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「あ痛たたたた……」

 電柱にめり込んだ黒塗りのメルツェデス・ベンツCクラスの運転席。ステアリングから飛び出したエアバッグに埋もれていた顔を起こしながら、火薬臭い車内の中でクララが参ったように唸っていた。

 どうやら少しだけ頭皮を切ったらしく、すみれ色の髪へ何の気無しに触れたクララの手には小さく血が付着していた。だがまあ、この程度の軽傷で済んで僥倖だ。頭の傷というものは、見た目以上に酷く見える。

「ウォードッグ、無事?」

 歪んで外れなくなったシートベルトを非常用に持っていた折り畳みナイフのガットフックで斬り裂きつつ、後部座席の方に振り返ったクララが案ずる声を掛ける。

「あァ……なんとかな……」

 すると、後部座席の中で逆立ちするみたいにひっくり返っていたウォードッグが呻くように声を漏らす。彼もまた頭や身体のあちこちから血を流していたが、どうやら軽傷のようだ。あの咄嗟にサンルーフから顔を引っ込める判断が出来た辺り、彼の戦歴も伊達ではない。

「ハリー、やっぱりやるね。腕は衰えてるどころか、昔より上達してるみたいだ」

 ベンツのドアを華奢な脚で強引に蹴り開けながら、クララが心底からの感心を口にする。

「それより、向こうの雲行きが怪しくなってきたぜェ……」

 そうしていると、クララと同じようにドアを蹴破って車外に脱出してきたウォードッグが妙なことを口にした。余談だが、クララと違い彼の場合は、文字通りドアが"吹っ飛んで"いる。彼の太い脚に蹴られた瞬間にヒンジから何からが全部千切れ、遙か彼方へとドアだけが別離して吹っ飛んでいったのだ。

「雲行き?」

 フラフラとする身体をベンツの残骸に寄りかからせながら、クララが怪訝そうに問う。すると、ウォードッグは「あァ」と頷いて、

「無線聞いてる限り、向こうにサツがご到着みたいだぜ」

「……学園に?」

 首を傾げるクララの問いかけに、ウォードッグが小さく頷いて肯定してみせた。

「機動隊に銃対にSAT、対テロのフルコースだァ。この分じゃァ、あそこに残った連中は全滅だろうなァ」

「おかしいね……。工作班が妨害工作をしていたにしては、あまりに動きが早すぎるよ」

 尚も怪訝そうな顔をするクララに同調するみたくウォードッグも唸り、そして二人揃って暫くの間唸っていた。

「……ひょっとして、あの男」

 すると、ハッと何かを思い付いたウォードッグが口を開く。

「あー、ハリー・ムラサメとか言ったっけかァ? ひょっとして、アイツがサツと通じてるのかもな」

「ハリーが、警察とか……」

 有り得ない線じゃない、とクララは考える。ウォードッグは何もかもがデタラメに見えて、意外に頭の切れる男だ。数十年もの間その身を死地に起き続けてきたこの男の言うこと、どうやら一考の価値はあるかもしれないとクララは思う。

「とにかく、僕らも此処を離れよう。他の有象無象の雑魚はイイとして、僕とウォードッグが早々に捕まるのはマズい」

「へいへい」やる気なさげに従うウォードッグ。「その辺の細かいことは、全部姐さんに任せらァ」

「誰が姐さんだよ。言っておくけど、僕は君よりずっと若いんだからね?」

「姐さんは姐さんだァ」

 そんな会話を交わしている内に、クララとウォードッグ、二人の殺し屋の姿はいつの間にかその場から消えていて。通報を受けた警察のパトカーが大挙して到着する頃には、現場に残っているのはベンツの残骸と、そして大量の空薬莢だけだった…………。

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