第46話 気になる二人

「父さんたちの事は父さんたちの事。私たちとは関係ない。それにこんなことをしておいて、私と話ができるなんて、思ってないわよね?」


 ガウギヌスの言葉に、エイミーはそうゆっくりと静かに、だが凍てつくような表情と瞳を浮かべ、刃のように重く鋭い声で告げる。

 瞬間、その表情と声の直接向けられていない僕の背筋をすら走り抜ける、冷たい何か。

 それと同時、僕の喉に押し当てられた刃が一度大きく震えたかと思うと、数秒の内、刃の圧力がわずかに弱まる。

 それから一拍の後、エイミーはその視線を、ガウギヌスから僕の背後のブルゴスへと移す。

 その直後、僕の首に押し当てられた刃がもう一度大きく震えたかと思うと、その圧力はさらに弱まり、さらに小刻みに震え始める。

 エイミーは言葉を発することも、身動き一つすることもしない。

 だがブルゴスに向けられたその瞳は、あらゆる光を呑みこむような、どこまでも暗く、深い、闇の深淵を湛え、さらにその闇を濃くしていく。

 それから数秒、 


「……ぁ……ぁぁ」


 背後のブルゴスの口から、乱れた呼吸と共にかすかにこぼれ出る声。

 僕の喉に押し当てられていた刃は、今や完全に僕の喉を離れ、顎先の辺りで大きく震えている。

 蛇に睨まれた蛙。

 そんな言葉が僕の脳裏をよぎる。

 だがそんなエイミーを前にしても、ガウギヌスはその笑顔を崩さず、動じた様子を一切見せない。

 そして数秒の内、背後のブルゴスへちらりと視線を送り、状況を確認すると、一度小さく息をつき、それまでの笑顔を苦笑いへと変化させ、


「もちろん分っているさ……ブルゴス、その男を離してやりな」


 エイミーに視線を向けたまま、そう声をかける。

 僕の喉に突きつけられた刃の震えが止まったのは、それとほぼ同時だった。

 そして数拍の間の後、ブルゴスは一度大きく息を詰まらせながらも、


「なっ、どっ、どうしてそのようなこと!?」


 我に返った様子で、そう反論する。

 当然と言えば当然の反応。

 だがガウギヌスは平静を保ったまま、


「言ったろブルゴス、お前のやり方じゃ逆効果だって。それに今のお前じゃ、エイルミナには勝てない。言っておくが、俺はお前のことは認めているよ。実力、プライド、誇り、行動力、どれもな。だが彼女はそれだけで立ち向かえるような相手じゃない、ここは付き合いの長い俺に任せな」

  

 そう言って槍を地面に突き刺すと、突然背後を振り返り、僕の喉に刃を突き付けるブルゴスの手をつかむ。

 意表を突かれたのはブルゴスだった。

 

「なっ、」


 驚いて声を詰まらせるブルゴスの手を、ガウギヌスは力で下げさせる。

 そして彼は僕の瞳を見据えると、穏やかな微笑を浮かべ、


「行きな」


 そう告げる。

 とっさには動けなかった。

 だがここは臆するべきではないと、すぐに理解できた。

 数拍の内、僕は小さく頷くと、


「あっ、ありがとう」


 とっさにそう言って、ブルゴスの手の内から逃れる。


「いいってことよ」 


 そんな僕の背中に、軽い口調で告げるガウギヌス。

 油断させておいて、背中を刺しに来るのではないか?

 そんな人ではないとなんとなく察しつつも、敵である以上油断はできないと、僕はとにかく全力で、エイミーの元へと駆けだす。


「バーム!」


 そんな僕に向かって同じように駆け出すエイミー。

 大切な女性の目の前で、しかも他ならぬ彼女に助けを求め、逃げなければならない。

 あまりのカッコ悪さに、僕は泣きたくなる。

 だがそれも全て命あっての物種、今は我慢するしかない。

 数秒の内、視界に映し出される彼女の姿はどんどん大きくなる。

 そしてついに手の届く場所に彼女が来る。

 だが僕はどうすればいい?

 とっさに思いつかなくて、僕は両手を体の横の中途半端な位置にもってくる。

 エイミーはそんな僕の背中に槍と盾を握った両手を回し、体で僕を正面から受け止め、抱きしめてくれる。

 

「バーム、よかった――」

  

 そう、安心しきった声で言ってくれるエイミー。

 そんな彼女に、僕はとっさに何と声をかけていいかわからず、数秒たってからようやく、


「ごめん、心配かけて」


 そう謝る。

 そんな僕の胸に、エイミーは顔をうずめ、


「もういいの、もういいから――」


 ただそう言って、僕の体を一層強く、抱きしめてくれた。

 

 


 戦場のど真ん中で繰り広げられる、一見奇妙なやりとり。

 

「どう収拾をつけるつもりだ、ガウギヌス!?」


 ガウギヌスに向かい、怒声を放つブルゴス。

 今や二人は人質も無く、敵中に完全に孤立状態だ。

 だがそんな状況にもかかわらず、ガウギヌスは飄々ひょうひょうとした態度を崩さないまま、


「まあ見てな」


 そう言って、視線をエイミーに向けると、


「あー、取り込み中悪いんだがエイルミナ、そろそろ話を聞いていただいてもよろしいですかな?」


 そう、未だ僕の体を抱きしめたままのエイミーに声をかけてくる。

 エイミーはそれを聞き、しかししばらくの間は一切反応せず、やがて7、8秒ほどたってからようやく、


「おととい来なさい」


 そう、僕に抱きついたままの状態でそっけなく返事をする。


「――あー、そうしたいのはやまやまなんだが、どうも君の仲間がそれをさせてくれないようで。人質も解放したことですし、話の一つくらい聞いていただけないかと」


 そう変わらず軽い調子でガウギヌス。

 魔物の兵士、それも腕の立ちそうな者達に完全に包囲された状態だ、状況的には圧倒的にこちらが有利。

 だがエイミーはそんな状況で、ようやく僕の体から離れ視線をガウギヌスへと向けると、


「勝手に人質に取ってバームを傷つけておきながら、ずいぶん勝手な物言いね」


 そう、内容の割には先ほどまでより大分穏やかな口調で返事を返す。


「そこはまぁ、ここは戦場ですし、こちらも命を懸けてきておりますので」


 とガウギヌス。

 その言葉に、エイミーは呆れた様子で一度息を吐きながらも、視線をティアさんに向ける。


「一つわがままを聞いていただいてもいいですか?」


 その言葉に、表情を曇らせるティアさん。

 だがその表情を見ても、エイミーの真剣な眼差しが変わらないのを確認すると、大きくため息を吐きながらも、


「必ず、責任をもって収拾すること」


 そう釘を差した上で、


「皆、ここはエイルミナに任せて、持ち場に戻って。敵は息が切れてる、ここが踏ん張りどころよ!」


 そう采配を振るう。

 その言葉を聞き、ガウギヌス達を包囲していた魔物の兵士たちは一瞬戸惑った様子を見せ、だがそれが正規の指示であることを理解すると、程なくそれぞれの持ち場へと戻り始める。

 この間、北側の城壁では戦闘が続いていたが、騒ぎに兵力がさかれていたにもかかわらず、未だ城壁はガウギヌス以外の敵兵の突破を許していなかった。  

 

 

 かくして、城のど真ん中の空間で二対二で対峙する事になる僕達。

 

「――分らん。これだから武人とか呼ばれる連中は――」


 ガウギヌスとエイミーのやり取りや思考回路を理解できなかったのか、ブルゴスが頭を抱えて呻く。

 背後から刃を突き付けられていた僕は、この時になって初めてブルゴスの姿をじっくりと視界に収める。

 そこにいたのは、黒いロングスカートのドレスと甲冑を組み合わせたような出で立ちの女性。

 まず目に入るのは、腰まで達するほどの長さの、薄い紫色の髪。

 肌は白、瞳は茶と緑の混ざったような、ヘーゼル。

 顔立ちは整っているが、目の下の濃いクマと、苦悩に満ちた表情が、その魅力を霞ませる。

 年齢は意外にも僕と同じくらい。

 身長は160~170センチくらいで、体の凹凸は比較的大きいように思われた。


「まあ、お前からすれば非合理、非科学的だろうな。だがまあ、武器造りにだってそんなことはあるだろう? そういう事さ」


 そう、相変わらずの軽い調子でガウギヌス。


「それが無いよう徹底的に計算し、排除しつくすのが我が流儀、それを――」

 

 そう怒りをはらんだ声で漏らし、しかし言っても仕方がないと思ったのか、ブルゴスはそこで言葉を止めると、感情のやり場の無い様子で、特徴的な長い紫の髪をイラ立った様子でひたすらかき上げる。 

 エイミーはそんな彼女を一瞥いちべつし、だが直ぐに視線をガウギヌスへと戻すと、


「それで話って?」


 やや雑な口調ながら問いかける。

 その一瞬、ガウギヌスは白い歯を覗かせ、さわやかな笑顔を浮かべると、


「もちろん俺のプロ――」

 

 そう言いかけ、だがその瞬間、


「話がそれだけならこの槍の獲物になってもら――」


 エイミーはそうガウギヌスの言葉を遮り、槍を上段に掲げ投槍の構えをとる。


「いや待て慌てるな早まるな今言う今すぐちゃんとするからその槍を下して!」


 そう両手を小さく胸の前にそろえて上げ、慌てた様子で切れ目なく言葉を発するガウギヌス。 

 コントのようにすら見える二人のやり取りに、僕は思わず戦場のど真ん中でにやけてしまう。

 だが一方で、その親しげな様子に、何とも表現しがたい不快な感情が僕の心の奥底に芽生えるのを感じ取るのだった。

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