15.入水

 翌朝、ツェンリャは青くきらびやかな花嫁衣裳に、装飾品をじゃらじゃらと付けさせられた。髪も結い上げられ、クワリに戻るのかという夢想を一瞬抱く。だが、手足の自由を奪う拘束具が、ツェンリャを現実に引き戻す。拘束具の端には錘までついていた。一方、アスコラクは尼僧のような質素な着物に着替えさせられた。舟は四人がやっと乗れるくらいの小舟だった。行は四人だが、帰りは二人に減っているのだと思うと、背筋に冷たい物が走った。小舟はよく木の葉に例えられるように、波に大きく揺れた。沖に出たところで、祭司が酒や米を海に撒いた。海王への捧げものである。朗々とした祝詞が続く中、ツェンリャはアスコラクに抱えられるようにして、入水した。

 冷たく青い水の中に沈んでいく。この国の物語であれば、亀や魚が迎えに来てくれるはずだがそれらの姿は一向に見当たらなかった。やがてツェンリャの口から大きな気泡が吐き出され、苦しそうにもがいていた顔が一瞬穏やかになる。水死する者が見せる死に際の顔だ。これではツェンリャは夫を持たずに死んでしまう。アスコラクがそう思った瞬間、海中が渦を巻いてツェンリャとアスコラクの体を包み込み、海底へと引きずり込んだ。アスコラクはツェンリャの体を抱いて海底へと誘われた。急に気泡が渦となって辺りの視界を奪ったかと思うと、そこには宮殿があった。珊瑚や瑠璃、貝や金で見事に装飾された宮殿だ。ツェンリャとアスコラクの元に、その宮殿から二人の女が迎えにやって来てツェンリャとアスコラクのそれぞれの手を引いて宮殿へと泳ぐ。いつの間にか大きく赤みがかった魚たちが口に鈴蘭のような照明を口にくわえ、上下左右も分からない水中を道案内していた。それは夜空に大きなランタンを無数に飛ばした時のように幻想的な光景だった。

 ツェンリャとアスコラクは別々の部屋に通された。拘束具を解かれてもツェンリャには不安の表情が滲む。ツェンリャはクワリとして選ばれたときよりも豪華な衣装に袖を通す事になった、地上では見たこともない美しい色の生地を使った衣を2人の女性が着せてくれる。髪を高く結い上げ、真珠や珊瑚で飾りつけ、金の冠を被った。ツェンリャの心にわずかな優越感が起こった。今のクワリは所詮小さな島国の女神だ。その金の冠は薄っぺらで服の生地もごわついていた。それに比べてここの冠はずっしりと重く、生地は滑らかで美しい。品のある侍女たちが化粧をしてくれると、見違えるほど自分が光り輝いているようにツェンリャは思えた。輿にこそ乗せられなかったが、肌触りのよい青い絨毯の上を歩くと、その度に真珠や貝の首飾りがしゃんしゃんと音をたてた。


「今から奥方様がお会いする方が海王様です。ここでは海王様が定められた掟に従い、皆が生きています。直々にその掟を聞いたが最後、破った者は藻屑となりましょう」


一人の侍女がそう言ってツェンリャが表情を硬くすると、もう一人の侍女がおっとりとした声で笑いながら言った。


「大丈夫ですわ。そんなに難しいことではありません。特に奥方様はこれまでの奥方様よりもご立派とお伺いしています」


「これまでの?」


「その言葉遣いはお止め下さい。貴女様はご自分のお立場を考えて言葉をお選びになるべきです」


右に控える侍女は顔つきどおりのきつい物言いだ。


「ご命令くださいませ。ただ上から下にものをおしゃって下さい」


左のややふくよかな侍女はまた穏やかに笑った。ツェンリャは咳払いを一つして先ほどの質問を言い直した。


「これまでの、とはどのようなことじゃ?」


王妃が使う言葉など、想像の域を脱しない。クワリだったときには沈黙が原則とされていたからなおの事である。しかし案外この言葉遣いに二人の侍女は満足したような顔つきになった。


「些細なことに動じない方と伺っております。」


「後は王にお伺い下さい。王に対しても誰に対してもこのようにお話下さい」


「私の連れはどこじゃ? 私の侍女はあの者にして欲しい」


「承知しました。王妃様」


「あの者の所に先に参りましょう」


そう言って通された別室には、ここの侍女たちと同じ衣装に着替えたアスコラクがいた。アスコラクの女性であっても精悍で整った顔立ちは目を引く。きっと何を着てもよく似合うに違いない。


「黒飛天、様」


ツェンリャは他の侍女たちに気を使って、遠慮がちに様をつけてアスコラクを呼んだ。アスコラクはツェンリャが着替えている間に教えられたとおり、ここの侍女の礼に従ってツェンリャの足元に腕を組んでひざまづく。何をやってもアスコラクは絵になると、ツェンリャは自分の演技が恥ずかしく思えた。


「お綺麗になられましたね。このたびの婚儀、お喜び申し上げます」


「王妃様はお前を専属の侍女にと申しつけじゃ。それと、ここでの掟を王妃様と共に王より聞かねばならぬ。ついて参れ」


右側の侍女の物言いに、ツェンリャは思わず口を開いたがアスコラクは「は」と短く答えてツェンリャに首を振った。


「王より拝命できる掟とあらば、恐悦至極に存じます」

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