第79話 十八歳 8
夢の中にいるようだった。
エドと別れて店に戻った後もふわふわとした気分で、フリッツが何か言っていたけど耳に入らなかった。
一日中そんな感じで、皆が心配してくれていることにも気づかなかった。
「アンナ、何かあったのか?」
「えっ?」
「エド様から何か言われたの?」
「えっ??」
仕事が終わって、家への帰り道、フリッツとマリーが心配そうに私を窺っていた。
エドにプロポーズされたことはまだ話していない。
エドが家に挨拶に来る方が先だからだ。親に許してもらわなければ結婚は出来ない。
私の場合はジムになる。
私からジムに話すわけにはいかないので、フリッツとマリーにもまだ内緒にしている。一応けじめだからね。
実は話したくて仕方がなかった。相談しなければならないことが沢山あるのに、黙っているのは辛いものがある。
「今はまだ話せないの。明後日にはたぶん話せると思うわ」
「それって…、まさかエド様と結婚することになったの?」
マリーが驚いたような声をあげた。でも驚いたのは私の方だった。
「ええっ! どうしてわかったの?」
今の会話でどうしてわかったのだろう。
「どうしてかって、わかるわよ。今日のアンナは一日中ニヤニヤして落ち着きがなかったし、私たちにまだ話せないのはエド様が両親に挨拶に来ていないからでしょ。明後日には話せると言うことは明日、来るってことね」
「うわー。その通りよ。マリーってば天才ね。でもまだジムには言わないでね。言うと明日は帰ってこなくなりそうな気がするのよ」
ジムは何故か私が結婚するのをよく思っていない。少ないかもしれないけど、それなりに縁談はあったのにことごとく潰してきたのはジムだった。今まではあまり結婚に由真がなかったから、それに文句を言ったことはない。でも今回は承諾してもらわなければ困る。
「そうだな。絶対に帰ってこないな。だけどアンナがその様子じゃあ、気づかれるんじゃないか」
「そんなに変かな、私」
「「変だよ」」
自分でも雲の上を歩いているようなふわふわとした感じがしているので、二人に言われて頬を叩く。
う、痛くない。頬を叩いても痛くないので、にやけた顔は元に戻りそうにない。
「なんか頬を叩いても痛くないけど、夢じゃないよね」
本当に夢だったらどうしよう。あまりに都合の良いことばかりあるので、夢だと言われてもやっぱりとしか思わないだろう。
『夢じゃないよ。僕だって傍にいただろ』
『そうだけど、痛くないんだもの』
『神経が高ぶっている時は、痛みを感じないこともあるよ。それよりジムに気づかれないためにもシャンとしないと』
『うん、わかった』
数回頬を叩いて、赤く染まったころ、やっとにやけた顔が元に戻った。
「確かに元に戻ったけど、その赤い顔はどうするんだよ。絶対にジムに聞かれるぞ」
「リンゴみたいに赤くなってるわよ」
「そんなに赤い?」
「痛くないの?」
「全然痛くないわ」
「正気に戻ったら痛むと思うぞ」
結局マスクで顔を隠すことにした。風邪気味だって言えば大丈夫だろう。
初めからマスクにすれば、頬を叩く必要もなかったのに…。
「おいおい、どうした? マスクなんかして、どうやって食べるんだ?」
今日に限って早く帰って来たジムが、私の顔を見てからかってくる。
確かに夕食のことは考えていなかったわ。
でも今さらマスクを外すことは出来ない。
「大丈夫よ、これで食べるから」
私はマスクをちょっとだけ浮かせてパンを食べる。
「食べる間だけでもはずしたらどうだ? 食べにくいだろ」
「全然大丈夫よ。トムに風邪が感染しないためにも必要な事なのよ。ジムも外で働いているんだから風邪には気をつけてよ。風邪は万病のもとなんだから」
「おう、気を付けるよ」
私がジムのことを気遣う台詞を言ったせいか、ジムの機嫌が数倍良くなった。これなら誤魔化せそうだ。チョロイ、チョロイすぎるよ。ベラは何か感づいているようで、口元を隠して笑いをこらえていた。
フリッツは黙々とご飯を食べていた。意外と迂闊なところがあるので、私語を禁止したからだ。
「今日はフリッツも大人しいな」
ジムがフリッツの方を見てそう言うと、
「……いつもと変わらないよ」
とだけ答えて、ご飯をかき込んでいる。
「はぁ~、やっぱり家族そろって食べるのはいいもんだなぁ。飯もうまいし、酒もうまい。ずっとこうして暮らしていきたいものだ」
「また夢みたいなことを…子供はいつか巣立っていくものよ」
ベラは少し酔ったのか赤ら顔になったジムを窘める。ジムは酔うと必ずこのセリフを言う。勝手に家出を繰り返していたのはジムの方なのに、ずっとこのまま一緒に暮らしたいだとか本当に身勝手な話だ。
でも少しだけ、ほんの少しだけジムの気持ちがわかる。家族で食卓を囲んでいると温かい気持ちになる。庶民の食卓は距離がとても近く、ほのぼのとしている。セネット家の食卓テーブルはとても大きくて、家族の距離がとても遠かった。
できればエドとはこんな風に暮らせたらいいなと思ってるけど、男爵家も一応貴族だから無理かもしれない。
いつまでこうして家族と一緒にいられるだろうか。結婚の話が本決まりになればあっという間に時は過ぎていくだろう。
酔うと絡んでくるジムが鬱陶しくもあり、愛おしく感じる。う~ん、飲んでないけど酔っているのかもしれない…。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます