6-12
「何をしに来た? 掃除の時間か掃除夫」
しかし、威圧されてもロバートはダノンに近づき耳打ちをする。
「……馬鹿なっ。間違いないのか?」
ロバートは下を向いてそれ以上何も言わずに黙った。
バンクスもロバートから状況を聞くと、やはり黙って上司を見た。
「クソが……。」
とダノンは呟き、突っ伏しているクロウをしばらく見続けた。
「おいお前ら、何を突っ立ってるんだ? とっとと仕事をしろ」
バンクスは机の上のクロウに声をかける。
「おい、立て」
「どうしたんだい? 何か都合の悪いことでも? お前さん達にとって」
だが、ダノンは何も答えたくないようだった。
バンクスが代わりに答える。
「釈放だ」
「そいつぁどうも」
クロウは余裕を見せたかったが、息がかすれてうまく声が出なかった。
体力の低下と棍棒で打ち据えられたダメージで、膝を笑わせた状態で立ち上がる。
三人いる男たちは誰もクロウに手を貸そうとしなかった。
痛みで呻きながら腰を伸ばした後、クロウは鉄扉を指さして言う。
「出口はこちらかな?」
「分かりきったことを言うなっ」
と、苛立ったダノンが言う。
ロバートが扉に手をかけ、バンクスがクロウの後ろについて部屋をあとにする。
二人共、上司を恐る恐る見ていた。
部屋を出ようとするクロウにダノンが問う。
「……これが狙いだったのか? これがお前の言う計算か?」
クロウは上を見上げもったいぶったように言う。
「う~ん計算って言うには心許ないな。なにせ、カードを二枚変えてストレートフラッシュを狙うくらいの確率だったんだからな」
「……馬鹿な」
とダノンが呟く。
「だから言ったろう? とっとと監獄に連れて行くべきだと。お前さんとどつき漫才をしている間に勝機の勝算を上げさせてもらったよ」
ロバートが扉を開けようとすると先に扉が開き、掃除婦が「お掃除入ります」と入ってきた。
掃除婦は扉の隅に避けクロウたちが通れるように移動する。
「……待て」
ダノンが机の向こうからゆっくりとやって来た。
「お前はもう釈放だ、手を出すわけにはいかん。……手はな」
そう言ってクロウの顔をじっと睨む。
そして顔を歪めると、ダノンは思い切りクロウの顔に唾を吐きつけた。
唾はクロウの鼻の横に引っかかった。
「連れていけっ」
と、ダノンは背中を向けて言った。
クロウは掃除婦の持っているバケツから雑巾を取り出し、それで顔をしっかりと擦る様に拭った。
「申し訳ないマダム、その雑巾はもう使えないよ。汚れてしまったからね」
クロウは雑巾をバケツに叩きつけるように放り込んだ。
クロウはダノンの舌打ちを聞いた。
二人に連れられて一階まで上がると、正面玄関のところではサマンサが待っていた。
クロウに気づいたサマンサは小走りでレンガ造りの床を音を立てながら近づいてきた。
クロウの様態を見てサマンサは驚く。
「貴方がた、これはどういうことですか? 私が彼女と別れてほんの少しの時間に何があったのですっ」
バンクスが言う。
「いやぁシスター申し訳ないが、彼女非常に非協力的でね。ウチのボスのヒンシュク買っちまったんだ」
「気にすることはないよ、シスター。賭けに勝ったのは私だからね」
クロウは背中越しから、二人が苦虫を噛み潰している様子を感じ取っていた。
受付では、役所にそぐわない亜人・フェルプールが手続きをしている真っ最中だった。
オーダーメイドのスーツに黒光りする皺ひとつない革靴。
毎日風呂に入り手入れを欠かさない、獣臭どころか石鹸の匂いがしそうな清潔な毛並み。
普通の人間の町人よりもはるかに洗練された身なりのディアゴスティーノだった。
書類を書き終わると、ディアゴスティーノは受付の女性に周囲から見えづらいように手を近づけ、まっさらなピン札を手渡した。
「ありがとう。あまり使いたくなかったが、ワイルドカードを引かせてもらったよ」
「危なっかしいですわね。ワタクシがあの方の名前を忘れていたらどうするつもりだったんですの?」
「聖典を丸暗記するんだろ? 聖職者の記憶力は疑いようがないさ」
ディアゴスティーノはクロウを見ると、目をそらして聞こえるように舌打ちをしながら歩いてきた。
「驚いたよディエゴ、まさかお前さんが直々に来てくれるとはね」
ディアゴスティーノは不快そうに鼻笑いをして言う。
「前も言ったろう。俺ん所の奴らは信頼できるが馬鹿だと。役所の手続きなんかやらせたら数回俺のところに戻ってきて二度手間三度手間が目に見えてらぁ」
そしてディアゴスティーノはクロウの様子を少し伺って付け加えた。
「それと、今回に使ったもんはオメェが俺に預けた分から引かせてもらうぜ。まったく、人を銀行替わりにするわ小間使いにするわ、相変わらず引っ掻き回しやがる。これは貸しだからな」
「利子つけるのはやめてくれよ。どうせまた揉めるんだ」
ディアゴスティーノはケッと笑ったあと、二人の役人に
「もうコイツに用はないんだろ? 帰らせてもらうぜ」
と告げ、そのまま
釈然としていないバンクスがディアゴスティーノの背中に向かって言う。
「おいお前、一体何をしたんだ?」
「ああ? んなこと言わせんなよ。ここの所長に天秤かけてやったんだよ。明日にはテメェのこと忘れちまう気まぐれな貴族様の奴隷になるか、明日も明後日も嘘をつかねぇ金ピカの奴隷を召し抱えるか。賢い奴なら考えなくったって分かることだぜ」
と、ディアゴスティーノが背中越しに言う。
「猫耳が賄賂とはな、世の中もずいぶん変わったもんだ」
と、負け惜しみの様にロバートが言った。
ロバートは自分が過ちを犯したことに気づいていなかった。
ディアゴスティーノが振り返る。
「よぉアンチャン、親切心で言っとくぜ? ウチのシマでその
「ほほう、亜人が役人に手を出したらどうなるかも分からないのか。死体が上がりでもしたら、証拠がなくても問答無用にお前ら亜人が真っ先に疑われるんだぜ? これだから田舎のヤクザは――」
「何言ってんだオメェ? この世から消えて無くなる奴をどうやって探すってんだよ」
ディアゴスティーノは濃いグリーンの瞳を爛々と輝かせ、牙を剥き出しカチカチと鳴らした。
ロバートは思わず生唾を飲み込んだ。
「おい、やめとけ」
と、バンクスが仲介に入りロバートが引っ込む。
ディアゴスティーノは強めに鼻で笑うと、
「けぇるぞ」
と、再び歩き出した。
役所を出た後、迎えの馬車の前でディアゴスティーノは何か言いたそうにクロウを見ていた。
「……オメェ、俺が来なかったらどうするつもりだったんだよ」
「その時はプランBさ」
「なんだそりゃ?」
「プランAがダメだった時に考える奴だよ」
「馬鹿が!」
ディアゴスティーノは本気で怒った。本気のあまり怒るというより叱るに近かった。
「まぁそう言いなさんな。そりゃあつまり、お前さんを信頼してたってことだよ。私にとっちゃあ白馬の王子様よりずっと信頼できるんだぜ、ディエゴ」
「ばかが……。」
と、ディアゴスティーノは顔をそらした。ディアゴスティーノが部下にはあまり見せない表情だった。
「たまに殺されかけるがね」
「オメェがその減らず口を叩かず素直になりさえすりゃあ一生面倒見たっていいんだぞ。お袋の遺言だからな」
「涙が出てくるよ」
クロウはふざけてるつもりだったが、ディアゴスティーノが真顔だというのに気づいた。
「おいおいディエゴ本気か」
ディアゴスティーノは少し何かを考えてから言う。
「クロウ、オメェにも親切心で言っとくぜ? しばらくこの領内から離れろ。今回はたまたま俺の耳にこの事が入ったが、次はどうなるか分からねぇし何より袖の下が通用しねぇってこともある。なぁに、しばらくすりゃあほとぼりも冷めるさ」
そしてディアゴスティーノは馬車に乗り込んだ。
「しばらく……ね。」
クロウも少し考えてからディアゴスティーノに言う。
「なぁディエゴ、お前さん一体何を知ってるんだ?」
馬車の客車に座るディアゴスティーノの眼光が鋭くなった。
「クロウよ、お袋の遺言とマーリンの名にかけてオメェのやることには多少目をつぶる。だがな、俺はディアゴスティーノ・クライスラーだ。クライスラーの名はベンズではもうお袋の世代とは別の意味を持ってる。もしオメェが俺の邪魔になるってんなら、そん時ゃ俺は遠慮なく指をこう動かすぜ」
そう言ってディアゴスティーノは人差し指で首を掻っ切る仕草をした。
「痛み入るよ」
「ところでオメェ、さっきから気になってたんだが何か雑巾臭ぇぞ」
「お前さんはもうちょい乙女心を理解すべきだね」
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