七十五 遊撃部隊の戦闘

「行くわよ」

 カナルヤ・レイは、魔人たちが飛び交う空を見据えて言った。

「はい」

 と返事をしたのは、彼女の弟子であるレゾッテである。

 背中合わせとなった二人は、魔力を薄く引き伸ばして全身を覆った。すると二人の身体が浮き上がって空高く上昇していく。

 その場にいた帝国兵たちは驚きで目を開いた。魔法を極めれば空を飛ぶ事ができる。話には聞いていたが、実際に目の当たりにするのはこれが初めてだった。

 反重力。それが彼女たち二人が使っている飛行魔法の正体だ。身体を覆っている膜は、実際には魔力がナノサイズの粒子状になって寄り集まることで形成されている。この魔力の粒は目に見えないほどの速度で体の周囲を回転する様に動き回りながら、粒同士で衝突を繰り返して弾きあっているのである。

 そうしてそれはある特殊な力場を生んだ。この力場は、星の自転によって発生する遠心力と、物と物が引き合う力である万有引力が合わさってできる重力を中和してしまうのである。恐らくは、身体の周囲を駆け回ることで強い遠心力が働き自転の力に抵抗し、また互いに弾きあう事で万有引力を拒絶しているのだろう。科学が発達した地球において未だ架空の存在である反重力だが、この二人はそうとは知らずに操っているのだった。

 この飛行魔法を開発したのはカナルヤである。科学的な理論はもちろん知らない。彼女はただ魔力を様々に動かして、研究して来た結果、重力を無効化する超高等魔力操作技術を見つけてしまったのだ。そうしてそれは、途方もない才覚と努力によって初めてもたらされたのは疑いようのないことだろう。

 空を飛行していた魔人兵たちは、唐突に現れた空を飛ぶ人間に驚愕を隠せない。何しろ彼らは、人間が空を飛べるなどとは考えた事がなかった。空中を自在に移動できるのは、自分たちだけの専売特許だったはずなのに。今、その前提が崩された。

 カナルヤとレゾッテは、眼を白黒させる魔人たちを見てにやりと笑う。二人は魔力をさらに操作する。カナルヤの周りには複数の炎の玉が、レゾッテの周囲にはいくつもの水の玉が出現した。

 ようやく我に返った魔人兵たちは、二人に向かって襲いかかる。魔法が一つしか使えない彼らは、離れた距離にいる敵を攻撃ができない。反面、人間は複数の魔法を使える。

 それが彼らの命運を分けた。

 カナルヤは炎の球を放ち、レゾッテは圧力をかけてウォーターカッターを矢継ぎ早に撃った。燃え盛り、あるいは羽を貫かれて飛行不能となった魔人たちが次から次へと墜落していく。

 飛行魔法に多大な魔力を費やしているため、攻撃に多くは注げない。しかし彼女たちにはそれで十分だった。


 津村実花は、魔人の口から発射された氷の礫を魔法の壁で防ぎながら、空へと視線を向ける。ちょうど空を飛んでいるカナルヤとレゾッテが、魔人たちを撃ち落としている最中だった。

「……すごい。本当に魔法で空を飛べるんだ」

 感嘆とした声を上げながら、実花はこの世界に来たばかりの頃を思い出す。あの頃はまだ魔人とこんなにも殺し合っているだなんて、想像もしてこなかった。

 実花は未だに氷の礫を飛ばしてくる魔人へ視線を向けると、地面を踏み込んで一挙に近寄った。そのまま魔法の壁で押し込むと、魔人の口から出た氷塊が壁にぶつかって口の間近で破砕した。礫の欠片が魔人の口内を傷つける。

「ぎゃ」

「グスト」

 魔人の悲鳴に合わせて魔法の壁を解除した実花は、袈裟懸けに斬りつける。無防備な胴体が斜めに切り裂かれ、不快な赤い液体が飛び散った。それは実花の頬にかかる。

 もう何人斬ったのだろうか。袖で返り血を拭いながら思う。けれど具体的な数はとっくに数えていない。少なくとも十は斬っているはずだが解らない。もしかしたらもっと少ないかもしれない。

 隙あり、とでも思ったのだろう。二人の魔人が両横から挟み込む様に襲いかかって来た。右から来るのは左腕が大きなハサミになっている魔人。左の魔人は右腕が炎に包まれている。実花は彼らを横目でちらと見て、

「ホルト」

 と唱えた。途端、魔法の壁が一瞬で周囲に構築される。二人の魔人は壁にぶつかった。同時に実花は左に飛んだ。魔人は驚きの声を上げながらあっさりと壁に押される。その後ろにいる魔人たちも巻き添えを食らう。そればかりか、炎を纏った右腕に触れて火傷を負う魔人もいた。

「グスト」

 すかさず実花は魔法を解除。鋭い突きを放つ。刃は燃える右腕の魔人の額を貫いた。

「ホルト」

 再び魔法を発動させると、魔人が剣から押し出された。背後の魔人たちに激突する。死んでもまだ燃えている右腕は、他の魔人たちにさらなる火傷をもたらせた。

 実花は魔法を解除させて、体勢が崩れた魔人を襲う。さっと剣を横に走らせると、三人ほどの魔人の腹や胸を切り裂いた。

 実花はもう、魔人を斬っても吐かなくなった。相変わらず不快で、気持ち悪くて、今すぐにでも止めてしまいたい。だけどそれは殺戮に慣れてきてしまった証だった。戦争を、闘争を、殺しを楽しんでいる狂者たちに近寄ってしまった証拠だった。

 自分が変貌していくのが実花には分かる。純真無宅なあの頃にはもう戻れない。殺人を嫌悪し、畏怖するような、日本にいた時の普通の子にはもう二度と。

 ふと気づけば、周囲の魔人たちが実花を取り囲んで一斉に魔法を放って来た。すかさず実花は魔法の壁を出現させて魔人の多種多様な攻撃を完全に防ぐ。彼らは自分たちの魔法が通じないことに恐怖していた。

 さて、と実花は周りを見ながら考える。これでキルベルの注文通り魔人たちの注意を引き付ける事ができた。休憩も兼ねて、仲間が動くまではこのまま動かないでおこう。魔法攻撃の集中砲火のおかげで身動きが取れないのだと見せかけるのだ。


「あいつ、吹っ切れたな。また強くなった」

 ゴーガは嬉しそうに笑った。強くなればなるほど、その分楽しめるのだと言わんばかりに。

「そうですね」

 適当な相槌を打ったキルベルは、空を一目見た。上空の魔人たちは、師弟コンビに抑えられている。地上に対する攻撃が完全に治まった訳ではないが、非常に軽微になった。

「そろそろ行きますよ、ゴーガ」

「ようやくか。待ち兼ねたぞ、キルベル」

 ゴーガは嬉しそうに笑って、大剣を握り直す。

 そして二人して駆け出した。キルベルは軽やかな足捌きで帝国兵の間をするすると駆け抜ける。ゴーガは足音を重たそうに鳴らしながら走ると、帝国兵たちが慌てて道を開けた。

 真っ先に着いたのは無論キルベル。まず狙ったのは実花に注目している魔人だ。気配を消してそっと近づく。魔人は気付いていない。キルベルはほんの刹那の間に鞘から抜いた短剣で首筋を断った。

 鮮血を撒き散らしながら倒れた仲間に驚愕した魔人たちは一斉に振り返る。しかし彼らの視界の中にキルベルはいなかった。

 キルベルは彼らの足元にしゃがみこんでいたのである。そして次の瞬間には急激に伸び上がり、顎と首との境目を下から貫いた。

 ごぼ、と音を立てて、大量の血が落下。貫かれた魔人は首を抑えながら膝を突く。

 一気に二人も倒された事実に、魔人たちは目の色を変えてキルベルへ向かう。

 だがキルベルは焦るどころかむしろ冷静に、右手に持った短剣で自分の眼を隠した。

 奇妙な行動に魔人たちが訝しんだ一瞬間、キルベルは空いている左手から何かを放った。それは光り輝く魔力の玉だ。中空に放り出された玉は、緩やかな軌跡で魔人たちの目の前にまで飛んだ。

 魔人たちは反射的にそれを目で追った。何らかの攻撃魔法かと、変化を見極めようと注視している。しかしそれは悪手であった。

 魔力の玉は破裂し、眩い光を放ったのだ。まともに見てしまった魔人たちの目が眩む。

 そうしてその瞬間をキルベルが見逃すはずがない。手早く二人の首を斬りつけると、すぐにその場から離れ去った。

 ようやくゴーガが遅れて辿り着く。大勢の敵を目前にした彼は、大剣を腰溜めに構える。続いて身体強化の魔法で、全身を限りなく強化する。

 魔人たちは、どこかに逃れてしまったキルベルに怒りを向けられなくなっていた。そんな時に現れた巨漢のゴーガに、怒りの矛先を変更する。

 あからさまな敵意を向ける魔人たちにゴーガは不敵に笑んだ。しかし構えたまま動かない。

 魔人たちはじりじりと近寄っていく。実花やキルベルに続いて現れたこの男。きっと只者ではないと魔人たちは判断した。だから警戒して、ゆっくりと進む。

「どうした?」と、ゴーガは嘲弄する。「魔人というのは、臆病者の集まりか?」

「なに?」

「たった一人にいいようにされる。魔人も案外に大した事がない。数の利は人間。強さは魔人。そう思って楽しみにしていたのだがな。これでは拍子抜けだ。この有り様では、数だけではなく強さも人間の方が上。つまらんな、全くつまらん」

 本気だった。ゴーガは本気でそう思っていた。たった一人の人間に怯えて、慎重にことを構える魔人はつまらない。血が滾るような闘争ができなければここに来た意味がない。

「き、貴様」

 魔人たちは怒りでどうにかなってしまいそうだった。

「悔しいか?」ゴーガは追い打つ。「ならばかかってこい!」

 一斉に魔人たちは躍りかかった。

 ゴーガは力を大剣に込め、ぎりぎりまで引きつける。

「つぁっ!」

 裂帛の気合いと共に、横薙ぎの一閃。

 次の瞬間には、魔人たちの胴体が切断された。弾けたみたいに、大量の血液が溢れ出て、内臓がこぼれ落ちていく。

「……はっ!」

 楽しそうに大笑したゴーガは、血と贓物の雨の中を潜って、魔人の群の中に飛び込んだ。今まで我慢してきた分、思う存分に大剣を振るう。その勢いは、誰にも止める事ができない。ただただ凄惨な死体の山だけが積まれていく。

 ゴーガから少し離れたところにいた魔人は、遠距離攻撃の魔法を使う。彼の狙いはゴーガであった。何しろ近くにいる魔人にしか興味がないようで、こちらには些かも注意していない。

 魔人はじっくりと狙いを定める。仲間を傷つけるのは極力さけるつもりであったが、奴を今止めなければ被害が増すだけである。だから多少の犠牲はつきものだろう。魔人は仲間ごとゴーガを仕留めようと集中した。

 しかし唐突に、左胸から剣の切っ先が飛び出した。

「んな」

 驚き、自らの血で赤く染まっていく剣の先端を茫然と見やる。一体何が、と理解する間もなく、口から血を吐き出して絶命した。

 背中を蹴り、魔人から短剣を引き抜いたのはキルベルである。襲いかかってきた魔人の攻撃をかわしながら、独り言を呟く。

「狙って挑発したのなら大したものですが……いやはや、天然というのは恐ろしいものですね」

 言うまでもなく、ゴーガのことであった。


  キルベルとゴーガが動き出したのを実花は確認した。

 相変わらず魔人たちの攻撃は実花に集中している。魔法の壁があるからこそこういった役回りをこなしているものの、攻撃を受け続けるのは気分の良いものではない。それでも魔人を殺すよりも遥かにマシである。

 だがそれもここまでだ。最低な殺し合いをそろそろ再開させねばならない。

 深呼吸をする。気分は落ち着いた。

 実花は魔法を維持したまま走った。密集状態になっている魔人たちはおいそれと後退ができない。突然な実花の行動に驚きながらも、無意味に魔法攻撃を繰り返すしかなかった。

 そのまま魔法の壁で魔人たちに体当たりをかます。悲鳴を上げる魔人たち。

 何も意識するな、と実花は自分に言い聞かせる。情を感じるな。戦い以外のことは、頭から追い出せ。

 魔人たちは何もできずに魔法の壁に押されていく。互いの体で圧迫されて、呼吸がままならなくなった者もいる。混乱して、辺り一帯に魔法を乱発させて、同士討ちすら起きる始末。

 恐怖が、蔓延しつつあった。それはあまりに圧倒的過ぎたからである。

 右翼の戦場の空気は完全に変わった。遊撃部隊の活躍で、帝国軍の士気も確実に上がっていた。逆に魔人たちは萎縮している。

 そんな時だった。一陣の風が、実花のすぐ側を通過して、恐怖に支配された魔人たちの頭上で立ち止まった。

 蝿の羽を生やした妖しくも美しい魔人、ケープであった。

 グルンガル・ドルガに命じられた、実花の目標でもある。実花はようやく現れた標的のことを一目見ると、走るのを止めてケープを注視する。

「……あなたたちは下がっていなさい」

 怒気を感じさせる静かな声で、ケープは仲間である魔人たちに命じた。そのただならぬ気配に、魔人たちは言われた通り距離を開ける。

「あなたが、ズンガを倒したって言う、ツムラミカね」

 ケープは、複眼で実花を見つめながら言った。

「そうです」

「話には聞いていたけれど、本当にまだ子供だったのね。こんな子を戦場に立たせるなんて、帝国は本当におかしな国だわ」

「……否定はしません」

「そう。あなたも何か事情があるようね。なら、降参してくれないかしら。あなたはたくさんの仲間を殺した。憎しみはある。でも、それでもやっぱりあなたみたいに可愛らしい子を殺すのは抵抗があるのよ。それにね、あなたもなかなか強いようだけれど、私はもっと強いわ。多分、あなたが想像している以上に。どうかしら。降参してくれない? 大丈夫、悪いようにはしないから。あなたたち帝国軍と違って、私たち魔人の方がよっぽど人道的よ」

「確かに、あなたは嘘は言っていないんだと思います」

 降参してマ国に降る。それは確かに一つの選択肢だと実花は思う。だけれど、実花は無意識の内に赤い首輪に手で触れた。これがある限り、恐らく捕虜になった瞬間に実花は終わるだろう。だから実花には、元から選択肢がない。

「ですが、降参はしません。それにあなたが言っていることには間違いがあります。私はあなたが思っているよりも強い。そして、私が想像していた通り、あなたが音よりも速く飛べる程度の力なら」

 実花はここで一拍置いて相手の反応を見た。蠅の魔人は、僅かに触角を動かした。

 実花は続ける。

「あなたは、私には絶対に勝てません」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る