16.ボォルガチ

 夜が明ける頃、プラビェルのもとをクランデーロが訪れた。窓に施されていた黒いカーテンは外され、プラビェルのベッドには、朝のさわやかな日の光が燦々と降り注いでいた。プラビェルの頬にも腕にも日の光が当たっていた。手を組んで穏やかに眠る姿は、彫像のように美しかった。


「グネフ、は?」


クランデーロにの気配に気付いたプラビェルは、うっすらと目を開けた、そう言った。


「わしの所に来たよ。それより、お前さんの血から作った薬だ」


プラビェルは五年間、人の血で生きた。今から普通の人間に戻っても、動けなかったり食事が不便だったりする。本当はプラビェルの呪いを解いてやりたかったが、クランデーロの腕をもっても難しかった。この血は呪いがかかって間もないプラビェルの血をクランデーロが加工した物だ。おそらくプラビェルを元気にしてくれるが、副作用がどのようなものかは分からない。


「飲むかどうかはお前さんに任せる。だが今のままではただの風邪が命取りだ」


唯一の食事であった血をわずかしか飲んでいなかったため、免疫力も体力もなくなっていたのだ。


「グネフは、何処へ行ったんですか? 約束したんです。必ず、必ず、帰って来るって……!」


プラビェルは自力で起き上がり、クランデーロにすがった。しかし、クランデーロは眉間にしわを寄せて首を左右に振った。


「グネフは、死んだよ」


正確には生きているが、プラビェルの知るグネフは死んだ。プラビェルはベッドの上に腰掛け、固く口を結んだ。五年前、故郷の外れの丘の上でグネフに出会った。あの時話したことやグネフの歌と涙を思い出す。プラビェルはクランデーロが置いた薬を見た。


「彼は、生きています」


プラビェルは凛とした声でそう言うと、プラビェルは薬を飲み干した。今まで力が入らなかった身体中に、力がみなぎる。疲れも抜けて頭が冴えた。


「五年前、今年中に私とグネフは死ぬと分かっていました。グネフは私の見た夢を変えようとしてくれました。だから、私はグネフが見ようとした未来を生きようと思います」


「そうか。なら早くこのカーメニから出ると良い。グネフの思いを汲むなら、尚更な。最後にグネフは言っていたよ。お前さんの事を頼むと」


「そう、ですか……」


プラビェルは震える声で答え、目尻を拭いた。


「行く宛はあるか?」


「アトラジスタを考えています。ボォルガチでもしながら、お金を作って。歌には自信がありますから」


プラビェルは白い歯を見せて笑った。歌だけは絶対の自信がある。これは嘘ではない。何と言ってもグネフが歌っていた歌を聞いて、五年間も過ごしていたのだから。


「アトラジスタか。東の石の都だが、文化が大分違うぞ。途中まで送ろう。いくらか薬とお金を持っていけ。東にはボォルガチがないが、西を抜けるまで商売敵が多いだろう」


「そうなんですか」


プラビェルは改めてクランデーロの博識ぶりに驚いた。そしてプラビェルは強い光を宿した瞳でクランデーロを見つめた。


「クランデーロさん、薬の代金です。私は昨日、貴方が死ぬ夢を見ました。貴方は近いうちに、殺されるでしょう」


クランデーロは、プラビェルとわずかな時間見つめ合い、窓の外に目をやってから伏し目がちにうなずいた。「死ぬ」ではなく、「殺される」という言葉の意味の違いを、クランデーロは一人、かみしめる。長かったな、と。


「そうか。ありがとう」


クランデーロは安堵の表情を浮かべていた。


「さあ、急ぐぞ」


そう言って扉の外に誘うクランデーロの姿がグネフに重なった。プラビェルは笑顔で頷いて、クランデーロに続いた。ふわり、とタンポポの香りが鼻腔をくすぐった。プラビェルの家の周りにだけ、タンポポ畑ができていた。それはグネフとの秘密の花園だった。


「わぁっ……!」


プラビェルは思わず両手で口を覆って、声をあげていた。日当りの少ない奥まったそこは、砂や埃が溜まりやすかったのだろう。石畳の隙間という隙間に、びっしりとタンポポが咲いていた。


「ありがとう、グネフ」


プラビェルは大粒の涙を流して笑った。そこには二人で過ごした時間が凝縮されていた。黄色い小さな花が空に向って背を伸ばし、我先にと咲き誇っている。プラビェルはそこから一輪のタンポポを摘み取って、自分の髪の毛に挿した。ナチャートとは悲しいお別れをしたが、今回は違う意味を持っていたのだ。プラビェルは一輪の希望と共に足を踏み出した。



 クランデーロ自身、グネフに対して苛立つ自分に気付いていた。同族嫌悪だった。グネフは若い頃のクランデーロに似ていたのだ。だからグネフには自分が選べなかった未来を見て欲しいと願っていた。しかしグネフはクランデーロと同じく身を滅ぼす道を選んだ。ただクランデーロと違っていたのは、自分が死んで破滅した後に、愛する人には光さす道を残せた事だ。運命すら変える可能性をグネフはプラビェルに残している。そうする事で、心をプラビェルと寄り添わせた。クランデーロは朝日を浴びて歩くプラビェルを見て、目を細めた。


                                   <了>

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