9-21

 ロランが顔の向きを変えた。光加減が変わっただけなのに、面構えが変わったようにクロウには見えた。

「……ああ、そうさ。でも勘違いしないでよ。ぼくは君のお父さんじゃないからね。彼とは面識だってないし」


 クロウは何も言わなかった。シガレットホルダーを叩いて灰を落とし、その灰を足でこすって床板の節目の穴に落とした。


「説明が本当に難しいんだけどね……。前回ぼくは普通の貴族の令嬢として転生したんだけど、ただひたむきな努力だけじゃあ周囲の考えは変わらなかったし、ぼくも女の体に慣れる事が出来なかったんだ。でも、周りの人たちは上手いことやっててね。父は相変わらず偽札作りでヘルメスを繁栄させるけど貧富の差は拡大するばかり、ロルフは貴族の令嬢と政略結婚してヘルメス家を継いで、なのにしっかり妾を囲ってて、タバサは何事もないように商人の家に嫁入りしたよ。二人ともをやってたのを過去に変えてね。何も変わらない世界でただみんな流されて生きていた。けど、ぼくだけがその流れに乗れなかった……。だから面白くないからとっととその人生を終わらせたんだ。それで、今回は彼らに好き勝手させないよう色々やってみたんだよ。タバサにはぼくの気持ちを子供の頃から伝えて、お互いの気持ちが通い合うように攻略したりね」


 突飛な話でにわかには信じがたかった。だがこの旅の中、クロウは信じざる得ない体験を既にしている。


「……事態は、良くなったとは言い難いがね」


 ロランが力ない笑顔で応えた。

「今回も、完全な成功とはいえないね。……でも次は違うよっ」


「……“次”だって?」


「そうさ。次はタバサにはこだわらない。彼女はぼくとの愛には耐えられなかったんだ。タバサでつまづくのなら、もう目標を変えた方がいいかなって。もっと素敵な人を見つけたからね。禁じられた愛だって受け入れてくれる素晴らしい人を」


「……よかったら、そのお前さんのというのを聞かせてくれないかな」


「やだなぁ、照れてるのかい?」


 ロランは頬を赤らめるが、クロウは至って真顔だった。


 微笑んでロランは言う。

「……ぼくの愛している人はクロウ、君だよ」


 憎悪を禁じ得ないくらいに愛おしい笑顔をする男だった。体が変わったというのに、そこは変わることがなかった。きっと一日中見ていたって飽きることはないだろう。クロウは平静を装ったが、心音は乱れ始めていた。


「ぼくらは最高のカップルになれるんだよ。……なのに、君はちっともぼくに対して微笑んでくれすらしないじゃないか。どうしてだい?」


「言っただろ、お前さんにもう興味がないんだよ」


「……ぼくたちの間には愛があったはずだ」


「ずいぶん昔のことさ。忘れたね」


「でも、君はぼくを探してくれていたじゃないか。そのために危険もいとわないほどに」


「別れの口づけが軽すぎたのさ。お前さんにきちんと別れを告げてなかった。自分自身の決着をつけたかっただけなんだ。そしてようやく分かったよ。私の愛した男はもういないってことがね」


「ねぇクロウ、君は分かってないよ。転生者のぼくが君を選んだんだよ? ぼくはその気なれば世界だって動かすことができるんだ。君に誰もがうらやむような美しい城だってプレゼントできるし、世界中の富を君の下に集めることだって出来るんだ」


「城ひとつ国ひとつで傾くと思ったかい? あいにく、そんな安い女じゃないんだよ」


 ロランはあの手この手でクロウをその気にさせようとするが、そうしようとすればするほど彼からは魅力が失われていった。

 まるで、ボロボロと外面が剥がれ落ちる張りぼての石膏人形のようだった。


「それに、それにぼくとだったら子供を作ることだって出来るんだよ? 転生者だからね。ソニアさんが言ってたろ?」


「……いつ私が子供を欲しいと言った?」


 ロランが大きなため息をついた。

「もう、いいよ」


「分かってくれたのね、ダーリン」


「今回の君は、いい」


「……どういう意味だ?」

 ロランは勝ち誇るような笑いを浮かべた。むしろ、笑顔を作ることで辛うじて自分を支えているようでもあった。

「言ったろ“次は”って。次回の君とは上手くやるよ。今回は君に関しては完全に失敗だったみたいだからね。タバサにやったみたいに、子供の頃から出会いなおすんだ。そうすれば、ぼくたちは前世から約束された関係になれる」


「……次は私の過去まで書き換えるつもりか」


「君の悪いようにはしないよ。君のことを色々調べたんだ。昔、娼婦をやってたんだって? でも大丈夫。ぼくとさえいれば、そんな過去をやり直すことだって出来るんだから」


 呆れ気味にクロウが言う。

「やり直し? ……違うね」


「え?」


「それは、私じゃあないよ」


「……何を、言ってるんだい?」


「そいつは私と同じ顔をした同じ名前の、私と同じ両親を持ち、そして同じ血が流れる、だ」


 ロランから笑顔が無くなった。


「最後に一緒に過ごした夜を覚えてるか? 教会に孤児を運んだ後、お前さん話してたろう? あの子たちが両親の愛に包まれながら暖かい寝床で安らかに眠ってるより良い可能性の世界のことを。私はそれに何と言った? こう言ったはずだ、あまり甲斐のない話だと。だってそうだろ、仮にお前さんの言うような別の世界とやらで、私とお前さんとタバサあの娘が手を取り合って三人で仲良く花畑でワルツを踊ったからといって、いったいあの娘の何が慰められるっていうんだ? 彼女の魂が、冷たい池で打ち捨てられた事実は変わりはしないんだ」


 ロランの顔からは一気に血の気が引いていた。


「ロラン、なんてんだよ。もしそんなものが本当にあるとしたら、お前さんは傷ついたあの娘のそばに寄り添ってやるべきだったんだ。ふたりで支えあって傷を過去にできた時、その時にようやくそのやり直しとやらが始まったんじゃないのか? ……だがもう無理だ。すべては取り返しのつかないところに流れてしまったよ」


「君は……とことんぼくを悪者にするつもりなのかい」


「……どうして私に話した過去がだったんだ?」


 ロランの顔には真顔が張り付いていた。だが、その仮面の下に隠されている感情が油断すべきではないものだという事をクロウは察した。


 クロウは立ち上がってドアに向かった。

「まったく、私にはもうついていけないね。さあ、そこを通してくれ。私はここを出ていく。その見ず知らずのクロウとやらによろしくな」


 だが、ロランはドアの前から動こうとはしなかった。


「ロラン……。」


「ダメだ……。」

 ロランは剣に手をかけた。

「君を、行かせるわけにはいかない」


「……わお」

 クロウは後ずさった。


 ロランが微かに笑った。自覚された邪悪さが顔から滲んだような笑顔だった。

「ずっと……おかしいと思ってたんだ。大好きな人のはずなのに、君の事を考えるといつも暖かさと同時にいいしれない痛みを感じてた。本当は、ゴブリンだってけしかける必要はなかったのかもしれない。なのにぼくは、敢えて君を危険にさらすことを選んでた。……その理由が今分かったよ」

 ロランの構えがより深くなった。

「君のせいだ」

 ロランの体が暗く冷たい炎に包まれていた。

「君さえいなければ、ぼくは自分が英雄だという事に疑問を抱かずに済んだんだ。あの夜から、ぼくは自分の罪を知ったんだ。タバサの事もロルフの事も、罪悪感を感じることはなかったのに。それに、ウォレスだって……。君だけだ。君が、君だけがぼくに罪を教え、ぼくの罪を知ってる。……このまま行かせない」


「成長したじゃないかロラン。お前さんユーモアのセンスあったんだな、告白した女に次に刃を向けるなんて。しかしね、男の体になったからって私に勝てると踏むのは、随分と思い上がりが過ぎるんじゃないか?」


「別に、死んでしまったらしまったらで、またやり直せばいいだけだよ。その時は、君と真っ先に出会って君を攻略するさ。それに、君の剣術、居合切りっていうんだろ? ぼくの世界にもあったよ。一見は速く見えるんだけどね、結局は不意打ちやフェイントの類さ。既に見てるぼくには通用しない」

 ロランが嘲るように笑う。磨かれた暗器の様に、狡猾かつ陰湿に輝く笑いだった。

「君はファントムなんかじゃない、単なるトリッカーさ」


「……男になって随分と口が回るようになったな」


「別に、君だって油断できないよって事を言いたかっただけさ。男の体の方が、速さも強さも上なんだからね」


「おめでたいね」


 お互いに無駄口を叩いていたが、二人とも共に間合いにあった。すでに機先を制するための、構えのための構えに入っている。


「しかし……相変わらずだねぇ」

 と、クロウは苦笑して言った。


「……何がだい?」


「やっぱりお前さん、物忘れが激しいんじゃないか?」


「ハッタリは通用しないよ」


「前に言っただろうこの刀、父の形見なんだと」


「……それで?」


「父が自分の世界から持ってきたんだよ」


 何かを悟り、表情を失うロランの顔。クロウの耳は、ロランの心音が変わったのを知る。


「“転生者殺し”だぞ、これ」


 クロウはロランの心音が乱れるのを捉えた。


  機也。


「クロウッッ!!」

 乱れた心音は体の働きをも乱す。いきりだったロランの動きは、勢いに反して機先を逃していた。

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