2-7
ロランは残された時間と戦いながら本を物色していた。
敬っているはずの老賢者が片付けた部屋の本棚を、乱暴に荒し回る。
まるでタイムリミットには死神が鎌を振り下ろすかのように、その様には恐れさえあった。
本を引っ張り出しては乱暴にざっと目を通し、目当てのものではないとすぐに床にぶちまけ続ける。
座敷犬とはいえ、食事をしている際に邪魔をしたら飼い主だろうと本気で噛み付くものである。クロウには彼のその行為を止めるにはためらいがあった。
ある程度物色し終わると、ロランはまた別の本棚へ向かい始めた。
「なぁ」
クロウが言う。
「何だい?」
「手がかりを探しているんだろう? 私に心当たりがあるんだが」
「本当かい?」
しかし、ロランはそれでも本棚から視線を外さなかった。
「ああ。蛇の道は蛇って事でな。法術と同じ類か分からんが、怪しげな力を使う点では同類じゃないかなと」
「誰のこと?」
そう言いながらまたロランは本棚へ歩み寄り、本を掴み取って内容に目を通し始めた。
一見焦っているようにも見えるが、ロランの行動には目的が見えた。
本、もしくは別の何か、老賢者よりも重要なものを探しているようだった。
クロウには、彼の余裕のなさはどうもそこから来ているように思えた。
「重要かね?」
「え?」
「その本を漁ることがだよ」
「だって、手がかりが必要だろうっ」
焦りが怒りに変わり、険のある言い方になっていた。
「ここで本を探して手がかりが出てくると? それともその老賢者様は、わざわざ分かりやすいところに置き手紙を残し、実は探して欲しいけどその気持ちを素直に出せないウブなところがあるお方ということなのかな?」
クロウも険のある言い方で言い返す。
「あ、いや……。」
「時間がないんだろう? 自然に死を待つならまだしも、身辺整理をしているなら、首をくくるつもりなのかもしれない。急ぐべきだ」
「う、うん。分かった」
しかしロランはそれでもまだ本棚から目を離そうとしない。
「じゃあ、クロウ、下に行って待っててくれないかな?」
「ロランっ」
「すぐに行くよ」
「やれやれ」
クロウは先に下のリビングに行って待つことにした。
しばらくしてロランが降りてくる。
「女を準備で待たせるなんて聞いたことないな」
「ああゴメン……。」
降りてきたロランはまるで万引き犯のように落ち着きなく、カバンに入れていた何かをクロウに悟られまいとしていた。
村に帰ると、約束通りクロウは老婆のためにイワナをさばくことになった。
魚をさばくためのスペースが台所にがなかったので、外で平たい大きな石を見つけ、その上で調理を始めた。
まずは頭をナイフで切り落とし、断面から切れ目を入れて三枚におろす。
魚をおろし終わったら次は台所でフライパンでバターを熱してその上に薄くさばいたイワナを皮と別々にしてソテーにする。
次にクロウは森で採ってきたキノコを取り出した。ノームの横に生えていたので、ノームが宿っているかもしれないキノコだった。
悪戯の懲罰が火炙りというのも少し可哀想だなと思いながら、鼻歌交じりにクロウはキノコを炒めた。
「おやおや、久しぶりに豪勢なもんにありつけそうだよ」
老婆がロッキングチェアーで編み物をしながら私に話しかける。小さな鼻がスンとなった。
「ありあわせですよ」
気がつくとロランが見えなかった。
ロランの行動は老賢者の家から妙だった。
クロウは不安を覚えながらも、フライパンから皿にイワナのソテーを移して盛り付け、横にパンを添えた。
配膳をしながらクロウは、残された食器から老婆のかつての家族の構成が、汚れ具合からは誰から順に居なくなっていったのかを知った。
クロウは思う。長い時間ひとつの場所にとどまると、ただいるだけで人は何かを語ってしまうものなのだ、と。
ロランがクロウに気づかれないよう、こっそりと戻ってきた。
だがクロウの耳はしっかりとロランの動きを捉えていた。
「どこに行っていたんだ心配したぞ?」
「いや、ああうん。ちょっと夜の散歩だよ」
「まったく、遠足気分が抜けないのも大概にして欲しいな」
クロウはロランを詰ったが、しかしどうにもロランの様子がおかしかった。何か酷いショックを受けたような顔をしている。
「ロラン?」
「大丈夫、何でもないんだ」
「さて、王子様も戻ってきたことだし、いただくとしようかね」
老婆が昼間の初対面の時とは違い、もの柔らかに言った。
王子様を部屋に招いて心躍るのは、老婆の彼女とて例外ではなかった。
「テラ・チート」
と、祈りの言葉を捧げてから老婆は料理に手をつけ始めた。
老婆がソテーを食べながら嬉しそうに言う。
「いやぁ美味しいねぇ。久しぶりに魚を食べたよ」
「どうしてあまり食べないんですか?」
ロランが素直に訊く。
「若い奴らがいないとね……」
「おばあさんはいつからこの村に?」
慌ててロランは話題を変えようとした。
ロランの話しの作り方の下手さにクロウは呆れて右斜め上の虚空を見上げた。
「少なくとも25年前よりは後だね」
しかし、老婆はいい男と美味いもので上機嫌になっていた。
そこまで気分を害することにはならなかった。
老婆は懐かしむように昔話を始める。
「入植当初は皆この村を発展させようと息巻いたものさ。勇者様がここを実り豊かな土地にすれば、山が切り開かれ大きな街になっていくだろうって仰るもんだからねぇ。けれど一向に土は作物を生み出さず、こんな山奥だから人の行き来も乏しくて、だんだんと人がいなくなって……。結局残ったのは帰るところがもう無い奴らさ。アタシも旦那が山っけ起こさなきゃ、今頃街で余生を送ってたんだけどねぇ。今じゃ自分らで、ここは姥捨て山だなんて笑い飛ばしてるがね。それどころか街のやつらなんか、もうこの村の存在だって忘れてるだろうさ」
クロウは老婆の機嫌を損ねわぬよう、彼女の前の盃に革袋から葡萄酒を注ぎ込んだ。
「ああ、ありがとう」
老婆は半分ばかりそれを飲んだ。
「まぁいいじゃないか、こんなしみったれた土地のことなんか。それよりもお前さんがたはどうしてこんなところに? あのじいさんに何の用なんだい?」
「私たちは彼の家族じゃないんですが、街の彼の家族に安否を確かめて欲しいと頼まれたんです。ある日突然いなくなったとかで」
ロランが余計なことを言う前にクロウが答えた。
「で、じいさんは見つかったのかね?」
しかし老婆はロランと話しをしようと、ロランに質問する。
「それが……。」
「ボケちまった老人はそこが自分の居場所と思えず常に動き回るもんさ。ボケて疲れもわからんからね」
「居場所……。」
ロランが思い当たるように言う。
「どうした?」
「いや、老賢者は戦後からすぐに塞ぎ込むようになったって、侍女が言ってるのを聞いたんだ。出かけたり旅に出ることが多くなったって……。」
「一番落ち着くところを終の住処にしたかったんだろうよ。もう私ゃここが一番落ち着くようになっちまったがね」
「けれどじいさんは……」
「ここがそうじゃなかったってことだねぇ」
ここまで話して、クロウはやはり手がかりがもうないことに気づいた。
三人がしばらく黙って皿を平らげていると、家のドアを誰かが激しくノックした。
「婆さん、ロッテの婆さんいるんだろ?」
近所といえど珍しい訪問だったのだろう、不思議がって老婆、ロッテがドアの方を見た。
「どうしたんだねアインさん?」
老婆が席を立ちドアを開けると、そこには老人が立っていた。
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