第24話

「今日は何をします?」

 諸泉が何の仕事を引き受けてきたのか、那智はくわしいところを知らない。

 ただわかることは、二人でさばくには大量の仕事であることだった。四人で仕事をこなしても大変なのだ。

 そのため、今日もある程度話を聞いておこうと思ったのだが、諸泉は眼鏡の奥の目をさっとそらしたようだった。

 いつもと違うことに、違和感を覚える。だがそれが何かを問いつめる前に、諸泉は口をひらいていた。


「……今日はそんなにやることはないな。洗濯も掃除もしちまったし……」

「……先生?」

「今日ぐらいは、合宿らしく過ごすか……まあ、そうは言ってもこの状況じゃ、なかなか気持ちが入らないかね」

「それは……そうですけど……」


 穏やかな口調はいつものもので、話していることも教師らしいものだ。

 だが、なぜだろう。どこか違和感を覚えてしまう。

 どこだ。どこにおかしなところを感じるのだ。那智はできるだけ悟られないように気をつけながら、諸泉のようすをうかがっていた。

「まあでも、合宿らしい一日も過ごしておかないと、あいつらに悪いからなぁ」

 どこなら安全だろうか、と考える諸泉を見て、那智はようやくのことで気がついていた。


 魚についての――そして文貴についての話題が、欠片も出てこないのだ。普通なら、あれほど気にかけていた事なのだから、まっさきに口にするだろう。

 顧問であるから敢えて話さないようにしているのかはわからない。那智が何をするのかと聞いたのがいけなかったのかもしれない。

 那智は、おそるおそる問いかけてみる。


「音田先生のことは、どうするんですか。探します?」

 那智の言葉に、諸泉はかすかに動きをとめる。すこし考えるように目が動いて、それからやんわりと否定してみせた。

「いや。こちらから探しにいかなくても、きっとあいつはやってくる。それを……待とうと思う。探しにいったところで、あいつが出てくるかは分からないしな」

「そう、ですね」


 今度は、あきらかにおかしいと思った。確かに音田がこちらにやってくるのを待つということは、おかしいことではない。

 だが、諸泉がただそれを待つようには、とても思えなかった。一体、何を考えているのだろう。先生は一体、どこに行くつもりなのだろう。

 深く問い詰めたいが、問い詰めたところで、はぐらかされることはわかりきっている。

 那智は本当のことをたずねたい気持ちをぐっとこらえて、拳を握りしめるほか、なかった。



 * * *



 見上げた空は、夏の青さが広がっている。

 学寮の向こうは海であり、空を遮る建物は何もない。

 那智が歩く防波堤の向こうには、打ち寄せては返す波、そして遠くに緑がかった陸があるだけだ。陸の切れ目には灯台が建つのがわかる。

 遮るものがないからこそ、真昼の日差しがじりじりと頭を焼いてくる。帽子を持ってくればよかったと思うも、あとの祭りだ。


 那智は額からにじんできた汗を不快に思いながら、両手に握りしめていたコンビニの袋を握り直した。袋のなかには、スポーツドリンクと麦茶のペットボトルが入っている。

 暑いなかでの撮影なので、水分補給にと買い物に行っていたのだ。

 防波堤をしばらく歩いていくと、豆粒のようだった人物が、次第に大きくなってくる。はじめから訝しく思っていたのだが、姿が大きくなってくるにつれて、那智は顔をしかめていた。


「あ、那智さん」

 遠くで三脚をつかんでいた政志が、那智をみとめて手を振ってくる。

 そこには今朝のぎこちなさは見られない。傍らでしゃがみ込んでいる千仁は、防波堤を歩く猫を追うのに夢中であるようだった。

 そしてそこには、買い物にいくときは確かにいたはずの、諸泉の姿が見当たらない。忽然と、夏空の下から消えてしまったようだった。


 那智は政志のそばに寄ると、そっと買い物袋をおろした。重いものから解放された手が、じんわりと痺れた感覚をみせる。

「ありがとうございます」

 政志は三脚から手をはなして、那智のそばにしゃがみ込んだ。スポーツドリンクを取り出して、政志に渡してやる。

 政志はそれを受け取ると、すぐに蓋をあけて傾けていた。ごくりごくりと喉を鳴らして飲んでいる姿に、那智も喉がかわいた感覚に陥る。


 那智もスポーツドリンクを手にとった。まだペットボトルは冷えていて、掌をじんわりと冷やしていく。

 喉をうるおしたところで、那智は口をひらいた。

「先生はどこ行ったんだ?」

 那智の問いかけに、政志も眉をひそめていた。どうやら政志も不審に思っているらしい。


「しばらくスマホ見てたんですけど、急な仕事が入ったからって、寮に戻っていきました……」

「急な仕事、ねぇ」

「……嘘だと思いますけど」


 政志は学寮を見やりながら、ぽつりと呟いた。

 つられて那智も学寮を振りかえる。


 今日は魚の攻撃がなく、穏やかな夏の一日そのものだった。だからこそ写真部の合宿らしく、撮影ができているのである。

 こうして外から見るかぎりでは、学寮に異変があるようには感じられなかった。どこにでもあるような研修施設である。

 諸泉はあの学寮のなかにいるのだろうか。すこし考えてみたが、なんとなく違うような気がしていた。


 那智は手にしていたペットボトルの蓋をぎゅっとしめていた。学寮をすっと見つめて、それから政志たちをふりかえる。

「せっかくのところ、悪いけど……様子を見てきてもいいかな」

「もちろん」

 この状況のなか、生徒であるふたりを残していくのは気がひける。

 それでも、どうしても諸泉のことが気になって仕方がないのだ。

 那智のそんな想いを汲み取ってくれたのか、政志はこくりと頷いていた。彼の目をじっと見つめて、那智もうなずく。


「悪い。何かあったときには迎えにくるから、無理して動くんじゃないぞ」

「大丈夫ですよ」

「大丈夫じゃない。いいか、絶対だぞ。お前たちにまで何かあったら、さすがに困るからな」


 政志は軽く受け流そうとするので、那智はぐっと近づいて念押ししていた。

 政志もさすがの気迫に負けたらしく、こくりと頷いてくる。そこでようやく那智も安心できて、彼らから離れて歩き出した。

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