六回表「希望の風」①

 寝返りを打つたびに痛い痛いと思っていた木箱ベッドも、寝れば都。

 今ではすっかり体の節々に馴染み、快適な睡眠を連れてきてくれる。

 ふと、このまま永遠に眠ってしまいたい衝動にすら駆られるが、現実はそう甘くない。

 実は数分くらい前から、隣で誰かがちょっかいを出しているのだ。


 ピタピタ……ピタピタピタ……。


 頬に伝わる重厚でヒンヤリとした感覚――。

 前に一度どこかで体験したような気がしたが、どこか本能的に恐怖と戦慄を覚えるものであることに変わりはない。

 しかし、今日の俺にはそれらを跳ね返す睡魔と疲労と言う最大の盾があった。

 

「これだけやってまだ起きぬとは……。やはりミリッツァの言っていたあの大技を使うしかないのか? いや、だが、しかし……」


 誰かは何やらブツブツとひとりごとを並べた後、次なる行動へと出る。


「すべてはキサマが悪いのだ。我の心を惑わすようなコトをするから――」


 急に体重がかかったのか、木箱ベッドがきしむ。

 まぶたを閉じていてもかすかに分かる、覆い被さる影。そして、さらに近くなった記憶に新しい艶やかな香り。

 迫る気配は、俺に対して何かをしようとしているようだ。

(何かってなんだ……?)

 疑問に感じている暇もなく、俺の左頬辺りに向けたった一度だけ優しくスタンプを押す感覚が広がった。

 指の類ではない。例えるなら、マシュマロのような甘美で柔らかで温かいモノ……。

 人の体の中で、こんな幸せな感触を宿すことができる場所がはたしてあっただろうか――?


「くっ。あやつ嘘をつきおったな! 全く起きないではないかッ……いや待てよ。まさか、する場所が悪かったとでも言うのか!? しかし、あとする場所なんて他には……」


 ごくりと言う大き目の唾を飲み込む音が俺の耳元で響く。


「ふ、ふざけるな! だ、誰が好きこんでキサマなどと! くそっ、こんなに穏やかな顔をして眠りおって。そんなに隙だらけだと何をされても知らんぞ……?」 


 息を大きく吸い込んだ誰かは、先ほどよりもさらに密着するように覆い被さってきた――。


 ◇◆◇


「まさか遠征のメンバーに私たちが選ばれるなんてね。日頃の行いのせいかな」

「世の中、見てる人は見てるってコトですわね」


 早朝、ミシェルとサラは指定された集合場所である詰所の設備倉庫へと早足で向かっていた。


「それにしても、見せたいものがあるって団長は言っていたけど……いったいなんなんだろうな?」

「あの硬派なジゼル様のコトですから、きっと団員の装備ですわ。毎日の鍛錬で武器も防具もだいぶくたびれていますからね」

「その可能性は十分あるな。しかし団長は、私たち部下への気配りも常に欠かさないでいてくれる。本当にありがたい限りだ」

「おまけに見目麗しく利発。規律には少し厳しいところもありますが……それもまた魅力的なところでもありますわね」

「そして何と言っても剣の腕も立つ。ああっ、私もいつか団長のようになりたいなぁ……!」

「そのためには、今回の遠征でせいいっぱいアピールしなくてはなりませんわね!」


 詰所の地下へと進む途中、ふたりは姿勢を改め、気持ちの襟を正す。


「それにしても、紛争まで残り7日か」

「思えば、あっという間でしたわね」

「団長には入隊前から世話になっているからな。恩返しの機会が刻一刻と迫っているかと思うと、気が気じゃないよ」

「右に同じですわ」

「ところでサラ。この設備倉庫って今はたしか――」

「ああ。サワムラさんが使っているはずですわね」

「だよな。じゃああれか、やきう外交とやらの進展もあったってコトなのかな」

「とにかく、まずは話を伺ってみましょう」

 

 ミシェルとサラは昨日、ジゼルから直々に遠征同行を打診された。

 本来ならば先輩メンバーが務める役目ではあるのだが、リゼットは足首の捻挫が原因で、ミリッツァは別の用があるとかで辞退している。

 そこで駆り出されたのがこのふたりだった。

 補欠的な扱いであるとはいえ、嬉しいことに変わりはない。

 だからこそ、地に足がついていなかったのだろう。はやる気持ちが思わぬ凡ミスを生むこととなる――。


「団長! 大変お待たせいたしました。ミシェル・アジャーニ、到着です」

「サラ・ラグレーン。右に同じ!」


 入室とともに深々と頭を下げ、挨拶もバッチリ!

 きっと、ジゼルはそんなふたりを見、軽く微笑みながらよくきたな、なんて優しく声をかけてくれる……そんな展開を期待した。

 しかしいざ顔を上げてみると、そこには驚きの光景が広がっていた。


 中腰の姿勢で優雅に髪をかきあげたジゼルの横顔が、木箱ベッドに横たわるショウの顔と密着している――?


(えっ……? だ、団長はサワムラといったい何をやっているんだ!?」

(あらあらあら。これはまさかいわゆるアレでは……!)

(私たちには、異世界から来た男には警戒するようにと言っていたのに、まさか見せたいものって……?)

(紛争を控えているとは言え、そして団長とは言え、ひとりの女性であるコトには変わりはないってコトですわね……)


 ミシェルとサラが思い思いの考えと妄想を張り巡らせるなか、ようやくふたりの気配に気付いたジゼルが、ハッと顔を上げる。


「お、お前たちっ! いつからそこに!?」


 常に冷静沈着で隙を見せないあのジゼルが、目を見開き顔を真っ赤にさせて、駄々っ子のように両手をぶんぶんと振っている――。

 あまりにも違う普段とのギャップを前に、ミシェルとサラは返事も忘れただぽかんと立ち尽くすだけだった。


「い、いきなり入ってくるやつがいるか! 部屋を開ける前にはちゃんと扉を叩けと教えたはずだろう!!」

「「は、はひっ! 申し訳ありませんでしたッッ!!」」

「仕切り直しだ! 1分後に出直せ!」

「「しょ、承知しました!!」」


 そんなやかましいやり取りをしていたら、さすがに夢の中にいた俺も現実へとバックホームする。


「さっきから何を騒いでるんだ……って、ジゼル!?」


 先ほどまで見ていた夢は、温かくて、柔らかくて、良い匂いがして、どこか幸せなものだったと記憶している。

 しかし目を覚ますと一変、目の前には鬼の形相をしたジゼルが仁王立ちをしていた。


「い、いつからそこに!?」

「ほんの一時間前だ」


 表情はもとより、刺すような彼女の口調に俺の背筋は凍りつく。


「だいたい、キサマは我に対し待ってるとか言っておいてどうしてのんきに寝ていたのだ? ん?」

「そ、それは疲れていたから、つい……」

「そんな子供染みた言い訳が通用すると思っているのか? 我はな、おかげでかかんでも良い恥をかいてしまったんだぞ!」

「恥? いったいどうしたんだ?」

「う、うるさい! とにかくさっさと支度をしろ! イテマエに行くんだろう!?」

「えっ……? ってことは、野球外交の話は……」

「先日、我は遠征には同行しなかった。よって今回はともに行動し、自国に不利益が生じないか行動を監視させてもらう」

「ほ、本当か! それは助かる!!」

「勘違いするな。あくまで我は監視役だ。だから早く着替えろ」

「わ、分かった。今すぐ準備する!」

「お、おいっ待て! なんでいきなり脱ぎだすんだ!」

「なんでって、脱がなきゃ支度できないだろ?」

「またあらぬ誤解をされるであろうがッ!」

「誤解って誰にだよ」

「外で待っているミシェルとサラにだ!」

「えっ、まさかあのふたりも同行してくれるのか?」

「先ほどの失態も、きっと見られていたはず……。ああっ、我はもう終わりだ!」


 怒ったり、赤面したり、かと思えば沈んだり……。

 ジゼルって、こんなに喜怒哀楽が激しい性格だったっけ? いや、喜と楽はないんだけれど……。


「とにかく、今日の遠征にはふたりも同行させる。あやつらの質問は無難にかわせ。良いな?」

「ぶ、無難ってなんだよ……。そもそも俺にはまだ今までの経緯が把握できていな――」

「よ・い・な?」

「……は、はい」


 と言う一方通行の会話が終わる頃、控えめなノックの音と抑揚のない声が室内に響く。


「団長。大変お待たせいたしました。ミシェル・アジャーニ、到着です……」

「サラ・ラグレーン。右に同じ……」

「入れ」

「し、失礼します」


 入室の許可が出、おずおずと足を踏み入れるミシェルとサラに対し、ジゼルは――。


「よくきたな。そう構えるな。楽にしろ」


 手を差し伸べ、ふわりと微笑み返す。まるで数分前の出来事など、初めから存在しなかったかのように。


「今日は悪かったな、突然頼んでしまって……」

「い、いえ! むしろ私たちは団長と行動を共にできる機会を頂けてうれしく思っております。な?」

「は、はい。光栄ですわ」

「そうか。我も、お前たちのような部下を持てて誇りに思う。では、今日の予定を改めて説明するぞ」


 そのあまりに淡々とした会話に、俺とミシェルとサラが自然と目を合わせた。


「シュヴァル・ブランでイテマエ国へと向かう。目的は外交だ。分かっているとは思うが、外交は自ずと違う国の人間と関わる。決して隙は見せるな」

「は、はい……」

「騎士たるもの、どんな状況に置かれても慌ててはならない。常に平静を保ち行動しろ。良いか?」


 ……と、まくしたてるジゼルに、

(さっき、めちゃくちゃ慌ててたじゃん……)

 と、ツッコミを入れたい俺、他2名。しかし話がややこしくなることは必然。ここは黙って受け流した方が良さそうだ。


「そこで不本意だが……ショウの持ってきたこのやきう道具とやらを使わせてもらう」

「ちょっと待てジゼル。君はまだ野球について何も知らなかったはずだろ? 道具の使い方とか、試合の進行、決め事とか……」

「ふっ。案ずるな。我の頭の中にはそれらのすべてが記憶済みだ」

「えっ、どうして……?」

「ノエルと一緒に、門番の任務をほっぽり出してやきうに興じていたどこかの誰かさんらのおかげでな」


 唐突に鋭い視線を向けられたミシェルとサラは大きく肩を揺らした。


「ま、まさかあのとき見ていらっしゃったのですか!?」

「さぁどうだろうな。しかし、あのときのお前たちの顔は、それはもう楽しそうだった」

「や、やっぱり見ていたんですわよね!?」

「息抜きをするのはかまわん。が、任務を放棄してまでするのはさすがに規律違反だ。お前たちについての処分は、後日改めてさせてもらう。楽しみにしておけ」

「は、はい」

「ですわ……」

「ときにショウ。ここに来てからプラチナバスターズの団員何人と出会った?」

「団員? え、えーと……」


 まず、目の前で腕を組むジゼル。処分と聞いて落ち込むミシェルとサラ。

 ノエル、リゼット、ミリッツァ、ロジーヌ……。


「まだ実際に会ったことはないけど、偵察班のベアトリス、ドミニク、シルヴィと言う子たちがいるんだっけか」


 野球に必要な人数は9名。そしてプラチナバスターズは10名。試合を成立させるには十分な頭数だ。


「それと同時に、団員の中で誰がどの配置を担当したら良いか……と言うのも考えているか? 戦略面も含めて答えろ」

「戦略面……そうだな。まずノエルは、抜群に肩が良かったから……あ、肩が良いって言うのは、長距離からでも狙ったところに正確にかつ鋭い返球や送球ができるってことなんだ」

「ふむ」

「おまけに最高の腕力を誇るとなれば球速もそれに比例する。その点から判断すると、ノエルの適した配置はキャッチャーかセンターだな」

「他の者はどうだ」

「リゼットは自ら足が遅いと言っていたけど、馬を使わずに歩いて行動していたり、鍛錬にも精を出していた。足腰と体幹は強いと思う。そこに捕球能力が合わされば、ファーストかキャッチャーが適任かもしれないな」

「続けろ」

「ミリッツァは物事を先読みする能力に長けている。だから、打者の立ち位置や体の向きとかで、ある程度の打球方向を予想できるかもしれない。小柄な体型を生かすなら内野手。セカンドかショート向きだな」

「うむ」

「ロジーヌはよく転んだり、急に眠ったり……と野球に至っては不安要素の多い子だ。でもこの間初めて会った時、顔から盛大に壁に激突したにもかかわらず、彼女は涙ひとつ流していなかった。すごく根性があるんだなと思ったよ。こういう子は、フェンス際の魔術師の資質を持っているかもしれない。だから、外野手を任せると面白いと思う」

「ふぇんす際の魔術師とはなんだ? ぼーるを跳ね返す力でも使えるのか?」

「ホームラン性の打球を、フェンス……いわゆる壁によじ登って掴んで阻止する選手を言うんだよ。その華麗な動きが、まるで魔術のように見えるんだ。まぁ、ジゼルの言うボールを跳ね返す力って言うのも近からず遠からずだな」

「なるほど……」

「じゃあ続けるぞ。ミシェルはボールに対する恐怖心が少なくて、ドンドン前に出ることができるのが強みだ。おまけにボールを掴んでからのリリース……つまり投げるまでの動きも早い。二手三手先を考えて動ける選手は、是非サードかショートに欲しいところだ」

「わ、私はそんな高評価を貰えているのか!?」

「もちろん。ノエルの才能も驚いたけど、ミシェルも同じくらいにビックリしたよ」

「わ、わたくしはどうですの?」

「サラの最大の武器はバックアップ力だ。バックアップって言うのは、野手が打球を取り損ねたり、悪送球をした際、それ以上の被害が出ないように備えること。つまり、サラは縁の下の力持ち的な存在だ。こういう選手がいることで、他の選手がさらに積極的に動くことができるようになる。よって、外野手が適任だ」

「たしかにそうだな。サラが後ろにいてくれるからこそ、私も積極的になれる」

「そこまで褒めて頂くとさすがに照れますわ。それにしてもサワムラさん、わたくしたちのコト、よく見ていますわね」

「人にはそれぞれ個性がある。同時に、野球の配置だって向き不向きがあるはずだ。そこをうまく見極めるか否かでチーム本来の持つ実力に大きな差が付く」

「同感だ」


 それまで、短い返答と相槌を打って話の先を促すだけだったジゼルがようやく口を開く。


「よくここまで我々の特徴を調べ上げたものだ。単なるにわかだと思っていたが、やはりキサマはどこか違うようだな」

「ただ野球が好きなだけだよ。だから何としても野球外交を成功させて、紛争を解決に導きたい」

「初めて聞いた時はずいぶんとふざけた話だと思ったが……。本気なんだな?」

「俺はいつだって本気さ」

「……」


 宝石のような青い瞳からはもう、以前のような敵対心や不快感などは感じない。

 俺たちはしばし見詰め合った後、ジゼルは大きく片手を振りかざして叫ぶ。


「ミシェル、サラ。5分後に西門前に集合だ。エスポワールの準備を整えておけ!」

「はっ、承知しました」

「がってんですわ」

「ショウは身支度を整え、やきう道具一式を持って同じく5分後に西門に来い。良いな!?」

「ああ!」

 彼女の鶴の一声によって、皆一斉に動き出した――。

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