第30話 どちらかが真面目過ぎなければ……

「目標……」

 今までなんとなく過ごしてきた学生生活。将来の夢を決めるのはまだ早いと山口さんも言ってくれたけれど、確かにちょっとした目標くらいは持ってもいいかなと僕も思った。とは言っても、そう簡単に思い付くかと言われればそういうわけでもないけれど。山口さんも大人になるまで見つければ良いと言っていたし、意識して考えなくてもこれから先、少しのきっかけがあれば見つかるだろうか。

 そんなことを思いながら水島家に着いて、僕はいつも通りに扉を開けた。

「こんにちは~」

「あっ、お兄ちゃん!」

 そこには真実が廊下の壁に背中を預け、足を伸ばして座っていた。

「ま、真実、どうしたの?」

「お兄ちゃんが来るのをずううっと待ってたんだよ。お兄ちゃんは、泣いているぼくの涙を止めてくれた白馬の王子様なんだから」

 立ちあがった真実はそう言いながら僕の身体に手を回すと、そのまま優しく圧力をかける。

「あはは……大げさだよ、リボン取ってあげただけだし。ほら、早く離れて」

「ゆずはお姉ちゃんは良かったのに、ぼくはだめなの?」

「あ、あれは不可抗力だから……」

 懇願するような目で見つめてくる真実に、僕は戸惑いながらもそう答えた。言えない。子供っぽくてもかわいい真実に抱きつかれて恥ずかしいからなんて、そうそう言えるものじゃない。

 僕は決して白馬の王子様とかそんなかっこ良いものじゃないけれど、こういった一種の憧れを抱いてくれているのは僕としても嬉しくて、そんな真実の憧れに少しでも近づこうと思う自分がいる。

「もう、しょうがないなあ……」

 真実は口を尖らせしぶしぶ僕から離れた。スリッパの音と共に、キッチンからゆずはさんも出てくる。

「ふふっ、真実さんはもうすっかり真衛さんになついていますね。元々の性格の部分もあると思いますけど、短いながらも真衛さんと過ごす時間が気に入ったみたいです」

「ゆずはさん、妹さんが小学生のようななつき方なので、なんとかしてくれませんか?」

「むっ、ぼくは小学生じゃないもん!」

 謝りながらも真実のふくらんだ頬を微笑ましく思った時、僕は一人の女の子が足りないことに気付く。

「あれ、このみちゃんは?」

「そういえば……」

「自分の部屋じゃないのかな?」

「っ、それじゃあ、ゆずはさん呼んできてもらえますか? 僕はリビングから勉強用のテーブルを持ってきますから」

 僕はそうゆずはさんにお願いして、自分もリビングへと向かった。


            〇 〇 〇


『何で、私の居場所を奪うのよ……』

 一人になった僕はふと思い出す、リシアちゃんの言葉を、表情を。言葉の真意はよくわからなかったけど、あの言葉に、いったいどれくらいの悲しみが込められていたのだろう。自分の目標についても、やはり気にならない訳ではない。リシアちゃんのこと、自分の目標のこと、考えることが自分の中で混ざり合う。

「はぁ……」

 歩きながら思わず漏れるため息。

「はぁ……」

「?」

 そんな時、僕と同じようなため息がすぐそばにある脱衣所から聞こえてきた。扉は開いている。気になった僕が脱衣所に近づいていくと、視界に入ってきたのは薄いピンク色の壁と――、

「えっ?」

「あっ……」

 このみちゃんだった。だけど脱衣所にいるからって下着姿などではない。ちゃんと私服を着ていたけど、その足元には体重計。気まずい空気の中、状況を整理できたらしいこのみちゃんは、顔を真っ赤にしながらどんどん柳眉を吊り上げていく。

「あ、いや、その……」

「信っじらんないっ! 真衛君のっ、ばかああっ!」

「ご、ごめんっ!」

 僕はすかさず後ろを向いた。今のこのみちゃんの表情はよくわからないけど、きっと見たらすぐに土下座したくなるような顔をしているに違いない。リシアちゃんを助けられなくて、このみちゃんにも迷惑をかけてしまった。さらに気持ちが落ち込んだ僕は、結局この体勢のままこのみちゃんの突き刺さってくる言葉を待つ。一秒、二秒――。

「…………」

「………………?」

 何か、おかしい。頭を下げてから五秒以上の時が経っても次の言葉は降りかかってこなかったのだ。『まったく……』といった呆れの言葉やため息すらも聞こえてこない。大きな声が響き渡った後の、不自然な静寂。

「このみちゃん……?」

 恐る恐るこのみちゃんの方に振り向く。このみちゃんは、ようやく自分の言葉に実感が持てたような顔をしていた。僕が見たのはほんの数秒だったけど、きっと僕が後ろを向いていたときにもしていたであろう、驚愕と恐怖が入り混じったような、そんな表情。

「ど、どうしたの? このみちゃ――」

 最後まで言い切る前に言葉を失う。このみちゃんの頬に、透明な雫が伝っていたから。

「っ!」

 このみちゃんはそのまま僕を振り切って、二階への階段を昇って行ってしまった。

「真衛さん、どうしたんですか? 今このみさんが走って行きましたけど……」

「お兄ちゃん?」

 二階にいたゆずはさんと居間にいた真実が声を聞きつけ、こちらにやってくる。

 僕はこのみちゃんが走っていくのを、ただ見ていることしか出来なかった――。

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