8-21
その頃シーナはというと、アリアの勢いに飲まれぐいぐいと腕を引っ張られていた。
「大丈夫、だーいじょうぶ。優しいって評判のお客さんなんだからっ」
「あ、あれだよね? 接客ってもアタイは今日はお酌とかそういうことをするだけだよね?」
「何を言ってるの? 街のキャバレーじゃないんだから、しっかり体を使わなきゃ」
「か、体?」
「だってそうでしょ? ここは娼館なのよ?」
アリアが、んもうっと明るく笑ってシーナの脇を肘でつついた。
「そんな、今さっき来たばっかりで心の準備が……。」
「心の準備? そんなこと言って次は何を言うの? 生理明け? 化粧のノリが悪い? お腹が空いた? ダメよそんなことじゃあ。何事も思い切りが大事。ね? わたしを信じて」
そしてシーナの耳元でそっと囁いた。
「カールスさんは優しくはないわよ。出鼻でつまずいたら、貴女はこれからずっと使えない女だって彼に思われるわ……。客も異種族のオークやゴブリンを取らされるかも」
「え? オーク?」
「たまに来るのよ。その時は、皆から嫌われてる子が相手することになるわね」
気づいたときには、二人は個室の前にいた。
「さ、お待ちかねよ」
アリアがドアを開ける。安宿屋の寝室よりもさらに小さい部屋の真ん中には、毛むくじゃらの中年男が全裸でロッキングチェアに座っていた。
男は女が入ってきたというのに体を隠そうともしない。それどころか、二人を見るなり全身を見せつけるように立ち上がった。
シーナの視線は思わず男の股間に釘づけになる。
「お話してた、今日が初めての子よ」
と、アリアが言う。
今にも男は舌なめずりしそうな表情でシーナを見て頷く。
慌てふためくシーナにアリアは微笑み、
「じゃあ、ごゆっくり。シーナ、頑張ってね」
と、言い残し部屋を出ていった。
「あの、あのっ」
哀願するように悲壮な顔でアリアを追いかけようとするシーナの肩を、男ががっしりと掴んで振り向かせた。
「オメ、仕事さ初めてなんだって? 初々しいなぁ」
「あ……その……。」
「優しくすっからよ、安心してけろ」
男は室内の灯りを消してから、これなら恥ずかしくねえだろ? と、シーナを抱きかかえてベッドに寝かせた。
男の巨躯に覆いかぶさられたシーナは、股関に膨張した男のイチモツがゴリゴリと押し当てられているのを強烈に感じ息を飲み混乱した。
男は元々はだけ易い造りのドレスをずり下ろし、シーナの上半身を露わにして胸にむしゃぶりついた。
「オメぇめんこいなぁ。若ぇから肌もスベスベだぁ。具合さよかったらこれからも指名すっからよぉ……。」
男のヒゲと胸毛、硬い肌、強烈な体臭、シーナは混乱と恐怖でほんの少しの抵抗をすることも忘れ、なすがままになっていた。
シーナが客を取らされている最中、クロウは控え室に並ぶ本棚から本を取り出していた。字の読めないクロウだったが、その本が外国の言葉で書かれているのは分かった。
「それ、竜人の国の本だよ。ウチじゃもう誰も読めないけどね」
と、メグが言う。
「もう?」
「読める奴が上げてもらったのさ」
“上げてもらう”とは踊り子時代もクロウたちが口にしていた言葉で、客の妾か運がよければ正妻として引き受けてもらうという意味だった。
そしてその一抹の希望が、彼女たちを支えるタガでもあった。
「アタシらは踊り子以上に“デキる女だ”ってもんさえ見せつけなきゃあいけないけどね。だから暇なときは化粧の工夫はもちろん、教養身につけるためにそういった小難しい本が置いてあるんだよ」
「……この国の言葉で書かれてるのはどれ?」
メグはクロウをまじまじと見てから笑って椅子から立ち上がり、本棚から一冊の本を取り出した。
「字の勉強をしたいならこれだね。学校で子供が最初に読むような奴さ」
別に上げてもらいたいワケではなかった。
ヒムの書類にサインをしてしまったのは字が読めなかったから、だから字が読めないとまた良いように利用されてしまう。クロウは今一番必要な武器として、字が必要だと考えたのだ。
「ま、半ば諦めてる奴もいるけど、誰だって最初は自分を見限らないもんだからね」
「……え?」
とクロウが言う。
「え? 何?」
「今、何て言ったの?」
クロウは尋ねた。
「いや、誰だって最初は自分を見限らないて言ったんだよ。……それがどうかしたのかい?」
「……いいえ、何でもないわ」
クロウは本を開いたが、やっぱり読めなかった。
困った顔をするクロウを見かねて、メグが「エレナっ」と、有翼人のエレナに声をかける。
声をかけられたエレナは、足で握っていたはたきを置いて二人のところへひょこひょこと歩いてきた。
「なぁに、メグ?」
「この新人に字を教えてやりな。……エレナはここじゃ一番読み書きに関しては達者なんだよ」
「よろしく~。あぁその本だね。簡単だよ?」
エレナはクロウを自分の隣に座るように促した。
「一番最初を開いて」
エレナに言われ本を開くと、最初の見開きには文字がびっしりと書かれていた。
「まず、“字”そのものを覚えないとねぇ。字には読み方とは別に名前があるの」
「……どうしてそんなにややこしいの?」
「なんでだろうねぇ。読み方だけで繋げても、単語によってはそれじゃ読めない時があるからだとエレナは思うよ」
「いい先生だろ?」
メグが笑っていると、アリアが控え室に入ってきた。
「メグ、指名よっ」
メグは分かったよ、と頭を掻きながら部屋を出ていった。
そしてアリアは二人を見て言う。
「……エレナ、そろそろシーナの部屋が終わるから用意しておいて」
「はぁい」
「クロウも、エレナの仕事を手伝って掃除を覚えて。体売るだけがここの仕事じゃないんだから」
「……わかったわ」
エレナは足で器用に掃除道具を用意し始め、それを終えると「行こう」とクロウを誘ってシーナの部屋へ向かった。
シーナの部屋に二人が入ると、特に鼻が敏感なクロウはその悪臭に思わず呻いた。男がワキガだったのだろう、その臭いで脳天が内側から叩かれたような目眩がした。
男の体液の臭いに、女の体液の臭い、クロウの鼻は僅かに漂う臭いを嗅ぎ分け、脳内に先ほどまで何が起きていたのか克明に再現させた。
しかし、沸き立つ臭い二人のだけではなかった。窓のない木張りの室内にこびりついた臭いが、クロウにまるで無数の男と女の裸体が部屋中に転がっているかのような残影を見せていた。
シーナはというと、シーツを抱きしめながら部屋の隅にうずくまっていた。二人が入室したのに気づいているのかどうかも分からなかった。
エレナは見慣れた光景なのか、口を大きめのハンカチで覆ってから黙々とベッドのシーツを取り替え始めた。
エレナがシーツの端を持って言う。
「クロウ、そっち端を持って」
クロウが端を持つと、エレナはこれまた足で器用にシーツを振り始めた。埃や陰毛といった細かいゴミが床に落とされる。
「次に
「……シーツはどうするの?」
「もっと綺麗に
「え? また使うの?」
「一日に何人もお客さんが来るからねぇ。毎回洗ってたら追いつかないよ。あ~でもすごい汚れてたら流石に取り替えるかなぁ。でもこれは大丈夫」
エレナはそう言うが、クロウには十分にドギツイ臭いがしていた。
先ほどから部屋の隅から動かないシーナを心配してクロウが声をかける。
「あのさ……大丈夫?……なわけないよね」
シーナはすすり泣いていた。
昼間、馬車の中では勝気に見えたし、中々に世間のことを知っていたような彼女だった。しかしやはりまだ17歳そこそこ、見ず知らずの男に抱かれて大丈夫なわけがなかった。
「あ~、でも初めてじゃあなかったんでしょ?」
とクロウがフォローを入れてみる。
「……裸なんて、ミックにしか見せたことなかったのに」
クロウもエレナも、何とはなしにそれが彼女の故郷に残した男なのだと予想をつけた。
「酷いよ……もう、彼の所に戻れない……。」
貧しい農家では概して婚約者もまた貧しいものである。そのため、彼女が病床の妹の薬代に困っていた時、彼女の婚約者側もやはり彼女を助けることができなかった。
故郷を離れる際、永遠の別れも覚悟していたシーナだったが、心のどこかでは男と再会を果たし、二人で幸福に暮らす将来を夢見ていた。
そしてその淡い夢が、たったいま冷淡にぶち壊されたのである。
娼婦となった彼女を、裕福ではない農村の人間といえど温かく迎えるとは考えづらかった。
それどころか、狭い村の場合はかえって噂が立つ場合さえもある。一度汚れた女ならば、またすぐに浮気をするに決まっていると。
クロウはそれ以上言葉をかけることができなかった。せめて刺激しないよう、シーナを避けるようにして箒で部屋を掃くぐらいだった。
そして掃除をしながら、やがて自分も彼女のような絶望が待っているのかと背筋を凍らせた。
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