第16話 父親
ちょっとしたトラブルがあった。
あの日あまりに派手に暴れすぎたため人が集まってしまい、あの武器職人の工房を使用することができなくなってしまったのだ。
「ごめんなさいバーム」
エイミーが謝るが、今までの恩を考えれば、彼女を責めることなんて出来ない。
それに戦闘訓練という観点では非常に有益だったらしく、
「許してバーム。お互いの全力を知るためにあれは必要だったの。おかげでチームの連携や戦術的に、かなり選択の幅が広がった」
そうルイさんが言い、リョクさんも頷いた。
僕も最初から何かしらトラブルが発生した場合も考慮して計画を練っていたので、他の武器職人から工房を借りて対応し、対処はスムーズだった。
それでも完全に遅れを取り戻すのは苦しかった。
だがそこは他の三人も理解して手伝ってくれたので、前日までに大体の後れを取り戻すことができた。
引き換えに僕の睡眠時間はだいぶ削られてしまったけれど。
それも大会が終わるまで、今少しの辛抱だ。
そうして大会前日の夜がやってきた。
用意した武器に不良が無いかの最終チェックを終えた僕は、完成度を上げる追加の加工を城の自室で行う。
時間的に優先順位が低い加工を切り捨てていた部分を、時間までにできるだけは仕上げようというのだ。
荒削りだった彫刻や彩色、まじないの完成度を高めていると、誰かが部屋の扉を叩く。
扉を開ければ、そこにいたのはエイミーだった。
「手伝いをさせてほしいの。寝ようにも眠れなくて」
本当は眠れなくても横になって体力を温存しておいてほしかった。
けれどエイミーの浮かべるそのあまりに寂しげな表情に、僕はそれを口にすることができなかった。
しばらく手伝ってもらって、機を見て休んでもらおう。
僕はそう考え、作業の内簡単な部分をエイミーに任せる。
エイミーはその作業を、時間をかけて丁寧にこなす。
その手つきは少なくとも素人のそれではない。
「バームと出会ってから武器の手入れの仕方とか、自分なりに勉強したから、それが活かせているみたい」
エイミーはそう答えながら、目の前の作業に集中して取り組む。
僕は感心しながら自分の作業に戻る。
するとエイミーは少し思いつめた表情を浮かべた後、
「バームはお父さん……両親の事、どう思ってる? バームの両親はどんな人?」
そんなことを訪ねてくる。
僕は作業の手を止めないまま、かつてのことを思い出して語る。
魔法道具職人でオークの母、武器職人で異世界人の父。
家族との幸せな日々。
そして両親との死別。
「――そう……辛かったね」
エイミーはそう、まるで自分のことのように辛そうな表情を浮かべて言う。
「でも、僕には親父さんがいたから。それになにより今はエイミーがいる。だからさみしくなんてないよ」
僕はそう、できるだけ明るく告げる。
その言葉に、エイミーはほんの少しだけ明るさを取り戻す。
そして少し間を置いた後、今度は自分から話し始める。
「私の父さんはね、実は二人いるの」
その一瞬、僕はその言葉の意味を理解できなかった。
エイミーは僕の様子からそれを察してか、
「この世界での父はファルデウス。でも血がつながっていないって話は聞いたことがあるでしょう? ……実は私、異世界人なの」
予想外の言葉に、僕は思わず作業の手を止め、エイミーを見つめる。
一方のエイミーはかつてを懐かしむように、話を続ける。
「元の世界の本当の両親に、私は一度も会っていない。生まれてすぐ、近づく戦火から遠ざけるために遠方の街に隠されたから。父はある都市国家の名の知れた英雄だったらしくてね、10年に渡る籠城戦で活躍したのち、踵以外不死の肉体を持つ敵の大英雄に討たれて死んじゃった。結局守ろうとした国も滅ぼされて、城内にいた私の弟も多分殺されて、母とも結局会えなかった。
国が滅ぼされてからしばらくして、私の事をかぎつけた追手が迫って、私は船で逃げたんだけれど、途中嵐にあって遭難して、気が付いたらこの世界に流れ着いていたの」
エイミーは語りながらも作業の手を止めない。
だが僕は話を聞くのに夢中になってしまって、作業の手が止まってしまう。
でもエイミーはそれにも気が付かない様子で、集中して作業しながらも話を続ける。
「浜辺で気を失っていた私を拾ったのが今の父、ファルデウス。と言っても、直接私を見つけたのは別の人で、話を聞きつけて私を城に呼び寄せて、最初は客人として城内に留め置いたの。今思うと品定めをしていたんだと思う。それである時、体がなまっていた私が武術の練習をしているのを偶然見かけたらしくてね。養子にすることを告げられたのはその翌日の事だった。
私は今までに両手で数えられる回数しか今の父に会ったことがない。今の父にとって、私は娘というより、役に立つ駒か人形。それでも風前の灯だった私を拾って養い、娘として育て教育を施してくれたのは間違いない。だからその恩には報いなければならない。
だから今まではとにかくその意向に従って、父の利益になることを第一に考えて行動してきた。逆らうことなんて考えもしなかったし、これからもそうやって生きていくんだと思ってた。バームに会うまでは」
一本の矢の仕上げを終えたエイミーが、ようやく僕の視線に気付く。
そして何を察してか小さく、そして意図して笑みを作ると、
「大丈夫。むしろ今までの生き方が間違っていたの。父の命に従うことばかりが父の恩に報いる道じゃない。バームの鍛えた武器が、私を無双の勇者と呼ばれる存在にしてくれた。バームみたいな優秀な武器職人の腕を認めず、くすぶらせておくなんて社会の損失よ。だからこの大会で、私がバームの武器を使って優勝する。娘の功績は父の名声にもつながるし、バームという優秀な武器職人の存在を人々に認めさせることもできる。ルイさんにも借りを返すことができるし……これがみんなが幸せになるための最善の道」
そう強い口調で言う。
だが口調と裏腹に、その言葉は小さく震え、僕に向けてというより、自分を諭してのもののように聞こえる。
内容も全てがうまく行くこと前提で、むしろ不安から目を背けているようにしか見えない。
きっと彼女も不安なのだ。
彼女の力になりたい。
僕自身が彼女をこんな立場に追い込んでしまった張本人なのだとしても。
引き返すことができない今となってしまっては。
「大丈夫」
何の根拠もない言葉が、僕の口を勝手について出る。
その一瞬、不意に笑顔の消え真っ白となった表情で、エイミーが僕を見る。
考えている暇などない。
ただ勝手にわななく口にあわせ、僕は言葉を発音する。
「僕がいるから。どんな奴にだって負けない武器を鍛えるから。最高の、君を絶対に幸せにできるだけの武器を、鍛えて見せるから」
それはあまりに根拠のない、無責任な言葉だった。
僕自身それをわかっていながら、しかしその言葉を引っ込めようとは思わなかった。
言ったことに後悔も無かった。
真っ白な表情を浮かべたままのエイミーの、ガラス細工のように美しくも生気のない瞳を、僕はただまっすぐ見つめる。
目を逸らしてはいけない。
心がそう叫んでいた。
どれだけの間見つめ合っていたのか、僕自身分らなかった。
それは数秒だったかも、数時間だったかも、数年、あるいは世紀をまたぐほどの間だったかもしれない。
やがてエイミーの瞳を包んでいた霞が徐々に晴れ、その奥に再び光が煌めき始める。
真っ白だった表情は瞬く間に色づき、初めて出会ったあの日の様な、日の光を思わせる笑顔が戻ってくる。
「ありがとう、バーム!」
深夜という時間も忘れ、人に聞かれるのも構わず彼女は叫ぶ。
そして僕に飛びついてくる。
「ちょっ……えっ、えいみっ」
他に言うべきことは五万とあるはずだ。
頭では理解している。
けれど彼女の軟らかい肌の感触と、そこから伝わる温もりに、僕は瞬時にのぼせ上ってしまって、それ以上言葉を発することができなかった。
しかしその時僕は気づく、僕の首に回された彼女のその腕が、いまだかすかに震えていることに。
きっとそれは感激の震えなどではなく、今だに彼女の心を包み続ける闇と恐怖からくるもの。
それを理解したその一瞬、のぼせ上っていた僕の脳から急速に熱が引き、代わりに引いた熱は心へと集まり、僕を燃え上がらせる。
そして僕は彼女の背中に腕を回す代わり、拳をぐっと握りしめる。
一瞬でも己の無力を呪うことしかできなかった自分を戒めるように。
わずかな時間、わずかな余裕、己の出しうる力、できることの全てを彼女に捧げるために。
「ありがとうエイミー。後は僕がやるから、もう休んで」
できるだけ優しく、そう意識して声をかける。
エイミーはそれでもしばらくは、そのままの態勢で動かなかった。
でもどれだけかして、何かを感じ取ったのかゆっくり離れる。
そうしてまた寂しげな表情を向ける彼女。
僕はその瞳を真っ直ぐ覗いて、今度こそ告げる。
「僕にできるのは戦う前の準備と、修理や整備くらい。エイミーの本当の仕事は戦うこと。そして僕はまだ力を残している。僕はエイミーのためにこの力を出し切りたい。胸を張って全力を出し尽くして、最高の武器を鍛えたって言いたい。そうして準備した最高の武器を、万全の体調で振るってほしい。
エイミーが手伝いたいと思ってくれる気持ちはわかる。僕自身うれしいし、正直このまま手伝って、ずっと一緒にいてほしいって気持ちもある。でも……今、この役目は僕に譲ってほしい。そして今日はもう寝て、明日は全力でこの武器を振るってほしい。それが今の僕の、一番の願い。叶えてくれますか?」
言って、今度は僕の方から、彼女の手を握る。
僕の言葉を聞くうち、彼女の目蓋はどんどん丸く見開かれて、話を終えるころ、その表情は感情の読み取れない真っ白なものになる。
彼女が何を思っているのか、僕には汲み取ることができなかった。
話を終えて数秒、真っ白だった彼女の頬が、わずかに赤く染まったような気がした。
「そっ、そうね、もう夜遅いもんね」
エイミーはそう言いながら、顔を僕から背ける。
そして握った僕の手から逃れるように、ゆっくりその努力の刻まれた手を引いていく。
そうして離れていく彼女の温もりが、正直僕には恋しかったけれど、それを口にすることはない。
そんな自分自身の正直な気持ちを抑えてでも、僕にはやらなければならないことがあるのだ。
そうして僕から手を引いた彼女は、しばらくは僕から顔を背けたままそこにたたずみ続ける。
そして数秒の後、座った体勢から立ち上がろうと体を前傾にし、しかしその体勢のままそこに制止する。
それから数秒、何かを考えるように、彼女はそのまま動かなかった。
どうしたのだろうと思っていると、しばらくの後、エイミーは再びその場に座り直す。
そして小刻みに身を震わせながら、何か言いたげに口を小さく動かして、背けた顔をチラチラとこちらに向けて、また戻すのを繰り返す。
そして何度かそれを繰り返したのち、やがて意を決したように顔を僕に向け、見つめてくる。
その頬は先ほどにもまして赤く染まっていた。
そんな彼女の瞳を僕が見つめ返すと、彼女は一度硬直して、それからまたゆっくり顔を背ける。
そうして顔を背けたままで、呟く。
「――せて」
その声はあまりに小さく不明瞭で、僕には聞き取ることができない。
「えっと……ごめん、今なんて……」
尋ねると、彼女は顔を背けたまま、また硬直する。
けれど数秒の後、恐る々るといった様子で僕の方に顔を向けると、上目遣いで僕の方を見、また口を動かす。
「仕事の邪魔、しないから。眠るし、眠れなくても横になってちゃんと休むから。今日はここで寝かせて」
その言葉は、聞き取るのがやっとという程小さく、やはり不明瞭なもの。
だが僕の耳はその言葉を一言一句聞き漏らさない。
そしてその言の葉は、またたやすく僕の心を射止めて見せる。
心臓が高鳴るのを感じる。
鼓動が脳に響いて止まらない。
けれど今はそんなことにうつつを抜かしている場合じゃない。
彼女のために、今は落ち着け。
自分にそう言い聞かせて、苦しく切ない胸を手で抑える。
そして動悸が少し収まるのを待って、僕は再び口を開く。
「分った」
特に運動をしたわけでもないのに過呼吸寸前の僕には、その言葉を発するのがやっとだった。
そしてそんな僕の言葉に、エイミーはまた僕を見つめ、赤く染まっていた顔を一度また真っ白にする。
そして数秒の内、今度こそ彼女らしい、暖かな笑みを浮かべて言うのだ。
「ありがと」
そしてエイミーは作業をする僕の隣に布を敷き、毛布をかぶって横になる。
僕はそんな彼女を一度微笑ましく眺めて、でもそれからは仕事に集中する。
彼女はしばらくは仕事の様子を眺めていたけれど、やがてウトウトし始め、十分程のちには寝息を立て始める。
そんな彼女の寝顔はあまりに穏やかで、だからこそ僕は奮い立って、全力で仕事に打ち込むのだった。
そうして僕たちは、運命の日の朝を迎える。
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