7-14
ブッシュが部屋を去ると扉が開き、入れ替わりにバンクスとロバートが入ってきた。
バンクスがクロウの後ろにまわって言う。
「まったく、お前はどういう強運なんだよ。二回も土壇場で釈放だ? 考えられん」
そしてクロウの手枷を外した。
強運ではなかった。完璧に負けていた。カードはブタで、相手は磐石のストレートフラッシュ。なのに、何者かがカードをそっくりすり替えていた。
それはイカサマと呼ぶにはあまりにも稚拙で堂々としていて、何のためらいもなかった。
まるでゲームのルールを守るという約束事すらを共有していないような、そんな何者かによってテーブルが乗っ取られたのだ。
前回と同じく普通に話すバンクスだったが、ロバートの方は浮かない顔をしていた。
結局彼は無実の女を牢屋で犯したことになる。どんなに下劣な男とはいえ、罪悪感を持たずにはいられなかった。
クロウはそんなロバートの様子を伺いたくもあったが、ロバートの顔を見た瞬間に襲いかかりそうだったので努めて見ないようにしていた。
「さあ出るぞ。もうお前には関わりたくない。お前だってそうだろ? 二度あることは三度ある。また捕まえても、お前ときたらどうにかして出て行っちまうかもしれないんだからな。やってられんよ」
クロウはバンクスとロバートに挟まれるようにして部屋を出た。
「俺だって気が進まなかったんだ、本当だぜ? だが、どれだけクソッタレた汚れ仕事だろうが仕事だからな。今日からお互いまともなベッドで眠れるってわけだ」
そう言うバンクスに対して、クロウは何も答えない。
玄関を出ると正面には安い木張りの馬車が停車していた。
馬車の前にはいつもの薄いブルーの粋なスーツで身を包んだディアゴスティーノが待っていた。
ディアゴスティーノはクロウを見ると気に入らなさそうに煙草を地面に叩きつけ、自慢の黒い革靴でそれをもみ消した。
「ほらよ、釈放だ」
バンクスはクロウの手枷を外し、ディアゴスティーノに差し出した。
ディアゴスティーノは前回よりも遥かにボロ雑巾という表現がお似合いのクロウを見て顔を歪める。そして無言でバンクスとロバートを睨んだ。
バンクスが肩をすくめる。
「仕方ないだろう? 今回はイヴ・ヘルメス嬢の殺害容疑だ。チンケなコソ泥と違って取り調べに熱も入ろうってもんだ」
ディアゴスティーノは無言でクロウを見る。
「頼むから、猫耳同士でしっかり鈴付きの首輪をつけてといてくれよ。もう無駄な仕事はしたくないんだ」
と、クロウを自分の手の中に収めたと思っているロバートがいきがった。
「……アンチャン、二度目だぜ」
「何だよ?」
「その言葉ぁ使うのがだよ」
「だからどうした?」
「……例えウチのシマじゃあなくっても、それを俺の前で三回口にすんじゃあねえぞ」
ロバートはディアゴスティーノに凄んだ。
「うるせぇよ、ねこみみ」
ロビンは童貞を卒業した直後のガキくらいの自信を持っているようだった。そのせいで、ディアゴスティーノの喉がまずい音を立てて鳴っているのに気づいていない。
しばらく睨み合った後、ディアゴスティーノは水色のフェルト生地の帽子を被り直し、踵を返して馬車に乗り込んだ。
その後ろ姿に、ロバートはケッと舌打ちをするようにして唾を吐いた。
ディアゴスティーノが乗り込んだあとも、馬車のドアは開きっぱなしだった。要するに乗れということらしかった。クロウは誘われるままに馬車に乗り込んだ。
クロウが馬車に乗り込むと、ディアゴスティーノは客車の中の壁を叩いて御者に合図をし、馬車を走らせた。
馬車が走る間、わざとらしいくらいにふたりの間には全く言葉はなかった。
窓の外を夏の景色が流れていた。たとえ乗り物からだろうと、たとえ春夏秋冬が変わろうと、たとえ世界が滅びかけていようと、人はそれが故郷へと続くものであればすぐに分かる。その流れていく風景が、郷愁と共にクロウの張り詰め押さえつけていたものを
切り結んで命のやり取りをした男。
体を無理やり弄んできた男。
そして肌を合わせて愛し合った男。
どうにも喜怒哀楽に忙しい旅だった。関節の節々すらも、疲れのあまり煮込んだ筋のようにグダグダになりそうになっていた。
クロウは馬車の座席により深く座り込んだ。
「しばらくここを離れろと言ったろぉ」
ようやくディアゴスティーノが口を開いた。
「……分かったとは言ってないだろ」
ディアゴスティーノのため息をつく。
「なぁクロウ。もう剣を置けよ」
クロウは怪訝な顔をして腰の刀に手を触れた。
「そうじゃあねぇ。そういう生き方をやめろっつぅ話しだよ」
黄色と黒のコントラストが鮮烈なアゲハが、馬車の窓のすぐ外を飛んでいた。
クロウは子供の頃、アゲハ蝶が好きだったことを思い出した。モンシロチョウは何か弱々しくていけない。陽の光を浴びるアゲハは、美しさよりも強さを誇っているように当時の彼女には思えた。
「別によぉ、その生き方しかねぇってわけじゃあねえだろう。普通に村に留まって耕して紡いで季節がくりゃあ村の祭りの準備して、周りと同じように生きてきゃあいいじゃねぇか。適当にいい奴見つけてくっついたって良いし。なぁに、ガキが産めなくったって気にするこたぁねえ、そういう夫婦だっていっぱいいるんだぜ? 確かに、同い年の奴らはオメェに比べりゃあ早死するだろうさ、俺を含めてな。だがよ、考えようによっちゃあ、そりゃただ単に近所の長生きバアさんってことくらいのもんだろ。大げさに取るこたぁねぇよ」
アゲハ蝶が見えなくなった。
大人になったクロウには、アゲハもモンシロチョウもどうでも良くなっていた。
「普通に生きるってぇのはそれなりに根拠のあるもんなんだよ。道みてぇなもんさ。大勢が自ずとその道使って、次第に広くなってなだらかになって歩きやすくなってるんだ。わざわざ獣道を歩くなんて、そりゃあ反抗期のガキのすることよ。最初はぎこちないかもしれねぇが、時間が経ちゃあ歩き方も靴の選び方も慣れてくるもんだ」
セミの鳴き声が、黄緑色に光っている木々の隙間から聞こえていた。
一瞬だけの燃えるような生きる力の溢れる季節に、クロウはほんの少し傷が癒されるような気がした。
しかし何百年も生きる木々からすれば、自分たちもセミも大して変わりはないのかもしれない。短い人生でやかましく生きているという点に関しては。
クロウは想いを巡らせながら、馬車の外を無言で眺め続けた。
「……よぉクロウ、俺はオメェを退屈させてるか?」
「いいや、お前さんのユーモアのセンスはいつだって最高だよ。ただ今はちと気分じゃないんだ、折をみて思い出し笑いするさ」
ディアゴスティーノはこれだよ、と呆れ気味にぼやいてからクロウを叱責した。
「クロウッ、オメェのその生き方が一体何になったってんだっ? そうやって世間に片意地張って背ぇ向けて、何か得することでもあったかよっ? 少なくとも俺の目の前にはよ、惨めで
窓の外から湖が見えた。水面から反射された光が目を刺し、クロウは片目をつぶった。
「……馬車を、止めてくれないか?」
クロウは独り言のように言った。
ディアゴスティーノはしばらくクロウを見た後、客車の壁を拳骨で叩いて御者に合図を送った。
クロウは何も言わずに馬車から降りた。
「おい、どこ行くんだよっ?」
と、ディアゴスティーノが訊く。
クロウはディアゴスティーノを振り返らずに言う。
「……先に帰っててくれ」
湖の湖畔までたどり着くと、そこでクロウは乱雑に服を脱ぎ捨てた。
そして一歩一歩、湖のより深いところへと足を進めていった。
掌で水をすくい、何度も体を撫でるように擦る。二の腕、首、そして両手の掌で水をすくうと強めに顔に浴びせかけた。
波打つ水面には、打ちひしがれた女の顔が映っていた。歪んだ水面が落ち着くと、それが自分の顔だということに気づいた。
そうか、今自分はこういう風に見えているのか……。
かつて愛し合い、今では棺桶で埋葬されるのを待つばかりの男が言った。
――どうしてそんなに君は強いんだい?
それに私はこう答えたんだっけ。
――私が強いわけじゃない。今の世の中、余裕をなくした奴が多いだけだ。
余裕か……。今は、ないな。
クロウは激しく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます