八曲目

 朝、僕が目を覚ますと目覚まし時計が鳴っていなかった。


 まずい。


 とうとう、目覚ましを一度止めて二度寝したのか。


 まじで最悪だ。


 開き直って、時計を凝視する。


 六時五分。


 僕は、血相を変えて布団から出ると流れるように服を脱いだ。


 え、六時。


 「六時じゃん」


 脱いだ服をゆっくりたたみながら、状況を確認していく。


 たぶん、アラームが鳴る前に起きた。

 原因は昨日二十一時に寝たことだろう。


早寝ってすごいな。


 ワイシャツとスラックスを履いて、少しの間、ぼーっとしてみる。


 こんなに時間ある朝は初めてで、正直を何したらいいのかわからない。

 とりあえずコーヒーでも飲むか、とキッチンに向かうことにした。

 コーヒーは休日にしか飲まない。

 というか、平日も飲みたいけど寝坊するから飲めない。


 ポットに水を入れてスイッチを押す。


 マグカップにインスタントコーヒーを入れて、お湯が沸くのを待つ。部屋にはテレビがないから、待つ間のお供はスマホだ。今のうちに、アラームを鳴らないように止めておく。


 ハルはもう起きてるかなあなんて考えていたら、お湯が沸いたみたいだ。


 ゆっくりお湯を注いで、砂糖をスプーン一杯入れる。冷蔵庫から牛乳を出して、多めにいれて完成。

 苦いのは飲めないからなるべく甘くするのが一番。


一口、飲んでみる。


「うまい」


 ゆっくり過ごせる朝の時間に感謝して、コーヒーを飲み続ける。

 時計をチラッと見てみると六時四十六分。こんなにゆったりしてるのに何故、六時台なんだ。


 早寝ってすごいな。


 僕は、せっかくだから早めに学校に向かうことにした。歯磨きを済ませて、カバンを持ちローファーを履く。

 走らなくていいと思うと心が躍るように軽かった。


 いつもは、残像にしかならない風景もはっきりと目に入る。

 向い側のマンションや道路沿いに並んでいる桜の木。空や雲、足元に咲いている花まで、しっかり見て歩いた。


 周りの景色に夢中になっていたら、もう学校に着いた。


 こんなに余裕がある登校に戸惑いを隠せない。教室に着くと、昨日お世話になった人がドアに寄りかかっているのをみつけた。


「ハル、おはよう」


 声をかけると、ハルは僕を見て笑った。


「やっときたね」

「ハルが早いだけな」


 僕は教室に入って、カバンを机に置いてから、ハルの側にいく。


「ねえ、これ見てよ」


 ハルがスマホを差し出してくる。


画面には、


《ヒップポップグループのメンバー募集》


の文字。


概要は、


《世界的ラッパー「Giv(ギブ)」と一緒に活動してくれるラッパーやダンサーを募集しています。やったことがなくても大丈夫。ヒップポップを一から教えます。ヒップポップを愛している方、お待ちしております。music Hunter一同》


Music Hunter、聞いたことのない芸能事務所だ。


「しかも、もうデビュー曲のサンプルが公開されてるんだよ」


 徐にイヤホンを片方だけ渡され、とりあえず耳に付けてみる。反対側は、ハルがつけるようだ。隣の楽しそうな顔をみると、どうしても断れなかった。

 耳に差し込まれたイヤホンから派手なビートが流れる。銃声のような音が時々鳴るのが、印象的だ。最後に銅鑼が盛大になってこの曲は終わった。

 ヒップポップではあるが確実に新しい、そんな気がした。まあ、ヒップポップあんまり聞いたことないけど。


 イヤホンをハルに渡す。


「どう、かっこいいよね」

「確かに」


 僕は好みかどうかは置いといて、普通にかっこいいとはは思った。だから嘘じゃない。


「僕、これ応募しようと思う」

「まじでいいのか」

「ん、何が」

「コンテンポラリーダンス」

「終わらせる、作品を」

「そっか」

「もし売れたら、僕のことお父さんも認めてくれるかな」


 ハルの言葉が、僕の心に入り込んでくる。きっと、今のままでも充分、たくさんの人に認めてもらえているだろう。でも、ハルは「お父さん」に認めてほしくて戦ってる。


新しい扉を開こうとしている。


僕とは大違いだな。早寝早起きに浮かれて、今日も練習に行こうか迷っている僕とは。


「絶対、認めてくれるよ」


 自分で選んだ道で成功するなんて普通に考えてありえないけど、ハルならできるような気がした。


「ありがとう、オーディション行ってくる」

「うん」

「朝からごめんね」


 控えめな笑顔でそう言うと、ハルはスマホを僕に向けた。


「連絡先教えて」

「あ、僕も知りたかった」


 僕もスマホを取り出す。


「IDめんどくさいから電話番号で」


 正直、電話番号さえ教えてくれたらよかった。楽だし。


「ああ、やってあげるよ。スマホ貸して」


 奪うようにして、アプリを開く。目が回るような速さでタップしていくハルに僕は恐れをなした。


「はい、どうぞ」


 スマホを差し出してくると、

 画面にはもうメッセージが届いていた。


「時間やばいから、帰るね」


 うん、というと、ハルはそそくさと走っていった。


 さっきのメッセージを確認すると


「今日、一緒に帰ろ」


 と書いてある。ハルからのメッセージだとわかると一層嬉しく思った。


 鐘の音が鳴り出して、慌てて教室に入る。


椅子に座ってじっとしてると、万年変声期が教室にやってきた。


ふいに、目があう。


すると、瞬く間にあり得ないといいたげな顔に変わった。


 僕は万年変声期にドヤ顔でピースサインを送った。


昨日の、ハルのような顔で。

 

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