6-10

 クロウのような無頼のレンジャーが、役所に用のある場合は二つしかなかった。レンジャーの登録部署と刑部(司法を担当する部署)だ。

 事を起こす前は前者で、事を起こした後は後者になる。もちろん、後者には世話になることがないならそれに越したことはないのだが。

 クロウが連行された役所は、貴族の屋敷程ではないものの平民の用がある中では一番大きい建物だった。

 赤レンガ造りの二階建てで、四角形を寄せ集めたような造りをしていた。

 サン・モルガン教会とは世界観がまるで、違うこういった形式の建物が戦後には多く作られていた。

 そしてそれを指示したのが、他ならない転生者だった。


 二人の役人、バンクスとロバートはその正面で雑用夫に馬を任せ、クロウを前後で挟むように建物内へと連行する。


 正面玄関のコンクリート製の階段を上る前にバンクスはサマンサに確認する。

「もしかして役所の中までついてくる、というわけではありませんよね、シスター?」


 サマンサは微笑んで首を振った。

「いいえ。神の仕事は神に、人の仕事は人に、貴方がたもご存知のとおりです」


 聖典の引用だったが、バンクスはそれがいまいち理解できず、とりあえず頷いておいた。


「ところで、私は何の咎で連れて行かれるんだろう?」

 と、クロウが尋ねる。


「さっきも言っただろう。いくつかあるんで、ひとつひとつ確認すると」

 と、バンクスが答える。


「ひとつくらい教えてくれてもいいじゃないか?」


「……無許可での仕事だ」


「おいおい、モグリのレンジャーが一体この領地だけでも何人いると思ってるんだ? そんなことでいちいちしょっぴいてたら役人の数が足りないだろう? 私が言いたいのは、しょっぴいてるかって話なんだがね」


「自意識過剰だな。いつだって男が自分を探してうろついてるとでも思ってるのか?」


「困ったことに、そういう男が私の周りにはいっぱいいてね」


 バンクスはふん、と嗤うと敢えて無視するように歩き出した。


 クロウは眉間を釣り上げて呆れたようにサマンサに言う。

「これだものな、男というのは窮するとすぐに黙ってしまう」


 サマンサも片眉を釣り上げた。


「いい加減黙って歩けっ」


 クロウは役所の中を連行された。

 刑部の受付では、昼間から酔っ払ってひどい訛りで何を言っているか分からない男が受付の初老の役人を困らせていた。

 服が破けて泥に汚れていることから、その酔った勢いで何かをやらかしたのであろう。

 クロウはてっきり自分も受付で待たされると思ったが、そのまま奥の階段を降り、ロバートの言うように地下室まで案内された。

 壁のロウソクが辛うじて足元を照らす石階段を降りると、突き当たりには重々しい鉄製の扉があった。装飾部分のくぼみが錆びてより陰湿さが際立っていた。

 その扉をロバートが開けると、そこはサン・モルガン教会のように薄暗い石壁に囲まれた息苦しい空間になっていた。

 クロウの鼻が、室内に染み付いた血の臭いを嗅ぎ取った。


 部屋の中央ではバンクスよりもさらに年配の、油ぎった男がウォルナット材の机の前に腰掛けていた。

 頭は天然パーマを無理やりに七三に分け、鼻先は酒も入っていないのに真っ赤で、目の周りは厚ぼったく腫れていた。瞳は凍った水たまりのように灰色に濁っている。刑部で長年鍛えられた男の顔だった。

 昔は筋肉質だった体は、今では運動不足でついた脂肪ででっぷりと太っていた。

 男は名をダノンといった。この地区の刑部の長だった。

 ダノンは幾度も容疑者をブラックジャック※で打ち据え続け、やがて長い年月の中でそれが社会貢献だと錯覚するようになった典型的な役人だった。

(ブラックジャック:円筒形の革や布袋の中にコインや砂などを詰め、絞って棒状にした棍棒の一種)


「随分とお早い帰りだな。をしろと言ったはずだが?」

 ダノンは爪の汚れを確認しながら言う。

 少し汚れていたのか、爪の間を爪でえぐってそのカスを指で弾いた。


「あの、ダノン部長。それが、邪魔が入ったと申しますか……。」


してやってそのざまか?」

 ダノンがバンクスの言葉を遮った。

 なんと言われようと、決めた台詞しか話す気がない男だった。


「恐れ入りますが部長。この女、中々の食わせ物です」

 ロバートが口を開いた。だがダノンは何も言わない。

「我々を挑発して危害を加えさせ、他の者の目を引いてこちらの仕事をやりにくくしたのです。甘く見ていると手こずります」


 ダノンはロバートではなくバンクスを向いて言う。

「この青びょうたんは誰だ?」


 バンクスは答えられなかった。


「何だお前は? 見たことがないな、新入りの掃除夫か?」


「あの、その……。」

 ダノンに質問されるが、ロバートは酔って帰宅した父親になじられる子供のように言葉を選べなかった。


 ダノンは一言一言区切るように言う。

「俺はお前なんぞ知らん。言うことはなおさらだ」


 ロバートは黙ってうつむいていた。


「役立たずの姿など見えん。認識もしたくない。俺の目に留まりたかったら仕事のひとつでも覚えろ。でなきゃあ俺はお前を記憶の隅にすら留めんぞ」


 ただでさえ息苦しい室内が、ダノンのせいでより一層窮屈になっていた。

 バンクスたちに何の情もないクロウだったが、次第に彼らが哀れに思えてきた。


「ところで、コイツはどうして縛られてすらいないんだ? お前らあやとりの方すら忘れたのか?」


 ロバートがまた口を開いて申し開きをしようとしたので、急いでバンクスはクロウの手を回し手首を縛った。

 クロウは自分が縛られているにも関わらず、それが賢明だと思った。

 クロウを縛り終えると、ダノンはクロウを座らせるように部下に目配せをした。

 クロウは机を挟んでダノンと対面した。

 机は端が欠け丸くなり表面もささくれ、その上からニスでコーティングをし直されていた。所々に血のシミもあった。

 多くの容疑者がこの上に押し倒され、背中を棍棒で殴られた光景がありありと浮かぶようだった。


 ダノンは何も言わずにまじまじとクロウを見ていた。

 それはクロウに興味があるのではなく、どちらかというとクロウを威圧するためだった。


「どうして何も言わない?」

 だが、しびれを切らせたのはダノンの方だった。


「どうせ私から話したって、お前さんは“誰がお前に発言を求めた?”とか言うんだろ」

 クロウが縛られたまま肩をすくめる。


 ダノンはクロウを気に入らなさそうに見ると、ブリキのカップにガラスの水差しで水を注いだ。

「飲むか?」


 クロウは再び肩をすくめて言う。

「この手じゃあ無理だ」


 ダノンはクロウの顔に水を叩きつけた。

「遠慮するな」


「助かるよ。喉がカラカラだったし、そのうえ肌まで潤わせてもらうなんて」

 クロウは水を顔面から滴らせながら言った。


 ダノンはバンクスを見て嘲笑う。

「タフぶってやがるぜこの女」

 そしてクロウを見て言った。

「だがな、質問があれば言っとけ。聞いてやれるのも今のうちだぞ? いずれ石壁しかお話する相手がいなくなるんだ」


 クロウは首を傾けて言う。

「さっきからその漫才コンビには訊いてるんだがね、私は何の罪で捕まってるんだろうか?」


「……不正な許可証の使用だ」


 クロウは思わず吹き出して笑った。


「何がおかしい?」


「二つある。私は期限切れの許可証を持っていただけだ。何があったか分からないが、しばらくここを離れてたんで無効になったことを知らなかった。だがそれを捨てなきゃあいけないという法もない。引退したレンジャーが記念に持ってたりもするだろう? 別に仕事をしてたわけじゃないんだ」


「ただ持っていただけだと?」

 ダノンが強めに鼻で笑った。

「それが通用するとでも? 期限の切れた紙を持ってる奴なんざぁロクでもないことを企んでいるに決まってるんだ。偽札しかり許可証しかりな」


 クロウは肩をすくめて不思議そうに尋ねる。

「お前さんだって期限の切れたさん持ってるじゃないか。何か企んでいるのかい?」


 バンクスが吹き出した。直ぐに咳払いに変えて誤魔化したが、ダノンはそれを厳しく睨んだ。

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