5-13

――クロウとロランが出会う一週間前


 ヘルメス領とダニエルズ領をまたく渓谷に、ハルモニアというホビットの集落があった。 

 通称「水妖ウンディーネの掌」。

 光の刺し方によってはエメラルドグリーンにもコバルトブルーにも輝く美しく澄んだ川が網状に流れる村だった。

 美しさと涼しさから、貴族の避暑地や画家の風景画のモチーフとして長年にわたり親しまれてきた場所だった。

 ハルモニアの知られた産業の一つに、水車を使った製粉があった。

 川の水流を利用したそのリズミカルな製粉の音は、静かな風景に響く事で、より村の趣を深くしていた。

 心穏やかな村人が住むハルモニアは、静かで、清らかで、侵される事のない空間であり、それは悠久の時より続いてきたものだった。


「死因はどう見てもこの顔面に空いた穴でしょうな」


 そして今、その水妖の掌には死体が浮いていた。

 川辺に打ち上げられたその死体の顔面は弾け飛び、熟れて開いた柘榴ざくろのような穴が天を仰いでいた。


「だが凶器は何だろう。ハンマーで叩いたにしては位置が変だ」


 ダニエルズ領の都から派遣された役人は、見たことのない変死体に頭を悩ませていた。


「そうですねぇ。仏さんには抵抗した跡が見られねぇ。ふん縛ったとしても痣の一つが残りそうなもんですが、見たところそれも見当たりやせんぜ」

 役人が使役している放免※が、より死体に顔を近づけ様子を見ながら言う。

 死体の残った下顎を優しくつかみ、首を回して傷跡というには大きすぎる穴を様々な角度から調べる。服装は放免の言うように乱れは一切ない。

(放免:放免された囚人。刑期を終えた後に犯罪の捜査に関わるなどして役人を手伝った)

「旦那ぁ、それにハンマーでもメイスでも、こんな風に穴を開けるなんて出来るんでしょうかねぇ? 凹むってのはありえますが、ここまで上手くいかないもんですがね」

 白髪の混じったざんばら髪と、罪人であったことを示す刺青の入った放免の顔。その顔が死体に近づけられると、見る者にはまるでその男が今ここで殺めたばかりというような錯覚を与えた。


「よほどの手練でも、無理だろうな……。」

 中小貴族の次男坊という生い立ちの役人はその様を直視できず顔をそらした。


「こんなド派手な傷を作る武器を、突然繰り出し顔面を綺麗にふっ飛ばす。手練って次元じゃあありませんわな」


「……魔法、か」


「お役人さんは不可解なことがあると、すぐに魔法って言葉を口にするからいけねぇ」

 放免は悪気なく微笑んだつもりだったのだろうが、その様がどうにも嘲笑っているように見えた。

「……見なせぇこれ」

 そう言って放免は傷口に手をやった。

 見るように言われたが、役人はそれが出来なかった。

「傷の中にこんなのが混じってやす」

 と、放免は魚卵の様な小さな金属片を取り出し役人に見せた。


「それは……?」


「これが……どうやら傷口の中に無数にあるようです。魔法って線も捨てられませんが、この集落のこの周辺にはこんな攻撃的なマナを持つ精霊はいません。しかも魔法ならこんな置き土産は必要ない……。」


 いつのまにか彼らの周りには人集りが出来きていた。

 何事かとたまたま通りかかり様子を伺った老婆は、その死体を見た瞬間気を失いかけ別のやじうまに倒れ掛かかっていた。

 それほどまでに、この村の住人にとって、殺害された死体というのは非日常のものだったのである。

 

 やじうまの中の誰かが言う。

「おいあれ、ハチさんじゃないのか!?」


「ハチ?」

 役人が言う。


「へぇ、聞いたところによりますと、仏さんはこの村の住人でハチローってモンらしいです」

 放免が答える。


「妙な名前だな? それに顔が吹き飛んでるのに誰かわかるのか?」


「よく見てみなせぇ旦那。仏さん、ホビットにしては背が高いと思いませんか? とはいえ、人間にしちゃあ低すぎる。」


「ふむ、確かに……。」


「仏さん、どうも雑種だそうで」

 放免は死体から離れ役人の元に戻った。


「雑種?」


「ほら旦那、アレですよ、三十年前の……」

 放免はやじうまを気にするように耳打ちした。


「なるほど……聞き込みは終わったんだろ?怨恨や何か周りで不審な人間の目撃情報とかはないのか?」


「ホビットの村ですぜ? 怨恨の線はないかと。それに衣類を漁った形跡もねぇ。……ただ、一つだけ気になるって事があるってなら、複数人の村人が昨夜落雷のような音を聞いたってぇ口を揃えて言ってますぜ」


「落雷? ここしばらく快晴だったろう?」

 役人は空を見上げた。ここ数日どころか、今日も雲一つない晴天だ。


「へぇ、山の天気は変わりやすいとは申しますがね。とはいえ、妙といえば妙です」


 役人は「むぅ」と唸ったもののあまりその証言を重要だとは思わない素振りだった。

 だが、放免は違ったようだ。


「旦那ぁ、少し前からあっしら裏の人間の間で流れている妙な噂がございましてね……。」

 企み続けた人生のせいで濁ってしまった瞳で放免が役人を一瞥する。


「……何だ?」


 役人はこの放免を信頼してはいた。

 しかし、あまりにも辿ってきた人生の違うこの男に接するのがあまり得意ではなく、知らずと体をそらした。

 容姿、振る舞い、放免の一つ一つが彼の常識外であり気後れをしてしまうからだ。


「実は、かなり広い範囲で、仏さんと同じ“雑種”の失踪事件が相次いでるらしんですわ。希に見つかったとしても、ご覧の通り無事には帰ってこないってやつでさぁ。こいつら雑種は家族をもたないものが多いんであまり大事にならないんですが、こう立て続けに消えちまうとなると、何かしら関係があるじゃないかって思いますがねぇ。まぁ、旦那が一言命じてくれりゃあ、すぐにでも事件が起きた最寄りの街で聞き込みをやるんですがね?」


「広い範囲で、か……。」


 しかも噂程度ということは、散々捜査した上で骨折り損ということもありえる。

 役人は、この放免が優秀だということは知っていた。

 それでも、いかんせん小遣い稼ぎの材料を引っ張るせいで、ときおり事件を大きくとらええすぎる感があるのが彼の悩みの種でもあった。


「……まずはその最寄の街の聞き込みにとどめてくれ。なにか関連性があるようだったら本格的にその線で行ってみよう」


 放免は「へぇ!」と頭をもたげるとやじうまの方へ向かって行った。


 濁りながらもギラついた眼光と刺青の入った顔面、白髪交じりのざんばら髪に臙脂えんじ色のコートという異様な出で立ちの男が近づいたので、やじうまたちは自然と彼の道を開けるように離れていった。

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