第6章 ランブリング・オン・マイ・マインド
6-1
影が焼き付きそうなほどによく晴れた日だった。
クロウはディアゴスティーノの母親のメルセデスのところにいた。
メルセデスはクロウを化粧台の前に座らせ、ブラシで一族譲りの赤毛をといていた。
些細な光景だが、それでもその光景はクロウ親子の日常にはないものだった。
鏡に映る、自分と違うメルセデスの体を見てクロウは言う。
「メルおばさん、どうして私の体は皆と違うの?」
「お前さんだけじゃないさ。皆同じように見えて本当は違うんだよ。だだそれが見えやすい奴とそうじゃない奴がいるだけさ。それに、おばさんだって人と違うところがあるじゃないか? ほれ……。」
メルセデスはクロウと一緒に鏡を覗き込んだ。
メルセデスには、顔を三分の一程を覆う火傷の跡があった。
その火傷の痕は、彼女がまだ子供だった頃、村で大火事が起きた時に負ったものだった。
近所の家に二人の赤子が取り残されてしまい、大人たちでさえ
その子達は彼女の親戚ですらなかった。それ以来、彼女が村で一目置かれるようになったのは言うまでもない。
さらに治水工事や戦争への出兵で男たちがいなくなった時期には村をまとめ上げ、盗賊集団や外敵の侵略から彼女は村を守り続けた。
そういった数々の実績から、ベンズ村では村長以上に彼女は村人の尊敬を受けていた。
当の村長でさえ、メルセデスが男ならば自分が村長になる必要はなかったと謙遜するほどだった。
「それに、ディエゴにも内緒にしていることだってある」
「どこ? ねぇ誰にも言わないから教えて?」
「足の毛が濃いいんだよ。剃っているから分からないけれどね」
「……それくらいじゃん……私は……。」
幼馴染達が大人になろうとしているになる頃、クロウはまだ少女のままだった。
獣人フェルプールは、幼少期から青年期までの成長が早い。
10歳にもなれば人間でいう成人と同じ程度の体になる。
だが、クロウは人間よりも成長は早かったが、一方でフェルプールよりは成長が遅かった。
「何事も早ければいいってもんじゃない。速く進もうとすればそれだけ見落とすモノだってある。クロウ、確かにお前さんはフェルプールとも人間とも違うかもしれない。けれどね、だからこそお前さんにしか見えないものってのがあるのさ。人と違うものが見える、それはそれで大切な事なんだよ」
「でも私は皆と同じが良かった……。」
「……マーリンは何て言ってるんだい?」
「お父さんの子供だっていう証だから、誇りに思いなさいって……。」
「いいこと言うじゃないか。そのとおり、お前さんはお母さんとお父さんの愛の賜物だって事だよ」
「でもお父さんにはお母さん以外にも女の人がいたんでしょ? お母さんが一番大切だったわけじゃないってことじゃない。皆言ってる、お母さんはめかけだったって」
「……クロウ、お前さんが生まれる前の事さ。大きな戦争があったんだ。そこでは良いと悪い、白と黒じゃ割り切れないことばかりでね。正しい行いだけでは正しい結果は招けなかったんだよ」
「お母さんは正しくないことをしたってこと?」
「それは誰にも分からない。ただ、お前さんは最後までお母さんの味方でいてやるべきじゃないかね?」
メルセデスにそう言われても、クロウは母の味方をしてやる気にはならなかった。
クロウには母と血が繋がってると思えないことがあるくらいだった。
「ディエゴは何て言っているんだい?」
「私がグズだからっていっつも怒ってる……。ディエゴすぐに怒るんだもん」
「あの子はねぇ、頭は良いんだが怒りっぽいのがいけないよ。まったく、誰に似たんだか……。」
メルセデスは大きなため息混じりに言っていると、家のドアが開いてディアゴスティーノが入ってきた。
「くぉらディエゴ! アンタまぁた家の手伝いサボって遊びほうけやがって! テスラさんところから卵もらってきたんだろうね!?」
「母ちゃん、俺ぁ奴隷じゃねぇんだぞぉ」
村ではガキ大将だったディアゴスティーノだったが、母親の前では五歳の子供のようになってしまう。
「そういう口は奴隷みたいに働いてから叩きなっ!」
きっと激情は母譲りなのだろう、と笑いながらクロウは二人を見た。
「何だよ、クロウ。ウチに来てたのかよ」
「来てちゃ悪いのかいっ」
「母ちゃんは黙っててくれよ……。おいクロウ、×××がお前のこと探してたんだぞ。なあ、×××?」
ディアゴスティーノがそう言うと、開かれたドアからエルフの少年が入ってきた。
「あ、×××」
褐色の肌と銀髪の幼いエルフだった。
エルフの背後からは、扉から射す光が神々しく彼を照らしていた。
あたかも、物語の主人公が登場したように。
「おや、×××。お前さんも来たのかい」
と、メルセデスが言う。
「クロウ、迎えにきたよ」
と、エルフが言う。
「うんっ」
クロウは化粧台の前からエルフの元へ駆け寄った。
エルフの少年は微笑んでクロウの手を取り、表へと連れ出した。
ドアから見えるのはいつものベンズの村だったが、彼が手を引いて導こうとするそこは、クロウには新しい世界につながる入口に思えた。
※
クロウは生家で目を覚ました。
幼い頃の夢を見ていたようだった。
あの頃の夢を見ると、いつも目覚めが悪かった。
クロウはベッドから起き上がる。
埃のかぶった生家を眺めながら、はっきりしない頭を整えた。
――だが、一体あれはなんだったんだろう。
クロウは夢に出てきたロランを思わせるエルフを思い出していた。
夢にしてはあまりにも具体的な光景だった。
クロウは思う。うぶな小娘みたく、ロランに対する思い残しがあったのだろうか、と。
クロウは着替えると、朝食と次の旅の支度のため町の商店街へ出かけた。
生家に戻り、既に三日が過ぎており、彼女にとっては十分長居だった。
奇妙な夢も、そのせいで見たのだろうと結論づけた。
クロウは初めて入った店でスクランブルエッグを注文した。
東方民族の給仕が出してきたのは、バターを惜しんでしかも塩をふんだんに使ってごまかした物だった。二日酔い明けの朝に見る悪夢のような代物だと思った。
コーヒーを飲んでから店を出て、新しいナイフと刷新されたばかりの地図、革袋と新しいタオル、ランプ油を購入した。
昼に差し掛かってから酒を飲み、大道芸を見物し、昼食のパンを選んだ。
生家に戻り掃除を始めるが、元々ものが少ない生家はすぐに片付けが終わった。簡単にホコリを掃き、雑巾をかけカーテンを洗濯するだけだった。
掃除を終えたあと、クロウはコーヒーを入れる準備を始めた。
湯が沸くまでの間を、市場で買った温かさと香りの残るパンをかじって待つ。
湯が沸いたので、フィルタを被せたポットにお湯を注ぐ。
カビ臭い部屋の臭いがフィルタの上の蒸されたコーヒー豆のおかげで、趣深い木の温もりのある香りへと変わっていった。
また長いこと留守にするのだから、出かける前はせめて人の生活していた場所として出ていかなければ、という彼女のなりのこだわりがあった。
コーヒーをカップに注ぎ鼻だけを近づけた後、カップをテーブルに戻す。
胸いっぱいに香りを溜め込み、その香りに混じって心も部屋の中を漂わせていると、クロウの耳が足音を捉えた。
この家に近づく足音だった。
目をつぶり、愉しんで使っていた鼻ではなく耳に意識を集中させた。
歩幅からすると女、踏みしだかれる草の音からそこまで体は大きくない。
まっすぐ向かってこないのは、この周辺を歩き慣れていないからか。
敵意よりも、戸惑いのある足音だった。
クロウは自分から足音の主にアプローチする。
「開いているよっ」
大声で言うと、草を思い切り踏みしだいて足音が止まった。
それからしばらくしてその足音はドアに近き、三回ドアを叩いた。
「……どうぞっ」
ドアを開いて出てきたのはエルフの若い娘だった。
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