第27話 ヤナギ




 三毛猫をかごに乗せて、全力疾走。

 揺れる心を振り払うため風を切った。

 漕げば漕ぐほど、痺れるような冷気が容赦なく私の体を切り裂く。


「のろいのう、ぬか漬け娘。もっと馬力を出してみい」

「うるさいですあけび様。これ以上スピードだしたらあけび様が吹っ飛びますよ」

「小娘が。なめるでない。例え飛ばされようが華麗に着地してみせるわ」

「飛ばされはするんですね」

「お主には無理じゃろうがの」


 あけび様の高笑いがビニールハウス通りに木霊する。

 角を曲がればお店があって、千秋さんが開店準備をしているはずだ。


「あれ? もう車がある……」


 角を曲がって見えた駐車場に、一台の車があった。


「お客さんかな」

小倅こせがれのじゃな」


 噂のお客人、か。

 磨き上げられた車体を眺めつつ、ブレーキをかけてママチャリを近くに止める。


「あ、これ高いやつだ」


 深緑色のメタリックなボディに、真っ白なルーフ。

 丸っこいヘッドライトの近くに特徴的なストライプが二本。

 車には植物よりも疎いが、多分これはこだわる人が乗るアレだ。

 好きな人にはたまらないアレだ。

 お値段の張るアレだ。

 間違いない。


「傷つけないようにしよう……」


 ちょっとだけママチャリを遠くに移動して、私は店へと歩いた。


「おはようございまーす」


 自分に喝を入れるように、からんからん、と元気よくドアを開ける。


「おい小倅! おるか! 儂じゃ! あけび様が来てやったぞ!」


 あけび様はするりと店内に滑り込み、威勢よく叫んだ。

 小倅さんもどうやらあけび様の秘密を知っているらしい。


「へいへーい。小倅はここですよー」


 二階に続く階段を二人分の足音が降りてくる。

 先に通路から顔を見せたのは千秋さんだった。


「おはよう、すみれちゃん。あけび様も、おはようございます」

「おはようございます」


 今日のハイネックもよく似合っている。

 そして。


「お久しぶりですあけび様。と、君がすみれちゃん?」

「はい、えっと……?」


 続いて現れたのは明るい髪色の男性。

 両耳にシルバーのピアスが光る、やんちゃな印象の同年代男子だ。

 もしかしたら、ちょっとだけ私より年上かもしれない。

 格好は軟派な大学生だけど。


「どーも。ヤナギって言えばわかる?」

「ヤナギ……あっ」


 ヤナギ。

 いつもタメ口でメッセージを送ってくる人のアカウント名だ。

 私が間に入って千秋さんと会話しているあの、ヤナギさんだ。

 たまにナンパしてくる相性の悪いあの人だ。

 うわぁ。


「わかったな。そのヤナギこと柳瀬慧やなせけいがこの俺。毎度毎度千秋の代わりにごくろうさん」

「おい、小倅! 儂を無視するでない!」


 強引に割り込んできたあけび様は、ポップコーンのはじけるような音と共に人型に化ける。

 麗しい射干玉ぬばたまの髪を不服そうにかき上げて。


「挨拶くらいさせてくださいよー、あけび様。こんな素朴系の子、今時天然記念物なんですからー。ねぇ、すみれちゃん?」

「もしかして、貶されてます?」


 素朴系ってなんだ。

 地味顔の不細工を遠回しに表現しただけじゃないか。


「いいや?」


 ヤナギさんはニヤっと薄笑いをした。

 この人、外面に相応しい性格を兼ね備えていらっしゃる。

 知ってたけど。


「ぬか漬け娘の顔なぞ赤子の時から珍妙じゃったわ。こやつの顔面なんぞ今はどうでもいい! 小倅、儂に渡すものがあるじゃろうが!」

「へいへい、ありますよー。今回は九州の地酒っすよー。しかも二種類!」


 レジカウンター内を漁り、ヤナギさんは一升瓶を二本両手に掲げて見せた。

 見たこともない日本酒の瓶に、あけび様は目を見開く。


「ほああぁぁぁ! お前は気が利くの! さすがは柳瀬の小倅じゃ!」

「どーもどーも」


 ヤナギさんから一升瓶を奪い取り、うっとりと頬ずりする大正浪漫の美少女。

 犯罪の香りがする。

 でもまぁ、猫にお酒を飲ませるよりはまだマシ、かな。


「あのぉ、僕そろそろ開店準備したいなぁ」


 千秋さんが遠慮がちに主張する。


「儂は虎鉄と寝る。起こすでないぞ」

「冷蔵庫は漁らないでくださいね」

「ふんっ、指図するな」


 一升瓶を抱えたまま、あけび様はすまし顔で通路先の二階へと消えていった。


「ありゃまた食い散らかされるぞ。いっそ冷蔵庫にキャットフードでも入れとけば?」

「あんな缶詰見せたら、猫パンチじゃすまないって。あけび様の爪、痛いんだよ……」

「お前が猫の爪程度で怯えるとか笑えるんですけどー」

「うるさい口を慎め」

「……お二人とも仲良しなんですね」


 千秋さんの口からキビシイ言葉が飛び出したのには驚いた。

 でも、なんとなくこう、ふざけ合っている男子高校生の香りがする。


「わかる?」

「わからないで! こいつとはそういうのじゃない!」

「えー、千秋ひでぇー」

「だからうるさい!」


 ほら、こんな掛け合いクラスの男子がやってた。


「邪魔するならつまみ出すよ」

「つまみ出してあとあと困るのはお前だけどな」

「うっ……あーもー」


 苦い顔の千秋さんは眉間を押さえた。


「女の子いるってだけでテンション上げやがって。うちの店員に手出したらタダじゃおかないからね?」

「ん? すみれちゃん若く見えてもう人妻だ、ふぐぇっ」


 ヤナギさんの脇腹にグーがめり込んだ。

 どうしてだろう。

 ヤナギさんにすみれちゃんって呼ばれるのはあんまり気持ちよくない。

 人妻などと聞き捨てならない単語まで飛び出して、複雑な心境だ。

 悪い方向に。


「あの……」

「いてぇ……でも手加減はするのな」


 腹を押さえて蹲りながら、ヤナギさんは千秋さんを見上げる。

 涙目で震えているあたり、かなり痛かったらしい。


「次はしてやらない」

「やめろって、冗談抜きで」

「あのぉー、開店準備、しませんか?」


 置いてけぼりが寂しくて、挙手しつつ提案を述べた。

 ヒートアップした二人に聞こえるのか甚だ不安ではあったが、どうにかこうにかこちらを向いてくれる。


「っと……ごめんごめん。もう時間だし始めようか」

「うわ、猫被った」


 ヤナギさんはすっくと立ち上がり、また茶々を入れてくる。


「黙ってろ」


 蒸し返そうとして一刀両断。

 再度握られた拳にヤナギさんは後ずさった。

 この二人、学生時代の同級生とかその辺だろうか。

 なかなかなの仲良しさんである。


「へいへい。俺は退散しますよっと。精々若いお二人でお楽しみくださいだ」

「迷子になっても探しに行かないからね」

「いくら良いシダが生えてるからって、もう森には一人で入りませんよー。俺だってあれだけ怒られたら学習するしな」


 ニヤリと笑った軟派男は、ひらひら手を振りながら店を出て行った。



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