第六条(上):この五ヶ条を破らなければならなくなった時は――――。

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「ふふふ……」

 深夜、夜明けまでもう暫くといった夜更けの頃合い。とある山中の奥深くにポツンとそびえ立つ、高い塀に覆われた広大な敷地のド真ん中に据えられた巨大な邸宅。その二階の奥まったところにある私室で、ユーリ・ヴァレンタインはワイン・グラスを傾けながら手元のテーブルに視線を落とし、傍らに愛人ジェーン・ブラントを侍らせつつニヤニヤと楽しげにほくそ笑んでいた。

 テーブルの上には、ノートパソコンが開かれた状態で置かれている。機種はパナソニック製のタフブック。戦場での過酷な仕様にも耐えられる、世界一タフなノートPCのひとつだ。

 そしてその脇には、先刻あの娘――――園崎和葉から没収したペンダント。天才科学者・園崎優子の遺した形見にして、"ワルキューレ・システム"の固く閉ざされた岩戸を開く唯一の鍵、"ノートゥングの鍵"が隠された文字通りの鍵も置かれている。

「ねぇ、これから何するの?」

 ヴァレンタインの肩に寄りかかりながら、艶っぽい視線を送るジェーンが訊いた。

「念願の"ワルキューレ・システム"が、即ち世界そのものが、遂に私の手に収まるのさ」

 そんなジェーンの顎を愛撫っぽく撫で、軽くキスを交わしてからヴァレンタインはタフブックのキーボードを叩く。タッチパネル化された頑丈な液晶ディスプレイに表示されている幾つものウィンドウ、その全てが衛星軌道上に浮かぶ十数基の衛星から成る新世代の統合諜報ネットワーク・システム"ワルキューレ"へと接続した制御用のマスター・ウィンドウだった。

 暫くキーボードを叩いて操作した後、ヴァレンタインは傍らに置いてあったペンダントをおもむろに弄くり始め、そして複雑な操作の後にクイッと捻れば、底部から隠されていたUSB端子が露出する。

「これが、探し求めていた"ノートゥングの鍵"か。実際手に取ってみると、名前の割にチャチな代物だね」

 ニコニコと嬉しげに笑いながら、ヴァレンタインはUSB端子が飛び出したそのペンダント――――"ノートゥングの鍵"をタフブックのUSBポートに差し込んだ。

 また暫くの操作の後、新しいウィンドウが浮かび上がると共に"certified.(認証しました)"と新たな表示が飛び出す。和葉から奪い取った"ノートゥングの鍵"が認証され、"ワルキューレ・システム"、そしてその中核を為す光ニューロ・コンピュータを用いた人工人格"ブリュンヒルデ"に掛けられたロックが解除されたのだ。

「よし、来た来た……!」

「それで終わりなのぉ?」

「いいや、まだだ」タフブックのディスプレイを注視したまま、退屈そうに寄りかかってくるジェーンに答えるヴァレンタイン。

「これでは、まだ岩戸を開いただけに、"ワルキューレ・システム"の凍結を解いただけに過ぎない」

「じゃあ、どうするの?」

「管理者設定を強制的に書き換える」

「管理者設定?」

「そうだよ」頷くヴァレンタイン。「システム・ロックを解く以外に、"ノートゥングの鍵"には外部から強制的に管理者を設定し直す権限も与えられている。……いや? もしかすれば、園崎優子が想定した鍵の使用シチュエーションは、こういった時なのかもしれないがね」

 有事の際に、娘に託しておいたマスター・キーを使い、外部から直接"ワルキューレ・システム"を停止させる――――。

 なるほど、如何にも園崎優子の考えそうなことだとタフブックのキーボードを忙しなく叩きながら、ヴァレンタインは思っていた。

(しかし、貴女の目論見は外れてしまったようだ)

 ほくそ笑みながら、最後にヴァレンタインはエンターキーを指で叩いた。

「……ふっ」

 園崎優子が造り上げ、そして園崎雄一が文字通り身命を賭して完成させた新世代の統合諜報システム"ワルキューレ"。その管理者としてのシステム権限が、全てユーリ・ヴァレンタインの手に移った瞬間だった。

「終わったのぉ?」

「ああ。といっても管理者権限を奪い取っただけだがね。システム掌握はこれからだ。だが――――」

 そう言いかけながら、ヴァレンタインは再び手に取ったワイン・グラスをジェーンの方に掲げた。すると、いつの間にか彼女も自分のグラスを掲げている。

「とりあえず、前祝いといこう」

 カチン、と音が鳴り、二人のグラスが一瞬だけ重なり合った。

「乾杯。――――世界の未来と、私の与える祝福に」

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