第24話 パーティー




 予定通り、私たちはおばあちゃんにブリを届けた。


 千秋ちゃんも一緒にどげ?


 おばあちゃんは千秋さんもパーティーに招待したがった。

 だが、千秋さんは頑なに首を縦に振らなかった。

 代わりにキクやユリの花束をおばちゃんに託し、店へと帰っていった。


 遠慮せんでもいいのに。


 おばあちゃんはしばらく寂しがっていたが、火にかけたままの鍋を思い出し二人で台所へ急ぐ。

 こうして、我々は残りの料理に取り掛かったのだ。

 あけび様の厳格な監視の元で。


 すべてのご馳走が出来上がったのは空が茜色に染まる時刻。

 かしわの炊き込みご飯に肉じゃが。

 ブリ大根、里芋の煮っころがし、タコの酢の物、ハンバーグ、ポテトサラダ、あら汁。最後に、ナタデココとアロエ入りのフルーツポンチ。

 ほぼおばあちゃんが作り、私は皿洗いや炒め担当だった。

 調味料はすべて目分量。

 なのにどれも味つけは完璧でつまみ食いする度感動してしまう。

 レシピ通りにしか作れない私もいつか、こうなれるだろうか。


「すみれちゃん、おてて洗ったらお墓行かいで」


 皿洗いを終え、後片付けをしてると、割烹着を脱いだおばちゃんが私を誘う。


「福さんが待っちょるけん。千秋ちゃんのごしなった花も活けんと」

「うん、すぐ支度する」


 もしかすると、また会えるかもしれない。

 僅かに期待しつつチェスターコートを羽織り、二人と一匹で家を出た。


 渡辺家の墓は鬼住神社裏手の墓地に建っている。

 まこちゃんとやしゃぶしを拾った境内横の細道を通ってすぐだ。

 墓地に並ぶのは、不規則かつ不揃いな八十余りの墓石。

 そのうち、ひと際立派なものが渡辺家のお墓だった。


「福さん、今年はすみれちゃんとご馳走をこしらえましたけんね」


 千秋さんからもらった花を活け、二人で手を合わせる。

 足元のあけび様は、どこか不服そうに顔を洗っていた。

 和音ちゃんの時ように、もしかしたら会えるかも。

 そう考えて薄眼で墓石を窺うも、おじいちゃんは現れない。

 感謝を伝えられたら、とちょっとだけ言葉を考えていたのに。


「はぐれんようについて来てくださいよ」


 こうなれば日常が続くだけ。

 茜色に彩られたおばあちゃんの横顔が眩しかった。それだけのこと。


「さぁてと。すみれちゃんもあけびちゃんも帰らいで。暗くなると怖いけん」

「にゃ」


 気怠そうに返事をするあけび様に倣い、私も短く返事をする。

 じきに夜の帳がおり、おひさまは隠れてしまう。

 あけび様は夜目が利くだろうけれど、人間はダメだ。

 来た道を三毛猫の先導で辿り、私たちは帰路につく。

 段々茜色は紫に変わり、紺から漆黒へ。

 ちょうど星が輝き始めた時刻に、私たちは料理を温めなおしてお皿に盛りつけた。

 さぁ、パーティーの始まりだ。



 *****



「あけびちゃん、美味しいかやぁ」

「むにゃっ」


 ご機嫌のあけび様がもぐもぐしているのは、ブリ大根のブリ。

 椅子に座布団を重ねた特等席で、豆皿に取ってもらった料理を堪能してる。

 猫に人間の食べ物を与えるのはよくないし、推奨しない。

 しかし、あけび様は猫は猫でも猫又様だ。

 諫める気はこれっぽっちも起きない。

 猫パンチも怖いし。


「すみれちゃんも、美味しい?」

「全部すっごく美味しい! ブリ大根はびっくりするくらい味が染みてるし、ハンバーグはふわふわだし」


 私の返答に、おばちゃんは「あらぁ」と目尻にしわを寄せた。


「すみれちゃんはハンバーグを食べとる顔が福さんによう似とる」

「そう、かな」

「んにゃっ!」


 ここで皿を空にしたあけび様の抗議が入る。


「はいはい。次はハンバーグにするけんねぇ。はい、どうぞ」


 小さく割ったハンバーグを大層美味しそうに食べる三毛猫。

 絵面だけなら癒される光景である。


「福さん、昔洋食屋で食べたハンバーグが忘れられんって、いっつも言っとったわぁ。他の料理は文句言わんくせに、ハンバーグだけはうるさくてなぁ。何度も何度もこしらえて、研究して、やぁっとお許しがでたんだけん」

「妙なところにこだわりがあったよね、福じいって」

「そげそげ。階段は必ず左足から上がらんと気が済まんっくて」


 おばあちゃんは懐かしむように目を伏せた。


「旅行にもしょっちゅう行って、時々鉢植えを買ってごしなって。優しい人だったわぁ。あけびちゃんには嫌われちょったけどなぁ。なぁ、あけびちゃん」

「まっ」


 皿を舐めていた小柄な三毛猫の体が跳ねる。

 急に話を振られたのに驚いたのだろうか。

 そのままうにゃうにゃ呟きながらイスを降り、姿をくらませてしまった。


「まぁた逃げた。福さんの話するといっつも逃げるだけん」

「確かに福じいと一緒にいた記憶ないかも」

「ほんに虫が好かんだで」


 福じいは動物好きだったし、あけび様にも優しく接していたはず。

 よく猫は女性に懐きやすいと聞くが、あけび様もそれなのだろうか。

 ……いや、私は小馬鹿にされているし、性別は関係ないのかもしれない。


「おばあちゃんは大好きなのにね」

「もう長いこと一緒におるけんねぇ」


 おばあちゃんがタコの酢の物を口にしたのを見て、私も一口。

 うん、美味しい。

 酸味はきつくないし、歯ごたえも絶妙だ。


「あけびさ、じゃなくてあけびちゃんっていつからここにいるの?」

「あけびちゃんはなぁ、私の花嫁道具なんだで」

「は、はなよめどうぐ?」


 ぽかんとする私に、おばあちゃんは箸をおく。


「ちょうど十四歳くらいだったかいねぇ。通学路の畦道あぜみちでカラスに襲われとったの。まだちぃーちゃい子猫でなぁ」


 待ってそれ何十年も前なんじゃ……。


「助けたの?」

「そげだよ。まだ動物病院も滅多にない時代だけんね。家に連れて帰って人間用の消毒で手当して、湯たんぽでぬくめて面倒見ちょったの。そげしたらみるみる元気になって、立派な柄の三毛猫になったんだけん」

「長生き、だね」


 二十年生きた猫は猫又になる。

 昔聞いた気がする、そんな言い伝え。

 当時はまだ飼育環境が現代のように整っておらず、短命なペットも多かったはずだ。だからこそ光る伝承なのだろう。

 あけび様は献身的な看護と寵愛で猫又と化した。

 おばあちゃんのお蔭で今日まで生きていると言っても過言ではない。


「体の一部みたいなもん。福さんが亡くなった後も、ずうっとそばで慰めてくれてなぁ」

「あのあけびちゃんが……」


 福じいが突然息を引き取ってから、笹森家は葬式や法事には顔を出していた。

 飛行機で一時間、あるいは新幹線を使って半日の距離。

 物理的なそれが、おばあちゃんと私たちを遠ざけていたのだ。

 だから、おばあちゃんは実質あけび様と二人暮らし。


 電話で話をするくらいしか、子供の私にしてあげられることはなかった。

 成人して、社会人になっても、ずっと見て見ぬふりをしてきた。

 なのに、おばあちゃんは私を受け入れてくれた。


「外で取ってきた花を枕元に並べるんだで。部屋が花畑みたいになってなぁ」

「ネズミや虫じゃないんだね」

「私が花が好きってわかっとってやるけん、可愛いがぁ? 春先には山桜の枝を折ってきたりするんだで」


 あけび様ったら甲斐甲斐しい。


「だけん、いつまでもめそめそしてちゃいけんと思ってなぁ。福さんとあけびちゃんに元気なところを見せんといけんけん、パーティーしちょるの。あけびちゃん、ハンバーグもブリも好きだけん、喜んで食べてくれるけんねぇ」


 ふふふ、と笑って再び箸を持つおばあちゃん。

 一人娘も孫も離れた街で暮らし、おじいちゃんまで遠くに逝ってしまった。

 お母さんは決しておばあちゃんと仲は悪くない。

 だが、仕事と家庭があって身動きが取れない。

 そんな中でたった一人そばにいたのが、愛猫のあけび様なのだ。

 あのふてぶてしい三毛猫に、私たちは全てを任せてしまっていたのかもしれない。

 押し付けてしまったのかもしれない。


 大切な人を放っておいたから、罰として声を奪われた、なんて格好つけすぎかな。

 もし、私が呪われなければ。

 もしもの話だけど、もしそうだったら、私はおばあちゃんと顔を合わせる機会を得られなかっただろう。

 未練はある。

 でも、鬼住村での暮らしは嫌じゃない。

 東京に戻れば別の道が待っている。

 それは今よりずっと煌びやかで豊かな道だ。

 両親も安心させられるし、友達とも気軽に会える。

 物と情報に首まで浸かっていられる。

 失ったものを再び手中に収められる。

 踏み外した道に、戻れる。

 ああ、だとしても私は――


「来年のパーティーも参加していい?」


 ごめんね、は噛み殺した。

 懺悔なんて伝えても、おばあちゃんは孫を無条件で許してしまうだろうから。


「次こそ千秋ちゃんも一緒になぁ。お祝いする人数は多い方が楽しいけん」

「だね。千秋さん、遠慮してるだけだと思うから」


 私もおばあちゃんも、その方が嬉しい。あけび様は……嫌がりそうだなぁ。

 まぁ、いいや。

 そもそも私だって割と煙たがられているし、気にしたら負けだ。

 あけび様の世界はおばあちゃんで埋め尽くされていて、私も千秋さんも有象無象。

 恩も負い目も感じるが、表に出してたところで鬱陶しがられるだけに違いない。


「楽しくなるわぁ」


 顔をしわくちゃにしておばあちゃんは箸を動かす。

 二人きりの食卓に、三人目の気配はなかった。



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