽんと一つ肩を叩いて、全てのコースを終えた。

 促されるままに順路を進むと、再びロッカールームに出た。

 アカスリで体の外側の汚れを隅々まで洗い流され、マッサージで体の内側を細やかにほぐされた。私の体は全身が新品のように綺麗にされていた。



 ロッカールームから、また再びサウナへ向かった。時間はまだ一時間半ほどしか過ぎていない。帰るには早すぎた。

 サウナと水風呂を何回か往復しながらも、さっきは入ることができなかったミストサウナやジャグジーを楽しんで、私は外のベンチでゆっくりとくつろいでいた。

 贅沢に時は過ぎていく。

 不慣れなサウナのシステムに戸惑ったまま全てのコースを終えてしまったが、こうしてベンチにゆっくりと座って思い返してみれば、それはかなり贅沢な時間だったと気がつける。

 庭園のような露天風呂スペースで、ベンチに寝転んでゆっくりと流れる雲を見た。外はうだるように暑いはずなのに、この庭園はおだやかな陽気に包まれている。

 庭園のあちこちに咲き誇る花々も同様に、この真夏の気温にうなだれることもなく、りんと涼しい顔をしている。浴槽へと流れる水のしぶきが、きらきらと陽に反射して、花へと飛んだ。それは妖精が踊るようにも見えた。

 非現実的なほどに美しい景色がそこにはあった。

 少なくともサウナと水風呂を幾度も往復し、すっかり整っていた私の視界にはそれが見えた。

 ――これほどまでに贅沢な時間が世の中にあるのだろうか。

 心地の良いサウナ、しっかりとした水風呂、流されるままに進むアカスリやマッサージ、そして美しいこの庭園。

 時はゆっくりと流れていく。

 スパプラザでの、この贅沢な時間ほどに、どんな贅沢ができるのだろうか。どんなに金を使っても、どんなに時間を使っても、このスパプラザで体験するほどの贅沢感を得ることはできないように思えた。少なくとも私の想像力を以て、これよりも“贅沢”をする手段というものは思い浮かばなかった。

 いや、唯一思い付いたのは、家にスパプラザそのものを作るというものであったが、それは結局、スパプラザが至上の贅沢であるということに他ならない。

 その結論はある一つの疑念を確かにするものだった。

 ――スパプラザは“日本一のサウナ”なのか?

 当然、答えは一つしかなかった。




 そもそもスパプラザは三時間ほどで去るつもりだった。

 別に期待をしていなかったわけではないが、私はこの大阪遠征で大阪・京都のサウナを八件は回るつもりだった。すでに三日目だというのに未だ訪れたサウナは三件だけだ。今日はあと二件は回りたいと思っていた。

 時計はすでに四時を過ぎている。もう行かなければならない。

 けれども、私の体はべったりと椅子に張り付いて、到底、スパプラザを立ち去ろうという気はないようだった。

 いつまでもずっといたい。

 庭園のベンチからおでんコーナーのリクライニングチェアに場所を移しても、私はただぼうっと時間が過ぎ去っていくのを楽しんでいた。

 それこそが至上の贅沢だった。

 ――このままでいいのだろうか?

 ふいに罪悪感が私を刺した。

 スパプラザという場は、こんなにも贅沢であってもよいのかという罪悪感を抱かせるに十分な空間だったことは確かだ。けれども、その罪悪感の芽生えは何もそれだけが理由だったわけではなかったように思えた。

 考えてみれば、スパプラザの何が良いのだろうか?

 いや、確かに今、この空間で私は無上の安寧を得ている。その心地良さは事実として間違いなく存在している。スパプラザは至上の空間だ。

 けれど、振り返ってみれば、考えるほどに何がスパプラザの良さなのか分からなくなった。

 スパプラザのサウナ室は確かに最高だ。水風呂も温度こそ低くはないが、鋭い水質が問答無用に整えさせてくる。だが、スパプラザより良いサウナ室や水風呂は他のサウナでも存在する気がした。

 美しい“庭園”の露天風呂やベンチは他のサウナにはない絢爛さを持っていた。けれど、同じものはなくとも、そうした美しい場所は、サウナというカテゴリーから外に出れば、この世にはいくらも存在するに違いない。アカスリやマッサージも素晴らしいが、けれど彼女らよりも腕のいいアカスリ師やマッサージ師は余所にもいるだろう。

 スパプラザは、そこにあるおおよそが他のサウナよりも高いクオリティを持ち合わせているものの、しかし、そのどれかが抜きんでて秀でたわけではなかった。

 例えば、サウナしきじなら他に類をみない水風呂と薬草の香りを持っている。横浜のスカイスパには大きな窓とそこから入る昼と夜の風景、光があった。サウナセンター大泉では他のどんな場所にもない、独自の世界観があった。私がこのエッセイで今まで取り上げたサウナだけでも、それを振り返れば、そのどれもが「これは!」という強みを持ち合わせていた。

 少なくとも私にとって、良いサウナとはそうしたある種の長所というか、“強み”を一つは持っているものだった。

 けれど、スパプラザにはそれがない。

 スパプラザは確かにどこを切り取っても素晴らしいサウナには違いないが、そのどれもが“強み”と言えるほどの力を持っているわけではなく、何というか、“秀才”なサウナという印象に過ぎなかった。

 だが、スパプラザが“秀才”止まりのサウナであるかと言えば、答えは間違いなくノーだ。正体は全く知れないが、それでもなお、スパプラザが最高のサウナであることは、他のサウナからは隔絶した“強み”を持つ、『日本一のサウナ』であることは、確かなことだった。

 私は思い悩んだ。

 悩んだままに、時計は五時を過ぎていた。いい加減、スパプラザから、この楽園から抜け出して、次のサウナへと向かわなければならない時間だった。体は正直で、持ち上げた腰はいつになく、ずっしりと重たくあった。

 何とか立ち上がって、出口へと歩こうとしていた。

 さて、次はどこのサウナに行こうか。

 行きたいサウナは数あれど、この日この時間に行こうと思ったサウナはスパプラザのみだった。行き当たりばったり。それが私にとっての旅であり、この大阪サウナ遠征も例外ではなかった。

 次の目的地を考えながら、腰を上げたとき、私ははたと気が付いた。


「……スパプラザの中で行き先を考えたことはなかったなぁ」


 スパプラザに来てからというもの、戸惑ったことはあっても、行き先に迷ったことはなかった。

 考えてみれば、初めて来たサウナでそんなことがあり得るだろうか。

 初めて来たサウナであれば、普通はどこに行けばいいのかと必ず迷うはずだ。

 いくつものあるサウナ室のどこから攻めようかだとか、どんな順番でどの風呂に入ろうかだとか、今日はアカスリを受けてみようかだとか、そんな戦略を迷いながらも考える。

サウナの兵法を考える。それは初めて訪れるサウナだからこその楽しみの一つのはずだ。

 けれど、スパプラザにおいて、私は兵法を案じたことはなかった。

 ロッカールームから階段を降り、最初に目に入ったサウナに入り、サウナから出て最初に見えた水風呂に入る。番号を呼ばれれば、のこのこと呼ばれていき、なされるがままにアカスリをされて、マッサージを受けた。施設のあちこちにある『順路』という札に指示されるまま、スパプラザを歩き回った。スパプラザに言われるがままになるだけで、私はすっかりと整って、無上の安楽を得て、今もここを離れたくないと体が叫びを上げている。

 ともすれば、スパプラザでの時間は、ただスパプラザに言われるがままに漫然と過ぎていったようにも思える。

 スパプラザというサウナには自由はない。

 サウナには自由があるはずなのに、スパプラザにはサウナの自由は存在しない。

 けれど、心はいつになく自由に解放されていた。

 それはスパプラザがもたらす最高のサウナ体験であった。

 スパプラザにおいて、サウナの戦略は私たち、サウナーが考えるものではなかったのだ。サウナの戦略を提示するのはスパプラザ自身であり、私たちはただそれに乗ればいい。

 不自由というものは、一見すると酷く不幸なものにも見えるが、しかし、それは一つの安寧であるというのは確かであろう。

 思い返してみれば、子供の頃は、親や家族、学校の先生、そうした周りの人間にああしろ、こうしろと言われて嫌になってばかりだった。いつだって不自由で、自由な大人に憧れていた。けれど、心は今よりももっと自由だった。

 今、こうして大人になって、それなりに自由を得てみると、それがいかに安楽なことか。指示されるがままに生きる大人というものが、どれだけ自堕落でだらしのないことであるかを知ったが故に、そこに確かな安心があることを私は知っていた。

 スパプラザというサウナは、おおよそ自由を奪われるサウナだ。

 スパプラザでの全ての出来事は、スパプラザによって指示されたことに過ぎない。整うことすらもスパプラザに指示されたようにも思える。

 けれど、私はスパプラザに自由を奪われることによって、心は解放されて自由を得ていた。

 それこそがスパプラザが最高のサウナたる根源だった。


 重い腰を上げて、ロッカールームへと向かう途中、ひっそりと隠れたように、もう一つサウナ室があることに気が付いた。スローサウナと名付けられたそれに入ると、円形の空間と真ん中にぽつんとサウナストーブが一つあるだけの空間だった。BGMにサウナ音楽家とくさしけんごの『Music for Sauna』が流れている。

 客は私一人だけだった。

 テレビも何もない空間でぼんやりと座っていると、そこにはスパプラザに奪われたはずの自由が、少しばかり落ちていた。

 学校の十分ばかりの休み時間。宿題を終えた夏休みの午後。子供の頃、楽しかった思い出は、いつだって少しばかりの自由な時間にあった。

 私はそのサウナ室が心地良かった。

 そうして、スローサウナをゆっくりと楽しむと私は今度こそスパプラザを後にした。

 それは間違いなく最高のサウナ。現代に残された最後の楽園だった。

 ――また来よう。

 そう思ったが、それが私にとって最初で最後のスパプラザでの時間だった。




 スパプラザは不自由なサウナだ。

 このサウナをどこから攻略していこうか。そういう自由はスパプラザには存在しない。

 それはおそらく、スパプラザというサウナが、サウナ黎明期――現代のサウナでは当たり前にあるロウリュやアカスリ、マッサージ、そうしたサウナ文化がはじまったばかりの時代に産まれたサウナであるという事情もあるかもしれない。

 まだ、ロウリュを知らなかった日本の人々に、サウナの兵法を知らなかったサウナーたちのため、スパプラザは自らがサウナの兵法をサウナーたちに指示する他なかったのだろう。

 だが、そうしてサウナーたちを育てていったサウナであるからこそ、現代のサウナブームを造り上げた功労者と人々は述べるのだ。現代の日本のサウナ文化はスパプラザによって牽引されたとさえ言って良い。

 だが、そのスパプラザはもうない。楽園は失われたのだ。

 最初にも述べたとおり、スパプラザは平成三十一年三月三十一日、その門を閉ざした。理由は施設の老朽化であるという。

 だが、私にはもう一つ理由があると思った。

 ――スパプラザは役割を終えたのだ。

 奇しくも世はサウナブームである。

 サウナーと呼ばれる人々が増えていき、彼らは、いや、我々はサウナで整うという術を、その戦略を身に付けつつある。

 人々にサウナという楽園を与え、サウナの兵法とは如何なるものか、それを教え続けたスパプラザは、いわばサウナーたちのゆりかごだった。

 私たちは、今やサウナと出会うたびに、どのように整えるか常に戦略を立てている。もう日本のサウナーは、サウナを知らない赤ん坊ではない。

 ゆりかごは役目を終えた。

 或いはそれはアダムとイヴが禁断の果実である知恵の実を食べたことによって、楽園を追放されたように、サウナーたちがサウナでの技を、兵法を、戦略を、――その知恵を得たことによって、スパプラザは私たちサウナーを追放したのかもしれない。


 サウナーたちよ。目覚めのときが来た。

 私たちを導き、整えてくれた楽園はもうない。

 スパプラザというゆりかごに守られた時代は終わり、サウナーは己自身の力でサウナを切り開き、整わなければならないときが来たのだ。

 それは人が子供から大人へと成長していくように、日本のサウナも、サウナーもまた前へと進むべきときが来たことを意味しているのかもしれない。

 サウナイベントが増えているというのは、ただ単にサウナブームという流れに乗ったというわけではなく、或いは楽園を捨てた我々が前へと進んだ証なのかもしれない。

 スパプラザ閉業という失楽園は、終わりではなく、私たちサウナーにとって新たな時代の始まりを意味する。

 さびしいけれど、別れはいつだってはじまりなのだ。

 日本のサウナ、まだ夜は明けたばかりだ。




【SAUNA DATA】

ニュージャパン スパプラザ

サウナ:フィンランドサウナ 約80℃、テレビ有

    ドライサウナ 約80℃、テレビ有

    スローサウナ 約80℃

水風呂:内風呂二カ所 22℃と13℃

    露天一カ所 22℃

ロウリュ:30分毎(スーパーロウリュは1日2回)

宿泊:不可

営業時間:閉業

料金:8,500円~

HP(跡地):http://www.newjapan.co.jp/spa_plaza/

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サウナエッセイを綴る ――サウナーとこれからサウナが好きになる人のために 井戸川胎盤 @idonga

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ