第33話 渾身
赤黒い尾を引き、周囲に漆黒の旋風と稲妻を放ちながら、どこまでも続く闇の空へと昇っていく漆黒の投槍。
やがてそれは放物線の軌跡を描き、薄緑色の閃光を放つ龍の顎へとその穂先を向け、真っ直ぐ急降下していく。
向かってくるその投槍を地上から睨み返す龍。
そしてその顎から放たれる蒼い炎の熱線。
それは世界を包む影を切り裂き、星一つ無い闇の空へと昇っていく。
そして直後、空中でぶつかりあう両者。
鳴り響く、鼓膜から痛みが走るほどの轟音。
周囲を薙ぐ猛烈な衝撃と熱風に、僕は立っていられず、地面にひざまずき、やがて四つん這いになる。
ぶつかった一点で何本にも細く裂け分れた蒼い熱線が、星一つ無い闇の空を流星群のように美しく駆け抜け、蒼い炎の雨となって世界に降り注ぐ。
さらに闇の旋風と稲妻もまた辺りに拡散し、闇の世界を縦横無尽に斬り裂き、走り抜け、乱舞する。
ぶつかり合いは一進一退、まさに互角の勝負。
一方それと同時、投げ放たれるエイミーの投槍。
残された全ての力と希望の込められたその一撃は、青白い尾を引き、闇を切り裂き、放物線の軌跡を描き、ファルデウスへと向かう。
一筋の、しかし裂け分れた龍の熱線のものとは全く比べ物にならない、その流星のごとき一撃。
ファルデウスはそれを見上げ、鋭く睨み、しかし投槍を放った右手は槍へと向け続け、魔力を供給し、推進力の維持を図る。
代わりに左手の漆黒の円盾を掲げると、その表面に魔術的絵画の描かれた、8枚に及ぶ漆黒の障壁を展開する。
直後、ぶつかり合う流星と障壁。
再び鳴り響く轟音。
巻き起こる衝撃が空気を震わせ、闇に包まれた世界全体を揺さぶり震わせる。
まばゆく青白い閃光を放つ槍が、ファルデウスの展開する漆黒の障壁の一枚目、大地、空と海、太陽、月と星座の描かれたものを先ず穿つ。
すると次に現れるのは、人々で溢れた2つの美しい都市の描かれた障壁。
さらにその次は、畑に耕耘が行われている様が描かれた障壁。
この二つを、槍は難なく、ほぼ即時に穿つ
次は王の土地で収穫が行われている様の描かれた障壁。
これを穿つ頃、槍はその勢いを弱め始める。
その次は、葡萄園で葡萄摘みが行われている様の描かれた障壁。
これを穿ったところで、槍は放たれた時の速度をほぼ失う。
次は6枚目、真っ直ぐな角をした牛の群の描かれた障壁。
ここで投槍は遂に、その速度を完全に失い、障壁に阻まれてしまう。
一方熱線と槍のぶつかり合いの方もまた、戦局に変化が表れ始める。
漆黒の槍がその勢いを強め、旋風と稲妻が熱線を裂き割り、押し始めたのだ。
その状況に視線をティアさんへと向ければ、そこには先ほどにもまして苦しげな表情を浮かべ、今にも地面に倒れ込んでしまいそうな彼女の姿。
その腰にあった疑似魔法石はほぼ消費されなくなりかけており、不足分の魔力を体内の養分で賄っているのか、その頬はこけ、体は見る間にやせ細っていっているように見える。
「ティア、ティア!」
そんなティアさんに、必死で呼びかける緑さん。
だがティアさんは首を横に振ると、かすれ声で、
「私に、かまわないで、ファルデウスを、斬って!」
絞り出すように告げる。
その言葉に、緑さんはその一瞬、苦しげに表情をゆがめ、だが直後、大きく頷く。
そして踵を返し、ファルデウスを睨むと、猛烈な熱風の吹き荒れ、ぶつかり合いの余波の炎や旋風、稲妻の走る世界へと、足を引きずりながらも臆さず歩を進め、真っ直ぐファルデウスへと向かっていく。
なんという勇気。
身の危険を顧みず足を踏み出すことはまだできるかもしれない。
だが大切な人を守るためとはいえ、目の前で苦しむその人のそばを離れることなど、僕には出来そうにない。
でも、だからこそ、僕は気づく。
僕の今すべきことに。
「ありがとう、緑さん」
呟いて、視線を向ける。
そこにあるのは、たった一人で奮闘する彼女の姿。
あえて離れる勇気もある。
だが今僕が示すべきは、そばにいく勇気。
僕だって、負けない。
次の一瞬、息を目一杯吸い、歯を食いしばる。
そして猛烈な熱風の中、足の痛みをこらえつつ、立ち上がる。
猛烈な閃光と稲妻、舞い上がる砂塵に、目を抑える。
吹き荒れる風、地面から伝わる衝撃に、バランスを崩しそうになる。
だがここで転ぶわけにはいかない、そんな余裕はない。
そう唇をかみしめ、痛みをこらえつつバランスをとる。
そして一歩、また一歩、最初はゆっくりと、だが徐々に足の動きを速めていく。
一刻も早く、エイミーの元へ。
視界の先で、エイミーが苦しげな表情を浮かべる。
右手を投げ放った槍に向け突出し、その手首を左手で握って支え、魔力を供給する。
その肩は激しく上下し、頬を大量の汗が流れ落ちる。
早く、とにかく、早く。
やがて足先の感覚が麻痺し、痛みすらはっきりとしなくなる。
近くの地面を漆黒の旋風が切り裂き、風圧に転びそうになりながら、間一髪でバランスを立て直す。
弾け飛んできた火の粉が頬を打ち、焼けるような痛みが走る。
そして突如地面を伝わり襲いかかる衝撃に、僕はとうとう地面に膝を突く。
だがそれでも、僕は負けない。
立っていられないなら、這ってでも。
思いと共に、ただ無我夢中で体を動かす。
どんなにカッコ悪くても、泥にまみれようと気にしない。
今はただ、エイミーの元へ!
それから程なく、僕は四つん這いのまま、エイミーの足元にたどり着く。
苦悶の表情を浮かべ、ただ必死に槍へと魔力を供給し続けるエイミーは、僕の存在に気付かない。
ティアさん同様、体内の養分を魔力へと変換しているのか、その体はやせ細ってきているように見える。
僕は歯を食いしばり、痛みをこらえ、立ち上がる。
瞬間、走る激痛に、思わず口からこぼれ出る小さな悲鳴。
それを聞き、エイミーがようやく僕の存在に気づき、視線を向けてくる。
「――バーム!?」
苦悶と驚愕の入り混じった、ゆがんだ表情を浮かべるエイミー。
そんな彼女に、僕はわざと笑顔を浮かべて見せる。
そして槍に向け突きだされた彼女の、その傷だらけの美しい手に、自分の手を重ねる。
そしてエイミーの魔力の質と波長に合わせ、自分の体内の魔力を調整し、それを彼女の体内へと送り込む。
「一緒に、戦おう」
エイミーの瞳の奥の光を見据え、僕は言う。
その直後、彼女はゆがんでいたその表情を崩し、一度真っ白な表情を浮かべる。
そして次の一瞬、あの彼女らしい、日の光を思わせる満面の笑みを浮かべると、大きく頷くのだ。
「うん!」
その言葉に、僕の心の内から、また熱い何かが湧き上がってくる。
彼女がそばにいる限り、僕は、負けない!
心の中で叫ぶとともに、僕もまた大きく頷きを返す。
そして二人でファルデウスと、それに向かう槍を見つめると、推進力を失いつつあるそれに、一気に魔力を注ぎ込む。
直後、再び推進力を取り戻す槍。
そして程なく、破れなかった6枚目の障壁を穿つ。
7枚目に現れるのは牧羊場の風景の描かれた障壁。
推進力を取り戻した槍は、程なくこれにもひびを入れ始める。
だがそれと同時、急速に全身を襲う、猛烈な疲労感。
全力疾走しているかのように息が切れ、心臓の鼓動が脳に響き渡る。
全身を滝のように汗が流れ下り、膝が震え始める。
その一瞬、僕の方に心配そうに視線を向けるエイミー。
そんな彼女に、僕は笑顔で答えようとし、だが疲労のあまり顔が引きつってしまう。
しかしそれでも、僕は無理やり笑顔を作ると、口を開いて言葉を絞り出すのだ。
「勝とう、一緒に!」
紡いだ言の葉は、疲労のあまり完全にかすれてしまう。
それでも僕は最後まで、表情の笑顔を維持し続けた。
そんな僕を見、エイミーもまた再び笑顔を浮かべる。
「うん、一緒に!」
返される、彼女らしい明るい声。
そして一拍の後、僕たちは同時に頷くと、再びファルデウスに視線を向ける。
もうこの視線を逸らすことはない。
隣には、彼女がいるのだから。
そして僕たちは、互いに笑顔を浮かべ、最後の力を槍へと注ぎ込む。
そうして三度、推進力を取り戻す槍。
7枚目の障壁も穿ち、遂に槍は8枚目、ダンスフロアで若い男女たちが踊っている様の描かれた障壁に到達する。
事ここに至り、さすがのファルデウスも険しい表情を浮かべる。
そしてそれまで槍に向け突出し、魔力を供給していた右手を、遂に盾に添え、その補助に入る。
その瞬間、それまで槍に押されていた龍がにわかに勢いを取り戻し、熱線の威力を高める。
その反動に、先ほどまでと比べ倍以上の速度で足の爪が地面を裂き割り、巨体が地面を削り取りながら一気に後退していく。
一方魔力の供給を失ったファルデウスの投槍は逆に押され始め、旋風と稲妻は熱線を裂き割りきれなくなる。
そして数秒の後、遂に熱線が槍を押し切り、力を失った槍は弾かれて宙を回転し、地面へと落ちて突き刺さる。
ファルデウスの投槍と龍の戦いの勝敗は決した。
だがそれで力を出し尽くしたティアさんに、さらなる攻撃をファルデウスに仕掛ける余裕は残されていなかった。
やがて龍は色を薄くし、薄緑色の光の粒子となって消えていく。
そしてティアさんは杖にすがりついたまま、その場で膝を折る。
一方右手を盾の補助に回したファルデウスは、膨大な魔力を盾へと供給し、にわかにその強度を強化する。
そうして力を強め、逆に槍を押し戻そうとする盾。
その時、遂に完全に魔力を使い切ったらしいエイミーの魔力が急速に乱れ、細くなる。
僕の魔力もとうに限界、体内の養分の魔力への変換も追いつかない。
そうしてまた乱れ始める槍の勢い。
だがそれでも、僕たちは負けない。
これまではなるべく魔力の波長を乱さないよう調整し、効率よく魔力を供給してきた。
だがもはや、そんな段階ではない。
今は効率などどうでもいい、ただ僕の体に残された全ての養分を、魔力にして、絞り出す!
その一瞬、目一杯息を吸い込む。
そして直後、歯を食いしばりつつも、笑顔を作るのを忘れずに、精一杯の雄たけびを上げ、力を絞り出す。
そうして効率も波長の調整のへったくれもなく槍へと供給される、なけなしの魔力。
その瞬間、槍は力を乱しながらも、一気にその推進力を強め、最後の力で障壁に食らいつく。
そして直後、白い光で構成された槍の細長い穂先が、変形し形を失いながらも最後の障壁を穿つ。
その刹那、槍を覆っていた白い光が粒子となって崩れ、その内から現れた元の槍の穂先が、漆黒の円盾にぶつかる。
その時、その盾の表面に浮かび上がる最後の絵画、オケアノスの大海流。
エイミーと僕の槍は、その最後の絵画を破り、ファルデウスが両手で支えたその盾を押し切る。
ファルデウスはそれでも、最後の力を振り絞り、何とか槍の進路を逸らす。
そうして進路の逸らされた槍は、その先にあったファルデウスの右足の踵を打つ。
その一撃に足をとられ、バランスを崩すファルデウス。
そこに得物を差し向け、駆けこんでくる一つの人影。
ファルデウスはそれを認め、その一瞬、確かに口の両端を吊り上げ、呟くのだった。
「見事なり」
次の一瞬、倒れ込むファルデウスの額を撃つ、緑さんの渾身の突き。
その一撃に、今の僕たちの全てが込められていた。
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