短編を連ねた構成で、ロードムービー的に展開します。中盤に差し掛かった時点で主人公が自ら旅立ちを口にしますが、そこからは旅先モードに移ります。その目的地は、ネタバレ回避のため伏せますが、本作品の主題でもあります。
でも、これはネタバレにならないかな。その目的地は作者と関係する場所だそうです。ちょっと脱線しますが、本作品は作者の郷土愛の賜物でもあるんですね。
レビューに戻りましょう。
一般的にロードムービーは、若い主人公が色々な経験を積んで大人になっていくのだけれど、本作品の場合、確かに主人公は若いんだけれど、従来の其れとは違う趣きです。私みたいに老境に片足を突っ込んだ者には親近感を抱く者が多いでしょう。
さて、審神司(サニワ)とは作者の造語みたいです。
生魑(イキスダマ)の設定も一風変わっている。意図して呪ったのではなく、無意識なる感情が第三者に害を成す。それを解消するには被害者側から潜在的加害者に遡ればならない。その過程は丸で一種の推理小説なんですね。
それを各々の短編ごとに楽しめる。しかも、色んなバリエーションを提示することで、人間の業を浮き彫りにする。そして、最終幕に突入するわけです。計算され尽くした巧い構成だと思いました。
キャラも光ってます。
読んでも「時間の無駄だった」とか後悔しない、と思います。
この作品は、基本的には短い噺が集められたような体裁を取っている。それが恐らくは読者をして手に取らしめ易い要素になっているのであろう。言わばつまみ読みが可能なのである。
かく言う私も、初めはちょっと覗いてみるかといった具合でしかなかった。
ところがどうだ。
生魎なるもの、そして引き起こされる怪異の恐ろしさたるや。
単なる怪談、妖怪噺の類ではなく、それを行うのは生身の人。人の業の為せる歪みは、それを埋めよ埋めよと呻き鳴くが如く、人を求める。
怪異ではなく、これは人の狂気。そう私は貪るように幾つかの噺を手に取り、感じた。
そしてそれは漆黒に塗り潰されたものではなく、いつも昏く、ときに玻璃のように濁り透け、玉蟲のように様々な色を帯びる。
流れる血さえも柘榴の珠の如く美しい。
読むうち、本来、人が恐れ、忌避すべきはずのものに、腕を伸ばし指を入れ手繰り寄せたいような衝動に駆られるのだ。
どこまでも美しき言葉でもって、縦横に織られる物語。華美な修辞は単なる装飾ではなく、ときに波濤のように、ときに白露のように律動を産む。それは物語自体の脈動となり、いつしか読み手は己の中に何物かの胎動を感じるに至る。
それがどのような文様を描くものか、この先も双つの眸に焼いて付けたいと思う。
——もしかすると、これは、どうやら、私も生魎に魅せられたか。
人と人とが関わるとき、眼には見えぬ糸が交わる。
交わりし糸を伝い、想いが伝わる。
強すぎる想いはやがて思わぬ障りをもたらし――
日常の中の非日常。強き想いの生魑。向けられ晒され、あり得ぬ奇妙な出来事に、悩み苦しむ人々に対処せしは筆使い。
ふらりと事件に関わって、糸を解したその後は――
人当たりの良い見た目でありながら、決してやさしくはない審神者の津雲が辿り着いた先には庵を構えた医師の朧。津雲は『友』と称した男に自らの一族に着いての秘された情報を読み解くように依頼する。
やがて見えて来る一族に関する秘密。秘密を知られることに不都合があるモノたちによる刺客が送られ――
人の強い気想いがもたらす業と紐解かれる津雲の秘密。
二筋の物語が進む先、何が起きるかとくと見よ。
決して懐き切らぬ猫のような津雲に振り回される苦労人の朧を見るにつけ、頑張れ朧先生と応援したくなる一幕も。
是非ご一読を。