熟した果肉の何たるか。
色彩フラグメント『紅姫』
伽藍堂になった眼窩と、そこに座していたはずの球体。抉られた
あるいは鼠径部に顔を埋め、複雑な臭いで鼻腔を満たしながら、やはり「噛み千切ろうかどうか」と、硬直した生殖器を指に絡めて弄ぶ女。
人面獣心──にたにたと気の違ってしまった
「別れようか」
そう端的に切り出すと、彼女は左手でそっとその先を制した。彼女のタイミングが整う時を、俺はフロアソファに寝転んで待つ。なるだけ音は立てないように。
「終わったけど、さっき何て?」
彼女が振り向いて言った。その口調から、酷く気が立っている事が解った。俺は冷蔵庫から缶ビールを二本取り出し、リビングのテーブルに並べる。彼女には、作業机での飲食はご法度だから。
「いや、何でも無い。まだ死にたくないなと思って」
「あんたに殺す価値が在るとは思わないけど。辞めないよ? これはライフワークだから」
こんな会話を交わすのは、別に初めてではない。彼女の描き出す同人誌の猟奇的な内容が怖くなって、こうしてジャブを繰り出す事なら日常茶飯事だ。
銀縁メガネを外した彼女が、テーブルに着座する。
「火のない所に煙は立たないっていうか──元々自分の中に無い属性って、表現出来ないと思うんだよね、俺は」
「何アーティストぶってんの」
「いや、分かんないけどさ、たまにニュースとかで見るだろ、『◯◯さんの作品に影響を受けました』って、快楽殺人者の独白だよ」
プルタブを開ける音が二つ。儀礼的な乾杯をしてから口を付ける。別に脱稿したというわけじゃない。何かを祝福しているわけでも。
「もしもそうなったら、私にとっては名誉だけどね。作者冥利に尽きる」
「お前がそうでも、俺にとっては不名誉だよ」
「あんたに何の関係があるんだよ。偽善者だな」
歯に衣を着せぬ彼女の発言を、俺は微笑ましい気持ちで受け流す。一歩外に出れば、彼女は借りてきた猫のように大人しくなる。そのギャップを知っているからこそ、ありのままのこの態度を愛おしく思う。
「正直に言ったら? いつか自分もバラバラにされそうで怖いんでしょ? でもそれは杞憂」
「どうして?」
「私が苛めたいのは少年だけだから」
舌舐めずりをして微笑む彼女に、俺の体温が僅かに下がった。
「それに私、愛があるのは駄目だから。無関係の人間を一方的に壊すからこそ、興奮するの」
「火のない所どころか、大火災じゃねーか」
蠱惑的に微笑む彼女のその舌に、俺は思わず魅入っていた。潤んだその赤味が、俺の躰を這い回った事なら、数知れずあるけれど。
「あんたこそ、潜在的な素質があるんだと思うよ。気にしすぎだもの」
「恋人が狂った世界ばかり描いてたら、気にもするだろ」
彼女は「ふーん」と頷きながら、さもどうでも良い事のように言葉を繋げた。
「今度、仲間に入れたげよっか」
その意味を測りかねて、俺は逡巡する。やがて顔を引き攣らせてたじろぐ俺に、彼女は真顔でとどめを刺した。
「仲間に入らないなら、冷蔵庫にでも入る?」
彼女の舌はより一層の赤味を帯び、それでも氷点下の冷たさを持って俺の心を捕らえるのだった。捕食者の瞳が、新しい玩具に遊び方を躾ける時のようにきらきらと輝いていた。
これは俺が、まだ彼女の同類になる前の話だ。
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