9-17
ヘルメス侯国の権力が父から息子へと譲渡されて間もなく、クロウはベンズの実家まで帰ってきていた。何度も去ろうと思っていたクロウだったが、用事や後ろ髪を引かれることばかりが起こり、結局まだこの生家に居座り続けていた。
そして今日もまた、この家は彼女に新しい厄介事を運んできた。
部屋に入ってすぐにクロウの鼻を、殺気を呼び起こさせずにはいられない腐臭がついた。
そしてキッチンのテーブルに手紙が置かれていた。手紙には『あのエルフの事を知りたかったら、日没までにスカニア山にある山小屋に来い。ただし、一人でだ。もし約束が守られなければ、俺たちはすぐにでもこの国を出る。欲しい情報は永遠に手に入らない』と書かれていた。
一人で来いも何も、頼りにする人間など自分にはいないのだから選択しようがない。クロウは近所の農家でポニーを100ジルで借りて山小屋へと向かった。
スカニアの山小屋というのは、木こり達が伐採した木を木材に加工して、さらにそれを運送用の馬車が来るまで保管するための場所だった。
大型の馬車が通るためにそこに至るまでの道は広く、小屋とはいうものの二階建てでそこそ大きい建物だ。
この森で植林されているヒノキは、夏には水分を多く含むため今は伐採時期ではない。なので、今の時期には山小屋には
仮にあるとしても、管理の老人が清掃や設備に不具合がないか点検するため、たまに訪れる程度だった。
クロウが山小屋近づくと、やはり鼻はゴブリンの臭いを嗅ぎとった。死を好み、死に親しむゴブリンの臭いだ。
クロウは彼らの臭いが濃くなるにつれ、恐怖よりも自暴自棄に近い気持ちになっていった。命を賭けるのと捨て身なのは違うと言ったのは誰だったっけ? クロウは自分がロランに言ったことを思い出し苦笑いをする。
建物に入ると、すぐに作業用の広場が目前に広がった。
重い木材を移動させる必要があるので建物に床はなく、地面がまるで石畳のように硬く固められていた。
壁の上には、はめ殺しの明り取りの窓があり、そこから射し込んだ光が室内を反射してクロウの猫目には十分なほど明るかった。
耳も鼻も目も彼らの存在を教えていた。クロウは無意味なかくれんぼに辟易して言う。
「出てこいよ。隠れても無駄だ。その大人数でたったひとりの女にビビってるのか?」
クロウが広場の真ん中で大声を上げると、木材や設備の陰からゴブリンたちが一匹、また一匹と顔を出した。誰もが余裕のある顔をしている。
「まさか言われた通りひとりで来るとはなぁ」
廃材を重ねた山の上にバクスターがいた。体も大きくないにもかかわらず存在感が目立つゴブリンだった。声を上げる前からクロウの視線はバクスターを向いていた。
「余裕じゃあないか? それともぉ、ゴブリン程度ならひとりでも十分だと思ったかぁ。だとしたら随分とナメてくれるじゃねぇか」
「そんなことはないさ。流石に女ひとりじゃあ心細いんでね。もう少ししたら、役人や兵士が大挙してくる手はずになってる。そうだなぁ……ゴブリンを一掃したいと言っていたから、それこそ武装した兵士が百人は来るんじゃないか? 何てったってヘルメス侯の令嬢を殺して、屋敷で暴れたゴブリンだからな。それはそれはたいそうな恨みを買ってるだろうね」
「……つまんないハッタリはやめろぉ」
と、バクスターはつまらなさそうに笑った。
露骨なハッタリだが微塵も動じない。クロウはバクスターによほどの自信があることを感じとった。
「とりあえず、お前さんがエルフの事を教えてくれるってんでね。私としても彼の事は一番気がかりになってる事なんだ」
「だろうな……。」
と、意味深にゴブリンの頭は微笑んだ。
「条件はなんだ? 別に親切心で教えてくれるってわけじゃあないんだろう?」
「もぉちろんさぁ。対価はアンタの命だよ」
クロウを取り囲んでいるゴブリンたちが微妙に動いた。
「だとしたらお前さんも随分とナメてくれてるんじゃないのか? この人数で私を殺ると? 上手くいっても半分以上は道連れだぞ」
「かもな。前に見たアンタの腕前からすると、下手に近づいたらこっちが危ない。だが……。」
バクスターは懐から拳銃を取り出しクロウを狙った。
「こぉいつならどうかなぁ? 近づかなくったってアンタを殺れるぜぇ」
「ラクタリスの時の印象だと、どうやら遠距離武器だが精度は鈍いと見たね。もしくはお前さんの腕が鈍いかだ。それに、そんなに連続で使用はできないんだろう? 限りがあると聞いたがね」
バクスターが忌々しそうに先端を上に向けた。ヤマカンがあたったぜ、と胸中クロウはほくそ笑んだ。
「思ったより拮抗してると見えるね。……で、令嬢に関してなんだが、聞いた話によるとお前さんが殺したって話しだが……嘘なんだろ?」
「アンタ知らないのかぁ? 俺たちはぁ、あの屋敷の侍女に、令嬢を殺すよう雇われてたんだぜぇ?」
バクスターは薄目でクロウを見る。口は相変わらずにやついたままだった。しかし、それは口が裂けてるせいでそう見えるのかもしれなかった。
「最初はな。だが、仕事は試練の間までだったはずだ。お前さんたちが歩いてるってだけで役人がしょっぴくようなヘルメス侯のお膝下で、しかも東方民族のアジトにいたイヴ・ヘルメスが、お前さんたちに殺されるなんて不自然だ。違うか?」
バクスターは嘘くさく悲しそうな顔をした。
「まいったなぁ、一体どういえば信じてくれる?」
「誰か、お前さん以外の証言があればねぇ……。」
バクスターは「証言かぁ」と、これもまた嘘くさく困った顔をした。
「ま、あとはイヴ・ヘルメスの持ち物の一つでもあれば……。」
すると、バクスターが嬉しそうに懐を探り始めた。その顔は嘘くさくはなかった。
そしてバクスターは、得意げに鎖のついたペンダントを懐から取り出した。クロウは目を凝らしてそれを見る。
「こぉいつに見覚えねぇか?」
と、ゴブリンの頭は得意げにペンダントを振ってみせた。
「……それは」
それはロランに渡した、即効性の毒入りのペンダントだった。
なぜ、それをアイツが持っている? クロウの鼓動は突然激しく鳴りだした。
「どうやら、見覚えあるみてぇだな」
呆然とするクロウにバクスターが目を輝かせて言う。
――まだハッタリに過ぎない。大丈夫だ、私は平静だ。
クロウは自分に言い聞かせる。
「どうせどこからかくすねてきたんだろ? それだけじゃあ証拠に――」
「俺たちに捕まったらぁ、このペンダントに入った毒飲んで自害しようって話しだったらしいなぁ。死が二人を別つまでか? 残念だったなぁ」
――どうやら思った以上に情報を仕入れてるらしい。まぁ、それでも反論する材料はいくらでもある。冷静になれ。
クロウはしつこく自分をなだめた。
「東方民族から聞いたのか? その程度で信じろと言われても」
「面白かったぜぇ。あの女、散々泣きわめいてよぉ。しきりにアンタの名前を呼んでたなぁ。“クロウ、助けてクロウッ!”ってなぁ」
バクスターは甲高い声で似ても似つかないロランのモノマネをした。手下たちがそれに大笑いをする。
「なぁ、お前ら一体どういう関係だったんだぁ? 女同士でぇ」
――ペースに飲まれるな。今は拮抗してはいるといっても、簡単にこちらの不利になる。
「私を怒らせようって魂胆か? 安い作り話はやめておくんだな」
「異種姦なんかにゃあ興味がないんだがなぁ。アイツの嫌がり方があまりにもそそったんで、生まれて初めてエルフ相手に勃っちまってよぉ。面白かったぜぇ。エルフで初物なんて後生自慢できる」
――幼稚な作り話だ。分かるだろクロウ………。
クロウは必死で自分の中の激情の手綱を握る。
「ああ、そうそう」
バクスターは目じりの涙を指で拭った後、顔を傾けて大きく目を開いた。
「あの女が最期に何て命乞いしたと思う?」
「ぶっ殺す!!」
クロウの獣性が、弾けた。
狼のように牙をむき出し、虎のように体を縮ませ刀を握り獲物に襲いかからんとした。
「俺も同じ気持ちさ
バクスターが再び拳銃でクロウに狙いを定める。
「気が合うじゃねぇか、うれっしいぜぇぇぇ!!」
バクスターの魔性もまた弾けていた。
魔狼は
クロウは正面のバクスターの方ではなく、横の壁へと斜めに走った。
発砲するバクスター。ピースメーカーの凶弾はクロウには当たらずに足元の地面が弾けた。
クロウは飛び上がって壁を蹴り、側面を走って勢いがギリギリ重さに耐えられなくなるところで更に壁を蹴った。
そしてバクスターの背後の壁に跳び、そしてその壁を更に蹴ってゴブリン達の正面に着地した。
バクスターがその間、クロウを目がけて二回発砲していたが、いずれも当たることはなかった。
バクスターの真正面に降りたクロウは居合抜きでバクスターに切りかかった。
だが、激昂と力みのせいで居合いは腕の力だけを使った不完全なもので、刃は尻もちをついてすっ転んだバクスターの腹を掠めただけだった。
再度袈裟で切りかかろうとするクロウ。だが、刃は二匹の手下たちが左右から突き出したさすまたに防がれた。
クロウは手下を左右の切り上げでそれぞれ始末してから再び
心臓を狙った渾身の突き。
バクスターが、
クロウは刃を抜こうと刀を引くが、手下の肉に刃先が絡まり上手く刀が引き抜けない。ようやく刀が抜けたと思った時、拳銃の先端がクロウを向いていた。
かまわずにそれでもクロウが切りかかろうとすると、拳銃の先端が火を噴き轟音が響いた。
クロウの片足に力が入らなくなった。見ると、右膝の上から血が噴き出していた。クロウは右膝をついて倒れた。
クロウは何とか左足でだけでも立ち上がろうとするが、すぐに四方八方からゴブリン達が跳びかかりクロウの動きは封じられた。
「離せ! 殺してやる!!」
息巻いていたクロウだったが、あっという間にゴブリン達の殴打を受け四つん這いになって立ち上がることもできなくなった。
「殺すなよぉ。宴はこれからなんだからなぁ」
と、バクスターが布袋に石を詰めながら言う。
そしてバクスターはその布袋を振り回し愉快そうにスキップをしながらクロウの方へ走ってきた。
「ほぉうらぁ!」
バクスターが石の詰まった布袋でクロウの顎を殴り飛ばした。顎が勢いよくかち上がり、クロウはそのまま意識を失った。
朦朧とする意識の中、クロウはバクスターの高らかな嗤い声を聞いていた。
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