第22話 鰤




「あ」

「あー、そういうこと」


 小柄な三毛猫が、ふてぶてしくお座りしていた。


「わふん、わふっ」


 開けてあげて、と、早く開けい、の眼力に圧され、代表して私がドアを開ける。


「遅い。儂が凍えたらどうしてくれる」

「ご、ごめんなさい?」


 不愛想な三毛猫様は、軽やかに店内に滑り込んだ。


「寒いのぉ。氷漬けになりそうじゃ」


 大歓迎の虎徹と鼻を突き合わせてから、天下のあけび様はストーブの前を陣取る。


「せめて自分で開けて入ったらどうですか? 人の姿にもなれるのに」

「ふん。ぬか漬けのくせに口答えするでない、このちんちくりんが。鼻が酔った天狗のようじゃぞ」

「て、天狗……」


 天狗って。私が天狗って。

 涙の余韻なだけなのに。

 ……でも、猫又がいるなら天狗も実在するのかもしれない。

 ちょっと会ってみたいな。怖い人じゃなければ、だけど。


「すみませんねぇ。色々と取り込み中だったもので」

「お主らの雑事など知らぬわ。儂がわざわざ! この足で! 言づてに来てやったのに、待たせおって。けしからん」


 ぷりぷり怒るあけび様に虎徹が添い寝を敢行する。

 見事な毛玉の塊の完成だ。


「ではご用はきっちり承りますよ。冷蔵庫の中身以外で」


 丁寧に釘を打つ千秋さん。見習わねば。


「明日の昼過ぎまでにブリを用意せい。よく太って脂がのったやつをじゃ」

「またどうして突然。あけび様ブリ好きでしたっけ?」

「やかましい。常子が、すーぱー? とやらで売り切れていたと嘆いておるのじゃ! ぱーちーにはブリがつきものなのじゃ!」

「ぱーちー?」


 千秋さんは耳慣れない単語に首を傾げる。


「もしかして、明日のパーティーのことですか?」

「端からそう言っておろう! 物わかりの悪いわっぱとぬか漬けめ」


 おじいちゃんはブリ大根やあら汁が好物だった。

 寒くなった今の時期が一番美味しい。

 だけどたくさん出回る分、売れるのも早い。

 きっと来店したタイミングが悪かったのだろう。

 鬼住村は田舎で、お店と名のつくものは近隣に数件しかない。

 それに、品揃えの多い大型スーパーへは車で一時間くらいかかる。

 軽トラを縦横無尽に操るおばあちゃんでも、ちょっとしんどい道のりだ。


「常子さん、誕生日は春のはずじゃ……もしかしてすみれちゃんの?」

「いえ、私も春生まれです」

「ええっと……?」

「明日は亡くなったおじいちゃんの命日なんです。おばあちゃん、毎年命日にはおじいちゃんの好物を作っていて」

「あー、それでパーティー?」

「はい」


 ようやく千秋さんの混乱が解ける。


「どうせ店も休みじゃしな。暇な童らが適任じゃろう?」


 確かに。

 いやいや待って。

 千秋さんは違うかもしれないし。


「半身でもいいです? あと、アラと」

「一尾は食いきれんからの。構わん」

「じゃあ、遠出して買ってきます。すみれちゃんも付き合ってくれる?」

「へ? ……あ、ええと、是非ご一緒させてください」


 で行くのなら、二人で行動するのは当然。

 当然なんだけれど、一瞬頭がフリーズした。

 千秋さんと二人だけで出かけるなんて。

 しかもオフの日に。

 奥底に眠る乙女が、かすかに胸を高鳴らせる。


「よーし、決まり。僕、いい魚屋さん知ってるんだ。案内するよ」

「この辺の地理はちんぷんかんぷんなのでよろしくお願いします。に、荷物持ちくらいにはなるかと……」

「ところで童、お主切符は買えるようになったかの?」

「うっ。す、すみれちゃんがいるし買えるんじゃないですか? …ねぇ?」


 話を合わせて、といった具合の眼差しをいただく。

 そうかそうか。

 千秋さん、パソコンのほかにもダメなものがあったか。


「大丈夫です。切符なら私、買えます!」


 一応、実家から新幹線と電車を乗り継いで無事鬼住村に辿り着いた実績がある。

 地方特有の押しボタン式のドアとか、切符の手渡し方とか、もちろん切符自体の買い方も、一通りを体験済みだ。

 駅さえ指定してもらえれば、迷わせない自信がある。

 ……うん。

 いい年した大人の私になかったらかなりマズい。

 このご時世でパソコンが使えず、切符の買えない推定二十代が目の前に。

 世界の広さを痛感する由々しき事態である。

 学生時代、通学はどうしていたんだろう。

 自転車だったのかな。


「すごい! 任せた!」


 きらきらと輝く目から読み取れるのは、本当に買えないらしい事実。

 この人を一人で出掛けさせてはいけない。

 私が付き添わねば。

 乙女どころか老婆心まで刺激されるとは予想外だった。


「必ず常子の元に届けるのじゃぞ。儂は常子が包丁で手を切らぬよう見張っておるでな」

「おばあちゃん、滅多なことでは切らないんじゃないですか? 料理すっごく上手だし」

「やかましい。常子は儂がおらぬと何もできぬのじゃ! 台所仕事も、畑仕事も、掃除も、洗濯も、儂がおらねばいかんのじゃ! 孫のくせにこれっぽっちも知らぬぬか漬け風情が。恥を知れ」

「そんなに怒らなくても……」

「あぁ?」


 相手は三毛猫だが、ドスの効いた脅しに若干後ずさってしまった。


「すみません……」

「ふん。しっかり働くのじゃぞ」


 あけび様は不機嫌なまま、虎徹の毛皮の中で丸まってお昼寝の体制に入る。



 もうそっと寝かせておこう。

 万一起こしたらまたお小言だろうから。

 千秋さんと顔を見合わせて頷く。

 目を見ればお互いの考えくらい簡単に読めた。

 可能な限り物音をたてないように。

 水が毛玉にかからないように。

 この日一日の業務は、非常に肩の凝るものだった。



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