12.結婚の条件
アスコラクの脳裏にひらめくものがあった。部外者を受け入れ、共に暮らすために機能する何かがここにあったと考えられたからだ。
「ベールの他に継承されているものはないか?」
「ベールの他にも母や祖父母の代からあるものはあります。しかし曾祖母の代からと言いますと……」
スカリィは困惑の表情を浮かべる。分からないのではなく、多すぎて何から話せばいいのか悩んでいるといった様子だ。
「では、ベールが次の代に譲渡されるのはどんなときだ?」
アスコラクは業を煮やしたように言った。アスコラクにしては珍しい言動だった。やはり体はアトラジスタの影響を完全に脱してはいないのだろう。
「結婚です」
今度ははっきりと答えた。自信すらうかがえる語り口だった。スカリィはアスコラクに促されることなく続けた。
「正確には結婚を申し込むときの条件なんです。女は美しいベールが作れること、というのが」
同じ黒いベールでも、この土地によって価値付けがあるのだ。子どもがベールを着ずにいたことをアスコラクは今更になって思い出す。おそらくベールが女の全身を包むことから女性の心身を相手に与え、子孫繁栄を約束するものだ。ではその見返りに男は何を女性に与えるのだろうか。女に結婚の条件があるからには、男にも何らかの条件が課せられている可能性が高いと、アスコラクはよんでいた。
「男の結婚条件は?」
「男は家です」
またもやスカリィがはっきりと即答した。どうやら「結婚条件」については自信があるようだった。スカリィが続ける。
「男は家の外を創り、女は家の中を造ると言われています」
「家を所有することではなく、家の外を創る?」
妙な言い回しで、何となく違和感があった。そのためアスコラクはわずかに眉をひそめた。
「はい。ここでは家の外壁などの修繕は男の人の仕事ですから、そういうことではないかと思います。中を造ると言うのは、子どもや衣装や食事を作るのが女性だからだと聞いています」
「聞いている」という事は、やはりスカリィ自身の言葉ではないという事だ。そしてそれは、代々継承されているというよりもアトラジスタそのものに伝わる伝承のようなものなのだろう。
「仕事か。そういえば男の仕事は何だ?」
まさか、天使を連行して売りさばくなどという仕事が成り立つとは思えない。もちろん、町人全員が左官をやっているわけでもないだろう。自己消費して仕事がなくなってしまう。漁は行われているにしても、それだけでは暮らしていけないだろう。アスコラクは初めて見た市場の様子を思い出す。小さな川魚が数匹並んでいた。川魚は種類がバラバラで、量もそれほど多くはなかった。川漁を行う者がいるのだろうが、大規模な集団での漁は行われていないのだろう。一方、食用や卵が獲れる鶏や、乳を出す山羊、根菜類などはどの店にも多かった。その場で調理したものを提供する食堂のような店もあった。調理したものは手間がかかる分高くなる。それでも時間を惜しんで対価を払うということは、漁以外の何か別の仕事があるのだろう。
「ここはアトラジスタ。東の石の都です。鉱夫の町ですから」
初めてスカリィが楽しげに笑った。
「確か今日あたりから出かけるはずですよ」
スカリィは窓の外を指差した。アスコラクは厚いカーテンを開けて窓の外に目をやった。窓の外の遠くには、赤い土煙が見えた。
夜が明けていたことに、アスコラクは今気が付いた。
◆ ◆ ◆
イネイは蝶の姿に戻って馬車の荷物に紛れていた。馬車と言っても優雅でも綺麗でもない。駄馬を三頭つなぎ、野ざらしの車を引かせている。アトラジスタの男たちが芋のように押し込まれ、ひどく臭かった。イネイが隠れた荷物には鶴嘴やスコップだけではなく、麻袋や何に使うのかも分からない鳥籠に入れられた小鳥なども積まれていた。アスコラクを見て手にしたのは、彼らの仕事道具だったのだ。男たちは口々にこれから向かう仕事に対する不平不満を漏らしていた。
「今日からまた仕事か。いつ休みになるんだ?」
溜息と同時に男が弱音を吐いた。
「あまり金にならない」
「最近は外から安い物が入って来ているからな」
「でも、粗悪品が多いって話だぜ?」
「だから、それをアトラジス産だって言って売る奴らがいるらしい」
「何だって? それじゃあ、こっちの信頼ガタ落ちじゃねぇか」
「ここで怒っても仕方ないだろ。俺たちにはこの仕事しかないんだから」
しばしの沈黙があった。
「それにしても、昨日は驚いたな」
夢を見ていたように、一人の男がつぶやく。
「本当にいたんだな。天使なんてものが」
「今、どうなってる?」
「地下牢だそうだ」
「醜女だな」
「ああ。西ではあんなものが美しいらしい」
「本当かよ?」
男が顔をしかめて笑った。
「理解できないな」
耳を澄ましていたイネイはこの会話から、混乱を招くことを危惧して、まだ一部の人にしかアスコラクの逃亡が知られていないのだろうと思った。それでもアスコラクがアトラジスタに降り立ったことは、大きな話題となっていた。美的感覚が違うのか、イネイが美しいと思うアスコラクのことを「汚い」とか「醜い」とか、批判する者が多かった。イネイは白いアスコラクに肩入れする気はないが、自分の主を悪く言われるのは気分のいいものではなかった。
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