3-11

 魔女の家では緊張してよく眠れていなかったのか、クロウは木陰でしばらくの間寝落ちしていたようだった。

 目覚めとともに急ぎ足の旅だったことを思い出し、クロウはせっかく乾いた汗がまた吹き出るほどの勢いで体を起こした。

 幸いそこまで時間は経ってはおらず、クロウを覆っていた木の影は大きく移動してはいはいなかった。


「ロラン?」


 しかしロランの姿がなかった。

 一人だけ襲われるということもないだろうので、クロウはそこまで焦らずに周囲を探した。

 ロランは草むらの視界の悪い場所でヤマバトと戯れている最中だった。

 ロランが指先でヤマバトの頭を撫でると、ヤマバトはまるでロランと会話しているように彼の目を覗き込み瞬きを繰り返した。


「ロラン?」


 クロウが声をかけるとヤマバトは驚いたように飛び立っていった。

 しかし驚いたのはロランも同じだったようだ。目をクリッとさせたままクロウの名をポツリと口にした。


「失礼、驚かせるつもりはなかったんだ」

 クロウヤマバトが飛んでいった空を見ながら言う。

「しかしなんとも、ヤマドリと心を通わせ戯れるなんて実にエルフらしいじゃないか」


「ああ、うん」

 ロランもヤマバトが飛んでいった方角を見ていた。


「さて行こうか。実際のところ、私たちの尻には火がついているんだ」


「うん、そうだね」


 そのままその日は日が落ちるまで、何事もなく馬車を進めることができた。

 これから老賢者の祠に向かうに連れ険しくなっていくことが予想された。

 しかし、道幅はまだ馬車を2台分並べるほどに広く、踏み固められていたおかげで思った以上の速度を出せていた。

 クロウたちはラクタリスはどころか、魔女の館からもかなり距離を稼ぐことができていた。

 日が完全に沈む頃、ベンズほどではないが宿屋のある大きめの村がちょうど見えてきた。

 二人はそこで一夜を明かすことにした。ラクタリスよりも遥かに土壌に恵まれたその村では、移動祝祭日の最中だった。

 村人の一人に聞いたところによると、その村の主食の芋類の定植が終わり、一段落と豊穣の祈願を兼ねての祭りとのことだった。

 クロウは馬車を宿に表につけると、ロランを誘い祭りに繰り出すことにした。

 混血といえどクロウはフェルプールだった。祭りや騒ぎになると血が騒ぐ性分なのである。


「そんな暇なんてあるの?」

 戸惑いながらロランが言う。


「どちらにしても夜に馬車を走らせるのは危険だ。魔女の館だってあれ以上日が落ちていたら野宿してた羽目になったんだ。どうせならを外そう。それに逆に大勢の人間がいた方がゴブリンだって手を出しづらいはずだ。まぁあと、酒も補給したいしね」

 クロウははやる気持ちを胸に、ロランの手を引いて人だかりの方へ向かっていった。


 大きな村ではなかったものの、とても賑やかな祭りだった。

 侯国の中央から離れた土地にあっては、領主の宗教の祭りよりも、自分たちの生活に根ざした祭りこそが重要だったからだ。

 年に一度ならばなおさら、彼らにとっては大事なものとなっていた。

 村の中央部に集まっている出店では、ケーキやビスケットといった焼き菓子が売られていた。小遣い銭の足りない子供たちが、指を食わえてでそれを見ている。

 菓子類やパイに焼いた肉、それに酒といった出店の売り物の匂いが混じり合っていた。クロウの鼻にはとても賑やかだった。

 広場の中央には太鼓やタンバリンの打楽器を打ち鳴らす村人と、それに合わせて躍る人々で溢れかえっていた。

 クロウは祝いでほふった豚の塩焼きを、無酵母のパンで包んだ軽食をふたつ購入した。

 ここ最近魚や干し肉ばかりだったので、しっとりと脂ののった肉を食べるのは久しぶりだった。

 最初は恐る恐るそれを口に運んだロランだったが、すぐに温かい肉に魅了されエルフにあるまじき品の無さで貪り付き、あっという間に平らげてしまった。

 次に収穫野菜の酢漬けを別の出店で買ったクロウは、店主に酒場の場所を聞いた。

 クロウは飢えた喉を癒すために急ぎ足で向かうク。何よりこの村にどういう酒があるのかも興味があった。

 しかし急いでいたせいで、クロウは村の男とぶつかってしまった。既に出来上がっていた男は、強めにクロウの肩を掴まれ難癖をつけてきた。


「おいお前、よそもんかぁ? 気をつけろぉ?」

 

 男は相手が女だと分かると細部を、特に胸のあたりを眺めまわした。

 まるで視線に触覚があって、クロウの体にそれを這わせることで快楽を得るような目つきだった。

 男は酔っ払って自制が効かなくなってしまっていた。


「なんだよぉ、中々いい女じゃねぇか。どうだよぉせっかくの祭りなんだぁ、二人でしけこまねぇか? いいとこ知ってんだよぉ」

 男の口から安酒の匂いが漏れた。


 クロウは男の胸元に手を添えて耳元で口づけするように囁く。

「ごめんなさい怒らないで。誘ってくれたのは嬉しいけど、今はお友達と一緒だからまた今度ね。大丈夫、ここには長居するつもりだから……ね?」


 酔っぱらいは、しょうがねぇなと酒で赤くなった顔を更に赤くして立ち去っていった。

 去っていく男を見おくっているクロウを、キョトンとした表情でロランが見ていた。


「どうした?」


「いや……。」


 酒場に到着すると、クロウはロランをテーブルに座らせカウンターで酒を注文する。

 店主によると、芋の蒸留酒がこの村では作られているということだった。

 クロウはその酒を水で割ってもらうよう頼んだ。

 店主がグラスをカウンターに持ってきた。

 クロウが金を払おうとすると、隣の年輩の村人が代りに金を払うと名乗り出た。

 それじゃあ何か奢らせてくれとクロウが頼むと、村人は首を振りクロウの腰にある革袋を指し、それを飲ませて欲しいと言ってきた。

 クロウが革袋を渡すと、彼はそれをかかげ口に流し込んで、上機嫌にその葡萄酒を褒めだした。


「いい酒だ。お客さん、他所でこの村のことを話すことがあったら、ここには最高の芋の酒があると伝えておくれよ」

 村人を代表するように年輩の男は言った。


 クロウがロランのいるテーブルまで戻ると、ロランは村の女に言い寄られている真っ最中だった。


 困っているようだったので、クロウが割って入る。

「失礼、お嬢さん。連れなんです」


 女は羨ましそうにその場を去っていった。

 クロウは気の毒そうに微笑んで去った女を見送ると、二人がけのテーブルにグラスを置いてロランの正面に座った。


「豊穣と、私たちの旅の行き先を祈って」

 クロウはグラスを掲げた。

 

 ロランも合わせてグラスを掲げる。

 二人はグラスを傾けて酒を飲んだ。

 辛味が一瞬鼻をついてその後に柔い余韻を残すという独特のクセのある酒だった。

 ロランは一口飲んで驚いたように口からグラスを離した。

 そんなロランの様を見て、クロウから笑いがこぼれた。


 クロウはこういった喧騒が結構好きなだったので、周りの人々の様を眺めているだけでも十分だった。

 しかしロランはやはりこういうことに慣れてはおらず、しばらくするとひしめき合う人の波と臭いに酔ってきているようだった。


「大丈夫か?」

 と、クロウが心配していると、村の子供たちに手を引っ張られ二人は広場まで連れ出された。


 村人たちは遠くから人が来たということで物珍しく、正気を疑わずにはいられないほどに浮かれて彼らを迎え始めた。

 悲鳴のような歓声を上げながら、村人たちはクロウたちを中央の踊りの列に加えて一緒に踊るよう誘った。

 踊りが得意だったクロウは、彼らのステップや振りを見よう見まねで踊り始めた。すると、彼女の周囲には次第に人が集まってきた。

 子供だけではなく大人もクロウの手を取り延々と回る者や、口づけをするほどの勢いで抱きしめて振り回す男もいた。

 クロウの視界には彼女と同じく巻き込まれているロランが見えた。

 しかし、クロウと違ってロランは戸惑うばかりであまり楽しそうではなかった。

 そんなロランの様子を読み取ってか、色男とはいえ少しづつ彼からは人がいなくなっていった。

 強めの酒と踊りの熱狂でクロウが結構な汗をかき、ようやく解放された頃にあたりを見渡すと、ロランの姿が見えなくなってしまっていた。

 まさかゴブリンにやられるということはないだろう。だが流石に雇い主を心配してクロウは宿に戻った。

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