6-9

 声をかけてきたのは、馬に乗った二人組の役人だった。

 年季ばかりが入った安上がりの軽鎧を装備している。


「ちょうどよかったよ、お役人さん。こいつらに……」


 だがクロウが役人の方に気をやった隙に、倒れていた男たちは立ち上がり脱兎のごとく路地裏の彼方かなたへと逃げ去っていった。


「おい待て!」

 クロウは逃げる男たちを追おうとする。


「貴様も動くな!怪しい女だ、何をやっている!」

 役人は馬から降りながら言った。


 声をかけてきたのは中年の役人だった。

 クロウよりも少し背が高く、もう一人はその中年よりも頭一つ背が高い若い男だった。


 ヘルメスやダニエルズにおいて、役人につくのは大体が中小貴族の二男三男だった。

 跡取りになれないので領地を受け継ぐことができず、とはいえ平民の仕事をするわけにも行かない彼らの受け皿となっているのが役人だったのだ。

 二人もまた、何不自由なく育ったが何一つ我を通したことがなく、不満を述べつつも常に父親の顔色をうかがい長男のスペアとして無難な人生を過ごしているような、典型的な役人の顔つきをしていた。


 クロウが言う。

「おいおい、私はあいつらに襲われてたんだ。あっちを追ってくれないか」


「それはお前がただそう言ってるだけだろう?」


 中年も若い役人も、逃げて行った男たちを見ようともしなかった。


「そりゃあ……じゃあ彼女に聞いてくれ、正真正銘の尼さんだ」


 クロウがサマンサを指すと、役人は気まずそうに顔を見合わせた。


「なぁシスター、襲われていたのは私だ。お前さん見てただろう?」


「いいえ」


「え?」


「ワタクシが見たのは、貴女が街のゴロツキ程度に不覚を取って無様な姿を晒しているところです」

 サマンサに悪意はなかった。ただ彼女は率直なだけだった。


「つまり、単なる喧嘩かもしれないってことだな」

 中年の役人が得意げに言う。


「女一人が男四人と喧嘩だとか本気で考えてるのか」


「その腰の物はなんだ? 武器じゃあないのか? ギルドにはもちろん登録してあるんだろうな? そうじゃあないんだったらお前を無許可のレンジャーということでしょっ引くぞ」


「仕事なんてしてない、ただの教会帰りだ」


「ふん、やましいことのある奴はみんなそう言う」


「やましくなくても言う」

 クロウは両手を挙げ肩をすくめた。


「許可書を出せ」


「仕事はしていないと――」


「いいから出せっ」


 役人に逆らうことほど面倒なことはない。

 クロウは大人しくレザージャケットの内ポケットの許可証を出した。

 一応彼女自身の身分の正しさを示すものなのだが、クロウはどうにもこの手の書類をいい加減に扱いがちだった。

 許可証は折りたたまれ過ぎてボロボロになり文字も滲んでいた。鼻紙にだって使えそうになかった。

 役人は許可証を受け取ると、一瞬企んだような笑顔を浮かべ隣の若い役人にそれを渡した。


 若い役人にもしばらく許可証を見せて受け取った後、中年の役人は許可証をペラペラと振りながら言った。

「これは違法なものだ」


「何? 嘘をつくな。ギルドで交付してもらったものだ。よく見てみろ、そりゃあ多少いたんでいるかもしれんが」


「……お前、クロウ・マツシタだな?」


「……クロウで十分だ」


「知るか。お前にはいくつかの嫌疑けんぎがかかってる。とうにギルドからも抹消済みだ。役所まで来てもらうぞ」


「なんだと?」


 クロウは身に覚えが……と言いたかったがそうでもなかった。

 特にヘルメス侯に無礼を働いたのはまずかったといえばまずかった。


「連れていけ」


 中年が命じると、若い役人がクロウを縛るために荷袋から縄を取り出してきた。


「そんなことしなくても逃げやしない。黙ってついていくよ」


「お前に選択権はない。やれ」


 若い役人がクロウの背後に立ち、腕を回させ縛り始めた。


 クロウが振り向いて言う。

「女相手でも縛っていないと恐ろしくて馬も乗れないのかね?」


 若い役人の顔色が変わった。


「相手にするなっ」

 と、中年の役人が言う。


「さっきから黙ってるのはアレだろ、坊やだから余計なことを言うとヘタを踏むからって命令されてるんだろ?」


「おいっ」


「信頼されてないんだよ、お前さん」


 若い役人は息を荒げ、ようやく口を開いた。

「おいお前、あまり調子に乗るなよ。もうすぐ窓一つない役所の地下室でお前の悲鳴が響くんだぞ? だが誰も助けには来ない。お前のような取るに足らない小汚いレンジャーの身を案じる奴なんかこの世に誰ひとりいないんだからな」


「面白いな。コソ泥程度なら今の脅しで通用するかも知れん。ロウティーンで初めてパンを盗んだっていう程度のガキならね」


 クロウを縛る役人の手が止まった。


 中年の役人が言う。

「おいロバート、付き合うな。今日のお前のノルマは女を縛って役所まで連れて行くことだ。それが出来たらご褒美として宿舎の晩飯の厚切りベーコンを二枚から三枚にしてやる。だが、しくじったならベーコンはなし、皿に乗るのは野菜とマッシュポテトだけだぞ」


 若い役人・ロバートは顔を歪めた。

「バンクスさん、そんな言い方無いでしょう。俺だって真面目に――」


 クロウは歯をちらつかせ、囁くように言う。

「やったな、。大好きなベーコンだぞ? 次にお使いがうまくできれば食後にゼリーがつくかもな」


「黙れよっ」

 ロバートはエキサイトし始めていた。


「もしかしてお前さん、つい最近変声期が終わったのかな? やっぱり合唱コンクールではソプラノだった?」


 ロバートがクロウを壁に押し付けた。

「いい加減にしろよお前。俺が何もできないと思ってるのか?」


「そんなことはない。縛った相手にはお前さんは無敵さ」


 ロバートは腰から棍棒を抜き出しクロウの膝の裏を打ち据えた。

 クロウが地面に膝まづく。

 中年の役人・バンクスが業を煮やしロバートに注意を促そうとする。しかし――


「何をなさっているのですっ。女性相手に恥ずかしくないのですかっ」

 その注意の前にサマンサが声を上げた。


 バンクスは苦虫を噛み潰したように顔を背けた。

 クロウにとっては計算通りで、彼らにとっては計算外だった。


「この女が抵抗するからですよシスター」

 と、中年が申し開きをする。


「抵抗? 何も動いておりませんが?」


「いや、減らず口を……。」


「ソプラノが恥ずかしいことですか? 立派な役割です。だいたい、彼女は自分で歩けると言っているのですよ? 縛る必要がありますかっ」


「しかし相手は腐ってもレンジャーです、シスター。万が一ということもありえます」


「では、こうしましょう。ワタクシも貴方がたについていきますわ」


「え?」

 と、役人たちが同時に声を上げてハモった。

 ロバートの声は上ずって高くなっていた。クロウのソプラノという推測は間違いではなかったようだ。


「彼女が暴れるようなことがあれば、ワタクシが対処したします」


 ロバートは、挙動不審にバンクスを見る。バンクスはその視線を叱責のようなきつい目で見返した。


「恐れ入りますがねシスター、心配は無用です。こっから先は役人の仕事ですし何より女性の、しかもシスターの手を借りたとあっては我々も顔が立ちませんよ」


「貴方たちこそご心配いりません。ワタクシどもアグリコルの修道者に守られるのは恥ではありません。何より、弱き者を手を差し伸べることこそワタクシたちの本懐ですわ。笑いたい者がいたら笑わせておけば良いのです」


 サマンサにはいまいち話が通じづらいようだった。

 だが今はそれがクロウには功を奏していた。


 クロウは立ち上がりながら言う。

「なぁ、お役人方。お前さんたちこそ、本当にここを管轄している役人かね?」


「なに? なぜそんなことを聞く?」

 と、バンクスが訊く。


「いやね、わざわざ役人がこんなところを見回るために鎧を装備するというのも変な話かなと」


「それは、ここのあたりで強盗が出たという知らせが……。」

 バンクスの語気がやや弱くなる。


「だったらそちらを優先すべきじゃないかね? こんなレンジャーの証明書の不備なんて相手にしてる暇があるのか?」


「黙れ。お前の質問に答える義務はない」


「ではこうしましょう。ワタクシと彼女が馬に乗り、貴方がたも残された馬に乗れば良いではありませんか」

 そもそも聞いていないのか、話の流れを考えずにサマンサが言う。


「いやシスター、“こうしましょう”と言われましても……。」

 バンクスが恐縮して言う。


「何か、後ろめたいことでも?」


「そんなことは決して……。それにシスター、貴女がどのような方かも分かっていないのに……。」


「この修道服が何よりの証です。よもや貴方、ワタクシを偽物の修道女だとお思いですか?」


「それを言ってしまえばシスター、貴女だって私らが偽物だと思ってるということですかね?」

 憮然とバンクスが言う。


「ふふふ、その可能性も捨て切れませんわね。さぁ、では参りましょう」


 サマンサは縄を解きクロウを馬まで連れて行く。


 クロウを馬に乗せるとサマンサは笑って言った。

「もしこのお役人方が偽物で貴女も偽物、ワタクシまで偽物となったら中々に愉快な道中になりますわね」


 クロウが苦笑する。

「……お前さんユーモアのセンスがあるよ。修道女にしておくのがもったいない。喜劇の脚本を書かせたら年末の興行では拍手喝采の大ウケで演芸組合のホビットたちが歯噛みをして悔しがるんじゃないのか。エルフに負けたってな」


 サマンサは「まぁお上手」と、上機嫌に手綱を振るった。

 彼女のユーモアのセンスには期待できそうになかった。


 クロウは王都ウォルマートで行われた、去年の春の定期公演を思い出していた。

 留守の屋敷に忍び込んだ泥棒がその家の娘につきまとっていた結婚詐欺師に父親と間違えられ、けれど泥棒は間男をその家の娘の婚約者だと勘違いし、まがい物の宝石を売りつけようと屋敷を訪れた宝石商と婚約指輪の相談するというドタバタ喜劇。

 だが興行は大失敗に終わっていた。


 結局みんな、考えることは似たり寄ったりなのである。

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