第二章25『兄弟』

「……はぁ……っ、はぁ……っ……!」


 ひんやりと少し冷たいキラのその手を取って、翔は基地を走り回っていた。探しているのはたった一人、キラと同年代のその少女の存在だった。


「……だってのに、あいつどこ行きやがった……」


 翔はこの基地の中でその少女を探すのはそう難しいことではないと思っていた。普段彼女は、仕事場兼寝床の開発室と食事を済ますだけの食堂の二つの場所にしか姿を表さなかった。しかしその翔のアテは外れたようで、その二箇所にその少女は見当たらなかったのだった。


「……ったく、今日に限ってどこにいやがるんだ」


 そう悪態をついてから、改めてその少女を探すため翔は走り出した。


 ──娯楽所……は、あいつの事だからいる訳ないよな。そもそもさっき見かけなかったし。珍しくカプセルで寝てるとか? いや、特に理由がない限りそんな事しないはずだ。


 その思考を巡らせながら、一方で足を動かす。翔は改めてその大変さに舌を巻く。


「……ホント、こういう時雪兎シュネーハーゼが使えたらいいんだけどな」


 その翔の新しい装備、雪兎シュネーハーゼは基地の中では使えないようになっていた。正確に言えば使うのを禁じられた、に近い。元より狭い基地内ではその爆発的な急加速の効果は半減する上、その大跳躍の度にその靴が蹴り上げた部分の損傷が酷いのだった。雪を名前に含むその靴は、文字通り雪中でしか使えない代物であったのだった。


 そうして少し、今探している少女に間接的に文句を言いつつも、翔は走った。無機質なその内装はいくら走ってもその景色を変えることはなく、次第に翔の身体に疲労が溜まっていった。


「……ごめんな、キラ。お前も疲れたよな……」


 目論見が外れすっかり疲れた翔は、後ろのキラをそう気遣う。何も翔は、その少女を探すにあたって基地を走り回る必要はなかったのだ。しかし翔は早くキラに友達を見つけてあげたかったのだ。それと同時に翔はあの場所からも距離を取りたかった。あの、キラを怖がる者達が居座る場所から。


 すると後ろのキラは、意外にもその声を弾ませて答えた。


「……大丈夫……! たしかにちょっと疲れたけど……、僕も同じような気持ちだから……!」


 そうして翔に励ましの言葉をかけてから、「それに……」と何かを続けようとしたキラは、その前方にいる存在に気付いて声を上げた。


「カケル兄ちゃん、危ない!」


「へぁ!?」


 しかしその突然の事態に反応することが出来ず、なんとも情けないそんな叫び声をあげて翔はその存在に激突した。


っつ~! すいません、前見てませんでした!」


 その激突により尻餅をつきながらも、なんとか翔はぶつかってしまったその人に謝罪する。そのぶつかられた人物も、少し体勢を崩しつつもなんとか無事だったようで、すぐに振り返ってその謝罪に返す。


「いやいや、ダイジョブダイジョブ。……って、あれ? カケルじゃないか」


 その人物は翔の顔を見るなり、愉快な声でそう言った。その声を聞いて、翔もその人物の顔を改めてみて、感嘆の声を上げる。


「あ、ビー先輩じゃないですか!」


 そう翔に指を差され言われたその茶髪の温和な男は、「よっ」と手を小さくその場に挙げた。


 翔がビー先輩と称したその男は、フレボーグ・グレイという名の遠征隊隊員であった。二十代半ばほどでありながら、その糸目がちな目から滲み出るフレボーグの穏やかな雰囲気から、翔は遠征隊の中でヒロと同じくらい彼を気に入っていたのだった。


「おーおー、キラも一緒か。何やってんだ? お前ら」


 と、今度聞こえてきた声は、そのフレボーグの身に隠れたその男のものだった。最もその男は意図してそのフレボーグの身体の陰に隠れている訳では無い。その身体が小さすぎてのだ。フレボーグの中肉中背な身体にすっぽりと収まるその男の身長は、正味一メートル半程であった。


「……あ? 今お前、俺のことチビって思っただろ?」


「い、いやいや、まさかそんな!」


 その男にそう嫌疑の目を向けられて、慌てて翔はそうその場を繕う。


 その小柄な男も遠征隊に所属していた。その名はベイリー・グレイ。その名前から推測される通り、彼はフレボーグと兄弟であった。最も……


 ──毎度思うんだけど、が兄の方だなんて、普通思わねぇよなぁ……。


 そうして翔が見つめるのはベイリーの方である。つまり、弟であるフレボーグよりも身長が二十センチほど小さいながら、ベイリーの方が兄ということとなる。改めて翔はその奇妙な兄弟をまじまじと見つめていると、またもやその小柄な兄にふっかけられる。


「……んだよ、人のことジロジロ見て」


 そう口を尖らせるベイリーの顔を見て、そしてその視線をその髪まで上げてから、翔は思わず笑って答える。


「いやぁ……。リー先輩ったら、身長も弟のビー先輩より小さくて、しかも髪の色まで違うだなんて。マジでビー先輩と兄弟なんですよね?」


手前てめぇ! ぶち殺すぞ!」


 その翔の言葉に思わず憤慨するベイリーの髪の色は、茶髪のフレボーグと違い少し暗い金色に染まっている。


「何度言えばいいんだ! この髪は染めたんだっつーの!」


「あーはいはい、そういうことにしときますよ、先輩っ」


 なんとかその笑いをそう収める。その翔の言葉にまたベイリーは翔を組み伏せシメようとするが、それをフレボーグは「まあまあ」と宥めながら必死に止める。その様子を見てもやはり翔にはフレボーグの方が兄のように見えて仕方なかったのだが、その事はさておいて翔は話題を逸らす。


「……あ、そういえば先輩方、アンリを見かけませんでした? ちょっと用があって探してるんですけど……」


 その翔の言葉に、フレボーグはどこか納得がいったようになってから返す。


「ああ、多分あいつなら今はコハルちゃんのとこにいるぞ。最近しょっちゅう入り浸ってるんだ」


「ホントですか! ありがとうございます!」


 ダメ元で尋ねたその質問にまさか有益な情報が返ってくるとは思っていなかった翔は、驚きつつもそう感謝を口にする。その言葉にフレボーグは穏やかに笑って返した。


「どういたしまして。ほらほら、遠慮もいらないから早く行ってこいよ、アンリのとこに」


「うっす! 失礼します」


 そうして走り出す翔に、フレボーグは何か思い出したようになってから「カケル!」と再び呼び止めて言った。


「最近、頑張ってるな。凄いと思うぞ。この調子で頑張れ!」


 そのフレボーグの賞賛エールに、翔は拳を挙げて答える。


「はい!」


 そうして走り去る翔の姿をしみじみと見て、フレボーグは呟く。


「……なぁ、兄さん」


「あ? どうしたフレビー」


 その弟の呟きに、兄であるベイリーはその特別な愛称で返す。遠征隊では咄嗟の指示の時などのために全員短い愛称ニックネームを持っているのだが、その時その場所においてはその兄弟はその名前を使うことは無かった。


「……もし、俺が死んだらさ」


 と、次に発したそのフレボーグの言葉に、思わずベイリーは言葉を遮って答える。


「おい、おい! 突然何の話をしてんだよ! らしくねぇぞ!」


 そのベイリーの焦った様子に、自らが兄にどれだけ愛されてるかを改めて実感しながら、フレボーグは続けた。


「……いや、これは大事なことなんだ、兄さん。聞いてくれ」


 そうして神妙な口調で、フレボーグは続けた。


「……もし俺が死んだら……」


 その先の言葉の真意を、それを聞き遂げたベイリーはそれから三年ほど後に理解することになるのだった。



 ********************



 そうしていよいよ目的地が定まった翔は、基地内を走っていた。


 ──にしてもあいつ、コハルの所なんかにいたのか……。


 遠征隊の先輩から貰ったその情報は、翔にとって意外なものであった。翔が探しているその少女は、その偏屈な性格のためかあるいは単に彼女が変人なためか、翔と同じく決して友人の多い方ではない。その為その少女と同年代のコハルと一緒にいることが、少し奇妙に思えたのだった。


「……まぁ、会って聞いてみればいいか」


 そうして翔が辿り着いたのは、食堂の脇にある小部屋だった。母親が配給担当であるコハルはよくその部屋に篭っていた。ともなればそのコハルと一緒にいるその少女も、その部屋にいるはずだ。


 ふと隣を見ると、そこまで共に走ってきたキラはどこか緊張した面持ちだった。その顔はいつもと変わらず平成を保っているように見えたが、翔はその様子にどこか違和感を感じたのだった。その違和感に加えて、先程から度々その視線を泳がせているのを見る限り、どうやらキラは緊張しているようだった。


 ──まぁ、無理もないか。


 キラにとっては、これから会うことになる少女は最初の友達となる人間なのだ。およそ十年間、その体質のため友達のいない冷たい外の世界で過ごしてきたキラにとって、友達というものは憧れの存在であるのと同時に未体験の怖いものなのだ。ならばこれからその友達候補に会うという今、彼が緊張しているのも仕方の無いことのように翔には思えた。


「……キラ、準備はいいか?」


 念の為翔はキラにそう問い掛ける。その言葉にキラは慌てて頷く。その様子を見て、翔は少し笑ってから改めてその部屋の扉に向き合う。


 そうして翔がその扉に手をかけようとしたその時、その部屋の中からうぃーんと、何か金属音のようなものが聞こえてきた。


「あー……、やっぱりここにいるのは間違いないか」


 そのいかにも機械的な効果音から察するに、またその少女はなにか訳の分からないものを作ったらしい。翔は改めてその少女の変人っぷりにため息をついてから、再びその扉に力を入れる。


 一応ひとつノックをして、「入るぞー」と声を掛けてから翔はその部屋に入った。


 その直後、翔は思わず息を飲んだ。


「──!?」


 その部屋が、鉄臭い赤い液体で真っ赤に染まっていたのだから。

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