九十六 少女に剣は似合わない

 大聖堂ミカルトの一般開放されている礼拝堂にシニャは足を運んだ。

 目は自然と青い髪のツインテールを探している。でも、その姿はどこにも見当たらない。

 英雄ツムラミカは死んでしまったのだという。そうして、お付きのメイドの姿を見ないのは、彼女もまた死んでしまったということ。

 信じたくはなかった。だけどきっとそれは事実だ。

 沈鬱な表情を隠すように俯きながら、空いている席に腰を落ち着かせた。両手を合わせて祈りを捧げる。

 また一つ罪が増えてしまった。シニャはそう感じていた。

 許して欲しいと乞い願う資格などない。できることなら罰が欲しい。けれどそれすら叶わない苦しみが、シニャをどうしようもなく苛む。あるいはそれこそが神が与えた罰なのかもしれない。

 ああ、だめだ。今は祈りに集中するべきなのに、頭の中はぐちゃぐちゃで、何を祈ればいいのかわからない。今まで簡単に出来てきたことが、今は奇妙なほど出来なくなっている。私は今までどうやって祈ってきたのだろう。シニャは自問自答を繰り返す。答えは出ない。

 立ち上がり、礼拝堂を後にする。この後の予定はいつも通りの仕事だ。病を患っている方々や、怪我をされた方々の看病をしなくてはならない。

 両手で頬を叩く。患者の世話は今のシニャにとってとても大切な仕事。彼らの前で気落ちした顔を見せるわけにはいかなかった。

 それからシニャは、患者がいる大聖堂の中へ向かった。


 部屋の中に入る。ベッドは全て男の怪我人で埋まっていて、正直に言えば陰気な雰囲気だ。

 それもそのはずで、この部屋は魔人との戦争によって負傷した人たちだけで病床を占めているからだった。

 シスターはシニャ以外いない。みんな他の部屋で仕事をしているのだろう。

 ともかく、一人一人に声を掛けながら見て回るべく、シニャは足を踏み出した。

「……魔人共め……次の機会こそぶっ殺してやる」

 最初の一人は、ぶつぶつと物騒なことを呟き続けている。彼は右上半身に大きな火傷を負っており、ぐるぐるに巻かれた包帯は所々血で滲んでいて痛々しい。回復魔法による治療によって徐々に良くなってはいるのだが、魔人に対する怒りによって傷口を掻き毟ってしまうのだ。そのせいで、治りが遅い。

「また掻き毟ってしまったんですね。本当にもうやめてください」

「……へっ。この傷はなあ、俺の恨みの象徴なんだよ。こいつがある限り、俺は魔人に怒り続けることができる。怒りってのはな、力を呼ぶんだよ。その時のために、この傷は必要なんだよ」

 シニャが注意しても、彼はいつもそう言い繕ってやめようとしない。シニャはため息を吐きながら、替えのの包帯を持ってきて巻き直した。その間もこの男は呟き続け、暗い笑みを浮かべていた。

 隣の患者に移る。

「どうですか? 変わりはありませんか?」

 尋ねると、彼は上を向けている眼球だけを動かしてシニャを見返した。だけどそれだけだ。返事を何も返さずに、再び天井を眺め始めてしまった。

 彼の怪我は、右腕と肋骨の骨折だ。とはいえこの患者の骨折自体はほとんど治っている。もう教会から出てもらってもいいぐらいだ。けれど彼は立ち上がることすらせず、寝ているか、ぼーっとどこかを見つめて一日を過ごしている。

 食事の時は大変で、自分から食べようとはしないのだ。だから誰かが食べさせてあげなければいけなかった。心がどこかに飛んでいってしまったんじゃないか。そんな風につい思ってしまうほど、彼は生きる気力を失っていた。

 次の患者は顎が砕けてしまっている。その時に声帯も障害を負ってしまったのだろう。おかげで喋ることができなくなっていた。また物を噛む力もなくなっていて、流動食を口の中に流し込むことでしか食事を受け付けない。

「傷は痛みますか?」

 彼はふるふると首を横に振って答えた。話せないとはいえども、さっきの患者と違い、こうして返事をしてくれるのだからまだ良い方だと感じる。

 そうして彼はそっと、シニャの控えめな胸に手を伸ばしてきた。シニャは目敏く見つけ、ぴしゃりと手を叩いて止めた。

「もー駄目ですよー。そういうのは彼女さんにやってくださいね」

 どこの教会に行ってもセクハラをしてくる患者は出てくるものだ。シニャは軽くあしらいつつも、これだけ元気であればすぐに退院できるだろうと楽観的に考えていた。ただ、酷く恐ろしい戦場の夢を見るらしく、他の患者さんから夜な夜な呻く声が聞こえてくるという報告がある。セクハラはきっと、彼なりの空元気に違いなかった。

 さらにその次も、次の次も、患者に声を掛けて見て回る。

 戦場での負傷者は大きな怪我が多く、数も多い。その上運び込まれた誰もが、なんらかの心の傷を負っている。彼らはみな、魔人に対して恐れや怒りを持っていた。

「……シニャちゃん」

 話しかける前に声を掛けられた。彼は戦場で右肩ごと腕を失った上に、右耳ももがれてしまっている。頭部が無事だったのは、本当に幸いなことだった。

「どうなさいましたか?」

「ツムラミカが死んだって、本当かい?」

 シニャの胸の奥から込み上がるものがあった。

「……はい。彼女は、マ王の命と引き換えに月に召されました」

「……そうか」月を見つめるように男は顔を上げる。「あの子はなあ、俺の命の恩人なんだ。あの子がいなかったら、俺はここにはいなかったよ」

「恩人、ですか」

「あの時、俺たちの部隊は空を飛ぶ魔人たちと戦っていた。奴らは強かった。特にあのグルンガル様でさえ勝てるかどうか分からないと言わしめた蝿の魔人。奴が通り過ぎた後は屍の道ができた。俺たちの部隊は瞬く間に蹂躙されたんだ。

 俺も奴の攻撃を喰らったよ。だが俺はみんなと違って運が良かった。俺は少し、離れていたんだ。腕と耳を持っていかれた程度で済んだのはそのおかげさ。だが戦闘は続いている。蝿の魔人をやり過ごせても周りは敵だらけ。死を覚悟したよ。

 でも、そんな時にツムラミカが現れたんだ。すごかったよ。どんなに強力な魔法も、彼女には通じない。美しい剣で次々に魔人たちを倒していく姿はまさに英雄の名に相応しかった。彼女がいなかったら、俺は確実に死んでいたよ」

 淡々と説明した男は、寂しそうに微笑んだ。

「……ツムラミカ様は、あんなに小さなお身体なのに、本当に凄かったんですね」

「見たことがあるのかい?」

「はい。教会に来たときに。普通の女の子のように感じました」

「そうだな。魔人のことがなければ、彼女は普通の女の子として一生を過ごしていたんだろう」

「……その通りだと思います。……彼女に剣は似合いません」

「ああ、俺もそう思うよ。だからこそ、俺は悔しい。俺たちが弱くなかったら、あんな子の手を借りることなんてなかったんだ。なのに、俺たちは彼女に頼り切ることしかできなかった」

 男の目から涙が一筋流れた。

「すまねえ」

 一言謝ると、彼は袖で涙を拭い、鼻を啜る。

「いいえ」

「……できることなら、俺の命と交換して、彼女を生き返らせたいよ」

「私も、彼女の代わりになれるのなら、今すぐにでも命を捧げますよ」

 シニャが本心から言うと、男はぎょっと目を剥いた。

「シニャちゃんはいけねえよ。どれだけの人がシニャちゃんに救われたか分からねえ。シニャちゃんは生きるべきだよ」

「そう……でしょうか」

 シニャがやっていたことは、ほんの少し手助けをしてきただけだ。そんなシニャなど話にならないほど、たくさんの命を救ってきた彼女たちは早々にいなくなってしまった。彼女たちを救えられるのなら、この命を喜んで投げ出したかった。それは嘘偽りのないシニャの気持ち。

 それに、ユリエはもちろんそうだが、今回の魔人との戦争も、根底にある原因は教会の教えに違いない。だからツムラミカや沢山の死んだ兵士たちは、教会が殺したも同然だ。それはシスターであるシニャもまた同罪であるということになる。と、彼女は考えている。

「そうさ。シニャちゃんがいなかったら、俺たちは怪我の苦しみのあまり自殺していたさ」と、それから男は周囲を見回す。「なあ! みんなもそう思うだろ!?」

 そうだそうだ!

 ベッドに伏せていた男たちはみな、聞き耳を立てていたらしく声を張り上げた。声を出せない患者は腕を上げて応える。

「みなさん……」

 罪悪感がある。もしも教会の教えがなければ、少なくとも魔人との戦争は起きなかったのではないか。ユリエやツムラミカは死ななくても済んだのではないか。

 それでもシニャの胸に迫るものがあった。ほんの小さな助けしかできない。だが彼らにとっては大きな救いになっていた。そのことが実感できた。都合の良い感情だと思う。でも、一人一人の想いは確かにシニャに伝わっていた。

「ありがとうございます」

 礼を言うと、男たちは照れたように笑った。

 シニャは心の内で改めて誓う。原典を必ず手に入れると。

 それはきっと、彼らのためにもなるはずだから。




 しんとした静けさが、貴族街に染み込んでいるような夜だった。

 空には半月の月が一つだけ見えていて、神様の片割れが覗いているような心持ちになる。

 エルムント・ボルタレル司祭に再び呼び出されたシニャは、彼の邸宅に訪れていた。

 合言葉を言い、地下室に入る。原典派の仲間はシニャを合わせて七人全員集まっている。

 彼らの名前も身元もシニャは知らない。誰かが捕まってしまった時、仲間の名前を言えないようにするためだと、前回の会合の時にエルムントは説明していた。もっともエルムントは仲間の名前を全部知っていたし、仲間も彼の名前を知っているのだが。

「……原典の所在が判明しました」

 と、エルムントは開口一番に言った。

 おお、というどよめきが、室内で小さく起きた。

「場所は、カルムル山の頂上にある聖カルムル教会です。そこの地下にある宝物庫に原典は眠っています」

 聖カルムル教会といえば、残存する教会の中で最も古くからあるとされている教会だ。確かにそこならば原典があってもおかしくないとシニャは思う。

 エルムントは作戦を説明し始めた。だが概要だけだ。誰が何をどのように行動するのか、いつ決行するのかは伏せられている。

「以上です」説明を終えたエルムントは、仲間の顔を見回した。「機密事項が多く申し訳ありません。ですが作戦の成功度をあげるためには必要なことなのです。具体的なことに関しては、後日改めて私の方から個別に説明をしに参らせていただきます。質問があれば、その際に受け付けます。それでは前回と同様に、時間差をつけて一人づつ解散といきましょう」

 シニャがエルムント邸から出たのは一番最後だった。

 原典には本当に魔人が悪だと書かれているのか。それが明らかになる時は近づいている。真実はどうなのか、ページをめくるまで分からないが、シニャの人生における転換期になるのは確実だ。

 ユリエ様、ミノル様、ツムラミカ様。どうか待っていてください。必ず真実を暴き、しょく罪を果たして見せますから。

 シニャは二つの月に誓った。






 稔たち三人は、ベネトの前に辿り着いた。

 稔は懐かしそうに目を細めて門を見た。多くの人が並んでいる。当然のように門兵が立っていて、一人ずつ確認しているようだ。

 実花はそんな稔のフードに隠れた横顔を盗み見る。彼が喜多村由梨江と最後に過ごした街であることは、すでに聞いていた。どれだけ複雑な感情が兄の胸の中で渦巻いていることだろうか。その心中の全てを推し量ることはさすがにできない。

 それでも全てを知りたいと実花は願う。彼の力になりたいとも思う。

「……用事があるんだ」

 稔はぽつりと言った。視線はベネトに結ばれたままである。

「用事?」

 実花は兄の横顔をじっと見つめたまま尋ねた。

「ああ、そうだ」

 少ない言葉。

 だけどそこには、切なる想いが込められている。

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