【番外編】 2つの家族

【番外編1】俺の息子

 息子パドの異常性に気がついたのはいつからだろう。

 昨日、頭が吹き飛んだアベックニクスの死骸と地面にあいた大穴を見たときか。

 その後、村長に呼び出されパドのことを尋ねられたときか。

 いや、どれも違うな。

 7年前、サーラが『産まれたばかりの赤ん坊が立ち上がっていた』と半狂乱になった時から、本当は分かっていた。

 パドは普通の子ではないと。


 思えばパドはよく物を壊す子だった。


 産まれたその日に部屋の天井や床を壊した。

 その時、パドが立ち上がるのを見たサーラはパニックになり、俺に必死に訴えた。

 俺はそれを信じられなかった。いや、信じたくなかった。

 だから、パドとサーラをずっと悩ませることになってしまった。

 もしもあの時、サーラの訴えに正面から向かい合っていれば、この7年間は違ったものになっていたかもしれない。


 サーラはパドに母乳を与えるのすら怖がった。さすがにそれは俺や村長が一喝したが、初めてパドに乳を吸わせたとき、サーラは悲鳴を上げて痛がった。

 今思えば、それもパドの異常な力のせいだったのだろう。


 成長するに従い、パドは椅子を壊し、器を壊し、バケツを壊し、壁を壊した。

 男の子はヤンチャなくらいでちょうど良いと思うが、この村ではどれも無駄にできるものではない。

 そのたびに、パドはこっちが気の毒になるくらい恐縮した顔を浮かべた。


 ――この子は普通ではない。


 7年も一緒に暮らしていればそのくらいはわかる。

 だが、俺はそのことをパドに問いただすことができなかった。

 ただでさえ壊れかけた家族が、完全に崩壊してしまうのではないかと思うと恐かったのだ。


 ---------------


 家族が壊れかけた理由はもう一つある。俺の浮気だ。

 言い訳をさせてもらうなら、サーラがパドを妊娠して以来耐えていた男としての欲求がたまっていた。

 妊娠中は我慢していたが、産後もサーラは俺との関係を拒否し続けた。

 妻から拒絶され、若い俺は自分の肉体を持て余していたのだ。


 5年前、行商人アボカドと共に村に訪れたミルディアは美しかった。

 美貌の中に、どこか儚げな表情が印象的で、俺のような田舎の男の目には天使にすらみえた。

 これが都会の女というものなのかと、男衆は噂し合った。


 彼女には彼女なりの理由があったのだろう。委細は省くが、彼女は俺を頼った。

 俺が魅力的だったなどというつもりはない。おそらくただの偶然。運命のいたずら。

 村長の家から散歩を言い訳に出てきたら、目の前に居たのが俺だったというだけだ。


 だが、若かった俺は美しきミルディアと2人っきりで会話できるチャンスと感じた。

 そのまま村はずれの森に行き色々な話をした。幼い頃憧れた都会の話を聞くうちに、俺はミルディアにさらに惹かれてしまった。

 そして、情けないことに妻から2年間拒否されていることを吐露し、そしてそのまま……いや、これ以上述べるのは、ミルディアに対してもサーラに対しても侮辱となるだろう。


 いずれにせよ、俺達はもっとも佳境なタイミングで村長らに発見され、裁きにかけられることになった。

 もしも、アボカドとミルディアの擁護、それに2歳になったばかりの息子がいるという事情がなければ、俺は村から追放されていたかもしれない。


 この事件をきっかけにサーラは完全に心を閉ざした。


 ---------------


 パドは今年7歳になった。

 良い子に育ったと思う。

 だが、子どもとしては不自然に育ったとも感じていた。


 力のことだけではない。

 パドはいつも周囲に遠慮していた。

 家族にも友達にも敬語で話す。

 この村では敬語などほとんど使われない。

 俺が敬語で話す相手は、村長とアボカドとたまに訪れる巡礼の神父くらいだし、他の村人もそうだろう。

 村長の孫のジラにいたっては、神父に対してもタメ口で話すので、見ているこちらがヒヤヒヤするくらいだ。


 パドの言葉遣いは、丁寧とか行儀が良いというのを通り越して、心を開いていないと感じられた。

 だが、無理もないのかもしれないとも思う。

 赤ん坊の時から母親に拒否され、2歳の時に父親が浮気をした。

 他の子ども達から両親のことをからかわれもしよう。


 俺は夫としてサーラの、父としてパドの心を閉じ込めてしまった。

 男として情けない。


 そんな中起きたのが、昨日のアベックニクス騒動だ。

 月始祭に向けた狩りの準備をしていたところ、村まで届いた獣の咆哮。

 慌てて家を飛び出したが、聞こえてきた方向がわからない。連峰によって大きな音は山彦してしまうからだ。

 東だと思って男衆が飛び出したら、実は西から襲われる可能性もあるのだ。


 そんな中、二度目の咆吼。

 今度は皆で耳を澄ましていた。

 子ども達のいる川原の方からだと当たりをつけ、オレ達は走った。


 途中、マリーン達からアベックニクスが出現し、テルとキド、それにジラやパドも残ったと報告を受けた。

 俺達は戦慄し、川原に駆けつける。

 もしかすると、子ども4人の死体が川に転がっているかもしれないとすら覚悟して。

 だが、俺達が見つけたのは頭の吹き飛んだアベックニクスの死体と2つの大穴であった。


 ---------------


 村長が呼び出したのは俺とキド。それにジラだった。

 少年達の代表はテルだが、彼は怪我がひどくて自宅にいる。

 俺達3人が揃うと、村長は開口一番言い放った。


「キド、アベックニクスを倒したのはパドだな?」


 キドは村長から視線をそらしつつも言う。


「パドはまだ7歳です。そんなことできるわけ……」

「パドが普通の子どもでないことは見ていれば分かる。アベックニクスを倒せるほどとまでは思わなかったが」


 村長はこの村のまとめ役で、いわば最大権力者だ。

 普段は子ども達にも優しい老人だが、時と場合による。

 今の村長の胆力を前にすれば、11歳の少年がごまかしきることなどできないだろう。


「……俺は……俺は何も言わない。テルやパドと約束したから」


 目をそらしてそういうのが精一杯らしい。


「そうか。ジラ、お前は?」

「パドに聞けよ」

「……ふむ」


 村長はクビをひねり、俺に顔を向ける。


「バズ、聞いての通りだ。子ども達は何も言わない。テルも同じ態度だった。

 パドが普通ではない力を持っているのはワシも察している。これまでは少々力が強い程度だと思っていたが、ワシは見誤っていたのかもしれん。

 村長としてパドの力の本質を知りたい。バズ、父としてパドと話せ」

「ですが……」

「お前達家族が上手くいっていないのは分かっている。だが、それで1番苦しんでいるのは、他ならぬパドではないのか?

 いつまでも逃げていては先に進めない」


 俺は頷くしかなかった。


「……わかりました」


 ---------------


 息子の秘密を一体どうやって聞き出せばいいか。


 俺は無学な男だ。

 浮気の件で家族からの信用も失っている。


 パドは頭の良い子だ。

 俺なんかよりよっぽど色々なことを考えているのではないかと思うことも多い。


 駆け引きで聞き出すなど無理だろうし、それでは本音は聞けない。

 ならば正面から聞き出すしかあるまい。

 俺は崖の上で自分の秘密を打ち明け、パドを信じると言い切った。


 その上で、パドにも俺を信じろと言った。

 正面からの説得は功を奏し、パドは涙を流しながら自分の秘密を話し始めた。


 それはあまりにも凄まじい話だった。


 異世界、一度死んだ魂、女神、生まれ変わり、生まれながらの力……

 

 そのどれもが、俺には想像もできないことばかりだった。

 神父の教えに反する内容も多い。

 普通ならばとても信用できない話だろう。


 だが、俺はそれを信じることにした。

 その理由はいくつかある。


 子どもの嘘としてはあまりにもできすぎだと言うこと。

 俺と同じく村から出たことがないパドが、想像や妄想で話せる内容ではないと感じたこと。

 さらに、この7年間で起きた不可解なことにある程度説明がつくこと。


 だが何よりも俺は息子の言うことを信じると断言したのだ。

 その言葉を嘘にしたくない。


 パドは前世で病弱だったらしい。

 11年、病院から出られなかったというのだから相当な話だ。

 そのうちに、前世の親の話になった。


「前世の僕――桜勇太が死んだ後、前世の僕の両親は泣いてくれました。迷惑しかかけられなかったのに、僕の死を悲しんでくれました」

「死んだ後のことも覚えているのか」

「転生する寸前に、神様が両親と弟の姿を見せてくれたんです」

「……そうか」

「だから、僕は幸せになる義務があるんです。前世で迷惑をかけ続けて何もできなかった両親の気持ちに応えるためにも」


 その言葉に、俺は心が張り裂けそうになった。

 同時に、その神がとても残酷な存在に思えた。

 二度と会えない親が自分の死で涙している姿を、11歳の消えゆく子どもに見せるなど残酷という言葉以外に何と表現できようか。


 息子を本当に苦しめていたのは、秘密でも凄まじい力でもない。

 前世の両親に申し訳ないという自責の念だ。


 そして俺は理解する。


 この子はとてもやさしい子なのだ。

 俺になんてもったいないほどに本当に素晴らしい子どもだ。


 その子どもが自分を責めて悩んでいる。

 親として放っておけない。

 だから、俺は息子へ語った。


「パド、お前の気持ちは分かった。だが、たぶん、お前は1つ勘違いをしていると思う」

「……勘違い?」

「お前が産まれたとき、俺は嬉しかった。心の底から嬉しかった。それはたぶん、どんな親でも同じだと思う。俺には想像もできない技術や道具があふれている別世界であってもだ。

 だから、お前は前世の親に『何もできなかった』なんて思うことはない。お前が産まれたことそれ自体が、前世のご両親へ最高のプレゼントだったはずだ」


 考えようによっては、俺の発言は無責任な言葉だったかもしれない。

 会ったこともない異世界の両親の気持ちなど分かりようもないし、俺に代弁する資格があるとも思えない。

 それでも、我が子のために泣いたという前世の両親は、パドの心を晴らすために俺がこういう言い方をしても許してくれると信じたい。


 俺の言葉を聞いてパドは目を見開いた。

 そして安心して肩の荷を下ろしたような満面の笑みで俺に言った。


「ありがとうございます」


 その笑顔を見て、俺は確信する。俺の言葉は間違っていない。

 11年、病気の子どもを支え続たというパドの前世の両親も、きっとそう思ってくれるはずだ。


 ---------------


 そして今、パドとサーラが家の中で声を上げて笑っている。

 パドが産まれてから一度たりとも見たことのない光景だった。


 笑いの原因が俺の浮気や秘密にまつわることなのは少々思うところもあるが、2人の笑顔を見ればそれが尊いものだとわかる。

 普通でない生まれと力を持つパドは、きっとこの先もいろいろな苦労があるだろう。

 それでも、夫として、父親として、この笑顔を守りたいと、俺は心の底からそう思っていた。

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