其の伍 《誠》
晴天が続いていた。
蝉しぐれだけが緑の葉を濡らす。馬の蹄が乾いた道を蹴り、砂埃が巻きあがった。猛暑のなかでも、基幹街道に旅人が途絶えることはない。津雲が峠の茶屋で休息を取っていると、ふたりの旅人の話が耳に流れこんできた。
「其方は確か、生き神を見物にいくと申しておったな」
「左様だが」
「生き神には逢えぬぞ」
「……なるほど、生き神はしょせん、噂に過ぎぬか」
「いや、確かに御業を起こす生き神はおった。某が、直接に赴いた。されど、生き神は非業の死を遂げたそうだ。某は死を確かめ、江戸に帰る中途だ」
津雲は振りかえらずに、ふたりの会話に意識をむける。
「非業の死だと?」
「左様。なんでも、生き神が人を殺めたそうな」
「死罪になったのか?」
「否、そうではない。彼の者は生き神ぞ。それにこまき集落ゆえ、裁きなどあってなきようなものよ。されど人を殺めてからというもの、御業を披露することがなくなり、庵に篭りきりになったと。村の者が朝餉を持っていくと、すでに息絶えていたそうだ」
茶を飲みながら、津雲はどこか遠いところに視線をやった。哀れみを覚えないわけではないと、その視線が語っている。
「自死か」
「解らぬ。実に不可解な死にざまでな」
旅人のひとりが語るべきかどうかをためらったのが、言葉の端から伝わってきた。だがもうひとりの旅人の続きを急かすような態度に堪えかねてか、生き神の死にざまを喋る。
「喉に、針が刺さっていたそうだ」
旅人が眉をひそめたようだ。
「針だと? それは」
「数えきれぬほどの針が喉に刺さり、口の端からも溢れるほどだったと」
津雲が縁台から立ちあがった。聞き終ったとばかりに茶屋を後にする。後ろでは旅人が騒いでいたが、津雲には係わりのないことだ。茶屋を離れてから、津雲が誰にも聞きとがめられないような声で云った。
「お気をつけくださいと、伝えたのですがね」
細やかなため息が、道の端でゆらゆらと漂うかげろうに触れた。
歩きながら、津雲が誰に語るでもなく独りごちる。
「生き神の、それは単なる嘘。嘘を《誠》に反すが、ホントウ様の御業であります。嘘とはまじないの一種。言葉ひとつで成就できるが故に、まじないであるという自覚の無きままに遣ってしまう。ですが、その実、生魑の《もと》となるに充分な、きわめて強き媒体でもあります。されど、まじないとするにはひとつの条件があり、それ故に脆くもある――その条件を伝えそこねたのは、えェ、あたしの有責でしょうねェ」
雲のない青空を振り仰いで、津雲が眩むように立ちどまる。
後ろにいた旅人が津雲にぶつかりそうになって、怪訝そうに眉をひそめたが、津雲が構わずにぶつぶつとなにかを喋り続けていた為か、不審な輩は構いたくないとばかりに通りすぎた。
「嘘は《誠》になる。されど嘘をついたみずからが疑ってしまえば、《誠》とはならず、たやすく嘘に反る。他者に掛けた呪詛が、やがては当人に覆い被さってくるように。
故に貴方さまは、疑ってはならなかった。
ですが、あれは。あれだけは。
貴方さまには決して、覆せるとは思えなかったのでしょうな」
母親の死を覆せなかった段階で、死だけは決してかれには覆せぬ《誠》となったのだ。晴れた空を掻き曇らせ、雨を降らせられるとは信じこめても死んだ母親を甦らせるとは思えない。だがとっさに、かれは誤った。みずからの嘘を信じられぬままに、娘の死を覆そうと試みたのだ。そのようなことができるとは、僅かたりとも信じられていないのにもかかわらず、だ。
ひとたび、もとが崩れれば、生魑の連鎖は途絶える。
「嘘ついたら針千本飲ます、でしたか」
喉を突き破った嘘は決して、彼の者の欲を満たすものばかりではなかった。あの生き神は確かに、村を護り、助ける為にその御業をつかっていたのだ。故郷でもない土地に。母親を殺したかもしれない土地に、怨みを抱かなかった。ただ、劣等感だけを肥やし続けた。
されど、如何なかたちであろうと、嘘は嘘だ。
生魑を巻き起こし、誠となったとしても本質は変わらない。
「真にもって」
津雲が晴れわたる青空にくらんだように額を押さえた。
「……救えない」
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