七十四 血染めのゾルバ

 剣の魔人ゾルバは、右腕の剣を逆袈裟に振るった。剣で受け止めるシーカ。魔人は続けて左腕で横から斬り掛かると、彼女はまたも剣でかち合わせた。

 フェイントを入れても、身体を回転しながら剣を繰り出す連続攻撃も、シーカはかわし、いなし、受け止める。それはドグラガ大陸にいた頃には見た事の無い事だった。

 剣と剣を合わせるごとに音が鳴り響く。火花が散る。相手の重みを感じ取る。一瞬のタイミングを間違うだけで終わってしまうそれは、まるで極上のコミュニケーションみたいだとゾルバは思う。そう、例えば男女の交合のような。あるいはそれ以上に神聖で、深く、濃密だ。

 ゾルバは左の剣を上段から振り下ろす。右の剣もその後を追う。シーカは一撃目を横合いから弾き、二撃目はかろうじて躱した。

 ゾルバは振り下ろした勢いを殺さずに低い姿勢を取る。そして、シーカの足目掛けて両腕の剣を交差させるように放つ三撃目。しかしシーカは小さく飛んだ。剣は空を切った。

 ゾルバの頭上に初めて出来た隙をシーカが見逃すはずがない。落下と共に剣を振り下ろす。だがこの絶妙なタイミングでゾルバがまるでドリルのように回転した。シーカの剣を横から叩く。彼女の体勢が崩れた。ゾルバがまだ回転している中、シーカは落ちていく。まるでゾルバの剣に吸い込まれるみたいに。

「チアッ!!」

 彼女は裂帛の気合いと共に、剣を弾かれた勢いを利用して同じく回転。自らの剣とゾルバの剣がぶつかり合った。がっ、と言う音と共に、両者は弾かれて地面を転がる。二人同時に立ち上がった。

 荒く息を吐くシーカ。汗が頬を伝って顎から地面に落ちる。

 ゾルバは両腕をだらりと垂らしてシーカを見た。心の中で感嘆する。咄嗟にあの様な反応が出来る者が、果たしてどれほどいようか。

 魔人たちですらゾルバが知る限りでは数えられるほどしかいないだろう。ましてやゾルバについていける剣の使い手に限定すれば思い浮かばない。誰も彼も自分の魔法頼りで、己の技量を高めようとはしないのだ。それがごく普通の魔人のあり方であるのだが。

 この娘ならば、自分の剣技をより高みへと連れて行ってくれるのではないか。ゾルバはそう期待した。


 シーカは中段に構え、荒い呼吸を整える。本来なら呼吸は隠すべきである。だがその余裕すらなかった。すべてがギリギリだった。ほんの少しでも反応が遅れれば、たちまちやられてしまっていただろう。

 ゾルバは動かない。攻めてくるの待っているのだろうか。つまり罠か? しかしそういう時は、分かりやすい隙を用意しておくものだ。けれど目の前の魔人にはどこにも隙が見当たらない。あんなに無防備な構えなのに、隙がないというのもおかしな話だけれども。

 シーカは試しに隙を作ってみる。右脇腹。けれど相手は誘いに乗ってこない。それもそうだろう。あれ程の技量の持ち主だ。あからさまな隙に乗ってくるはずがない。

 ゾルバの目を見てみる。暗く淀んだ鋭い目。魔人の目だ。だが、とシーカは直感した。この魔人はシーカに訴えている。次はお前の番だと。そして試しているのだ。シーカの力量を。

 舐めやがって、とシーカは思う。いいだろう、誘いに乗ってやろう。

 シーカはじりじりと近づいて間合いを詰めていく。観察しながら微動だにしないゾルバ。不意にシーカは右へ顔を向けた。ゾルバは釣られたのか、同じ方向へ顔を動かす。

 その瞬間、シーカは思い切り地面を蹴って、一気に間合いの中へ入った。同時に振りかぶった剣を相手の頭部へ振り下ろす。しかしゾルバは横を向いたまま左腕の剣であっさりと防ぐ。

 シーカにとってこれは無論想定内。こんなにあからさまな視線誘導に引っかかるのなら、とっくにこの魔人を殺している。

 シーカは再度振りかぶって今度は逆袈裟。防ぐゾルバ。次は袈裟に振るもこれも防がれる。もう一度頭の正面へと振り下ろす。ゾルバの態勢は変わらない。シーカは防がれる直前に腕を畳んだ。そのまま下へ剣を運んで相手の防御を潜り抜ける。狙いは無防備な胴。斜めに斬り裂こうと腕を伸ばす。

 だがゾルバはもう片方の剣、つまり右腕で防いだ。なんという反射神経。なんという冷静さ。

 シーカは舌打ちをしながら腕に魔力を込めて強化。このままこの距離にしがみついて攻撃をし続ける。そして倒してみせる。

 急所は狙わずに剣を次々に繰り出す。二の腕太もも腹に肩。一振りごとに速度を上げる。だがどれもこれもゾルバは完璧に対応して見せた。受けて、逸らし、避ける。

 もっとだ。もっと速く。シーカは持てる技量の全てを注ぎ込んで攻撃する。けれど足りない。ゾルバに剣が届かない。

 そして、シーカは見た。ゾルバが楽しそうに口元を緩ませるのを。ゾルバが一般の兵を斬り殺していた時も、シーカに攻撃していた時にも表情を浮かべていなかったのに、今、確かに楽しそうにしている。

 シーカは不覚にも嬉しいと思った。この魔人に自らの剣技を認められたのだと感じた。それが嬉しかった。しかしなぜそれが嬉しいのか分からない。相手は魔人。憎き者。邪悪な者。グラウノスト帝国の敵。殺すべき敵。

 だが確実な事が一つある。それは、目の前の魔人が今の技量を手に入れるために、沢山の努力をしてきた事だ。誰よりも努力してきたと自負しているシーカにはそれが分かった。

 この魔人の魔法は見た目通りの剣に違いない。それもただ切れ味が良いだけの剣。だから強くなるためにここまで努力してきたのだろうとシーカは思う。そこだけは好感が持てる。

 敬愛しているグルンガル・ドルガも言っていた。強い敵と闘っていると、どういうわけか友愛のような感情を抱く事があると。そんな馬鹿な、とその時のシーカは半ば信じられなかった。けれど今なら分かる気がした。

 楽しい、とシーカは思った。思う存分自分の剣の技術をぶつければ、相手も同じ様に返してくれる。その度に自身の剣術が高まっていくのを実感する。そうしてそれは相手も同じなのだ。




 マ王ツァルケェルが出現し、マ国を建国する以前のドグラガ大陸は、大小様々な集落が点在しているだけだった。国という大きなまとまりはなく、集落ごとに協力をしながら人や魔人たちは生きていた。ゾルバが生まれ育った村は、そうした例に漏れないごく普通の規模の名前もない村である。

 ゾルバが母親の胎内にいた時、すでに両腕は剣だった。そのせいで生まれる時に腹を内部から切り裂いてしまった。もしも回復魔法を使える人間がいれば母は助かったかもしれない。けれどゾルバたちが住む村にはそんな人間はいなかった。ゾルバの母親はそうしてあっさりと死んでしまった。

 魔人の子を生む時、こうした事はよくある事だ。だから出産はいつも文字通りの命懸けである。

 父親はゾルバと亡骸になった母を抱きしめながら泣いた。子が母を殺して生まれた時、怒りに駆られた父が生まれたばかりの子を殺す事もよくある事だ。だが幸いにもゾルバの父親は違う方だった。

 魔人であった母と違い、父は人間であった。どこぞで手に入れた剣で毎朝素振りをするのが日課だった。ゾルバは赤ん坊の頃から父の素振りを見ているのが好きで、指を咥えて茫然と見つめている様を村人達が微笑ましく見守っていた。そんなゾルバが、父の真似をして腕の剣を振り始めるのは自然な成り行きであったろう。

 当時のドグラガ大陸は殺伐としている。いつ何が起きてもおかしくはない。生き残る術の一つとして、父親は護身術のつもりでゾルバに剣を教え始めた。何よりも両手の剣の扱いを覚えさせねば、この先危険に陥るであろうと危惧したからである。

 ゾルバの上達は目を見張るものがあった。教えたことの大半はすぐに出来る様になったし、難しいものも努力を惜しまずに習得する。この子には才能があると父が認めるのにそう時間はかからなかった。とは言えこれは剣に限ってのことで、他のことに関しては並以下だったが。

 才能があると分かっても、いやだからこそより一層に、自分や大切な誰かを守るために剣を振るう様にと説いた。いたずらに人を斬ってはいけないと。むやみやたらと敵を作っては駄目なのだと。

 しかし、もしも人の良いこの父に間違いがあったとするならば、それはゾルバの性質を見抜けなかったことだろう。それが分かっていれば、きっと父はゾルバに剣を教えることはなかったに違いない。

 ゾルバにはある欲望があったのだ。それは異性と付き合いたいとか、お金がたくさん欲しいといった類ではなかった。彼の欲望とは、すなわち、生き物をこの腕の剣で斬り裂きたいという異様な欲望だったのである。

 どうしてそのような欲を持ってしまったのだろうか。それは生を受けて初めて斬ったのが母親だったせいかもしれないし、両腕が剣であったがために持ち得た欲望だったのかもしれない。確かなことと言えば、彼は生まれたその瞬間から、命ある者を斬りたたくて斬りたくて仕方がなかったという事である。

 当時の彼はすでに自分の暗い欲望に自覚していた。だが誰も斬らずに済んでいたのは、父親の教育のおかげであろうことは間違いない。彼は自分の欲望が歪であったことを理解していたのだ。

 それでも、リビドーと呼ばれる様な、どうしようもなく強い衝動に襲われる事がある。そんな時は、父に隠れて地面を這う様に移動する六足の小さな虫を捕らえ、足を一本ずつ切り分け、続いて胴体と頭部を二つに分断することで気を紛らわせていた。だがそれで欲求不満が解消されるわけではなかった。

 そんなある日のこと。村を盗賊の一団が襲った。彼らは手練れだった。村に住む魔人や人間の男たちは善戦したが、いくつもの村を襲撃しては金銭を巻き上げてきた彼らにとって敵ではない。

  ゾルバの父が愛剣を手にして奮戦するも、息子の前で殺されてしまった。しかしゾルバは、何も感情を露わにしなかった。怒りも、悲しみも、怯えも、その顔や動作で表現をしなかった。その姿は、父親の死に何も感じていないかのように見える。だがその内面は決定的な変化をもたらしていた。

 父親の死と共に、ゾルバのブレーキが破壊されたのだ。あるいは父親こそがゾルバにとってのブレーキであったとも言える。そのブレーキの役割は、欲望を止めることであった。

 まるで抑圧から解放されたバネのように、ゾルバは目前の盗賊を襲った。盗賊も、まさか子供がいきなり襲ってくるとは思わず、警戒を緩めていた。けれどそれだけでは説明がつかないだろう。ゾルバは迷いも躊躇も見せずに、盗賊の首筋にある頸動脈を断ったのである。

 降りかかる血の雨を浴びながら、ゾルバは刃に付着した赤い血液を見つめた。

 これだ。この感覚を求めていたんだ、と確信して暗い笑みを浮かべる。ゾルバにとって斬ることは、母に対して行った唯一のコミュニュケーション。これこそがゾルバにとって最も母を感じられる行為であった。

 別の盗賊がゾルバと出会した。仲間の死体を見て、この子供が殺したのだと合点するやいなや、仇を討とうと駆け込んでくる。ゾルバもまた相手に向かって駆けた。そうしてすれ違いざまに盗賊の腹を掻っ捌いた。急所が外れたせいで苦しむ盗賊のもとへゾルバがゆっくりと近寄ると、心臓に刃を突き立てる。

 ゾルバは周囲を見回した。まだまだ斬れる人体はたくさんいる。またまだたくさん楽しめる。ゾルバは盗賊たちを探し出すと、一人づつ斬り殺していくのであった。


  ゾルバが住んでいる村に近づいてくる一団がいた。岩の魔人ズンガが率いるその集団は、盗賊を相手にした盗賊。いわば義賊であった。

 ズンガが村に踏み入れた時、すでに戦闘は終わっていた。多くの村人たちの死体に紛れて、盗賊たちらしき死体もあった。ズンガの傍にいた獣の魔人ウルガは、獣の嗅覚と聴覚で生き残っている何者かがいる事をズンガに告げた。鷹揚に頷いたズンガは、その場所に案内するように頼んだ。

 そこにいたのは、全身を血で赤く染めたゾルバであった。年若い彼は、沢山の死体に囲まれて茫然と立ち尽くしている。両腕の剣にべったりと血が付着していることから、彼が盗賊を返り討ちにしたのは明白だ。仲間の中からは、あんなに小さな子が盗賊たちを倒したのかと、疑心と恐れに満ちた声で囁き合っている。

 ズンガたちの存在に気付いたゾルバは、顔だけを動かしてこちらを見た。その暗く鋭い視線は、ぞっと震えるような冷たさを孕んでいる。

 唐突にゾルバは、ズンガたちに向かって一挙に迫ってきた。全身からは誰でも分かるぐらいの殺気をみなぎらせている。ウルガが対応しようと一歩を踏み出そうとすると、俺に任せろとズンガが手で制して前に出た。

 ゾルバは剣を振るった。小さな体躯の割に、鋭く速い一閃。ズンガは何も動かずに岩の体で受けた。ぎいんっ、と強く音が鳴って、ゾルバの剣が岩の体に阻まれて止まる。無論、ズンガの体には傷一つ付いていない。

 驚愕しつつも、ゾルバはさらに剣を繰り出す。けれどどこを攻撃しても、ズンガを斬る事ができない。

 旗色が悪いと気付くと、ゾルバはすぐに体を反転させてズンガをかわした。狙うは後ろにいる魔人の集団。後ろに抜かれたズンガは腕を伸ばすが、俊敏な相手を捉える事ができない。ゾルバはそのまま後続に襲い掛かった。

 真っ先に動いたのはウルガだ。剣を爪で受け止める。一合合わせるだけで相手の方が力があると判断したゾルバは、鍔迫り合いに付き合わずに連撃を放った。それは父と修練をしていた時よりも格段に速い攻撃だった。しかしウルガは、超絶な反射神経と身体能力で防いでいく。

  攻撃の速度を限界以上に引き上げようとするゾルバの表情は苦しげだ。反面、それを事もなく捌き続けるウルガは、涼しい顔を浮かべている。

 一旦距離をとって体勢を整えたいゾルバだったが、後ろにはズンガがいる。今はどういうわけか手を出してこないものの、いつ何時加勢しないとも限らない。早急に終わらせなければいけない。何よりも斬りたいものはまだまだたくさん控えている。

 ゾルバは賭けに出た。満身の力を込めて、上段から両の剣を同時に繰り出す。ウルガもまたこの攻撃に合わせて腕を振るう。

 二本の剣と片手の爪がぶつかり合った。けたたましい音を立てて弾かれたのはゾルバ。

 ウルガは無論この隙を逃さない。そのまま突進して頭突きを相手の顔面に喰らわした。鈍い音を鳴らし、鼻血を噴出させながら、ゾルバはきりもみ状に背後に倒れた。すぐに起き上がろうとするも力が入らない。そうして気を失った。

 ズンガはこのままゾルバを義賊で引き取ることに決める。反対はあった。普通の子供なら問題ない。しかしゾルバはどう見ても普通ではなかった。明らかに危険だった。それでもズンガは引き取ると言い切る。この義賊の集まりの多くはズンガに惹かれて集まった魔人たちだ。だからズンガがこうと決めればもう反対の声は上がらない。

 こうしてゾルバは義賊の元で生活を始めた。幾度も欲求を満足させようと、剣を振り回して斬ろうとしたが、その度にズンガやウルガに止められて、賊を閉じ込めるための檻で反省を促された。

 そうした時、ズンガが身の上話を打ち上げる。この岩の体のせいで、生まれたと同時に母の腹を突き破って殺してしまったのだという。

 同じだ、とゾルバは思う。けれどそこから先は少し違った。

 ズンガの父は魔人で、右腕が岩だった。母の惨状を一目見た父は、思わず激情に駆られた。生まれたばかりの赤子を全力で、それも右腕で殴りつける。殺すつもりで放ったその一撃は、すでに全身が岩となっていたズンガの体を些かも傷つけることはできなかった。彼の魔法は母の体内にいた頃からすでに極まっていたのである。父は我が目を疑いながらも、感情に任せて何度も何度も殴打した。それでもやはりズンガを殺すことはできなかった。それから幾度か打ち付けてようやく、父は冷静さを取り戻した。もう死んでしまった妻を幻視し、その姿形がなぜかズンガと重なった。父は殴るのを止めて、号泣した。愛する妻の魂と命は、その子供であるズンガに引き継がれたのだと、その時の父はそう思ったのだとズンガは聞いた。

 その後、ズンガが少年になった頃、村はお決まりの様に盗賊に襲われた。幸運なことに、ズンガが住んでいた村は強い魔法を備えた魔人が複数いたおかげで盗賊たちを撃退することができた。

 だがズンガは思った。この村は盗賊を倒すことができた。けれどそれができない村はどうなるのだろうかと。ある日訪れた旅人にその事を聞いてみると、盗賊によって滅んだ村は少なからずあるのだそうだ。そんな理不尽があっていいのだろうか。ズンガは憤った。

 そうしてさらに年月が経つと、ズンガは村を出た。それは見聞を広めるためであったが、襲ってきた盗賊を返り討ちにしたり、立ち寄った村が盗賊に目をつけられて困っていれば助けてやった。ウルガとは、そうやって立ち寄った村にいた男であった。同じ様に盗賊を倒してやると、ウルガはどういうわけかズンガに惹かれてついて来たのである。それを皮切りに徐々に仲間が増えてきて、いつの間にかズンガは義賊として名をはせる様になったのだった。

 そうしたズンガの長い話を聞いたゾルバは、何かしらの心境の変化があったのだろう。模擬戦自体は相変わらず行っていたが、無闇やたらと仲間を斬ろうとはしなくなった。斬りたい欲求は、盗賊たちに全て発散させた。

 その数年後にツァルケェルが現れ、勘違いからズンガと決闘することになる。その結果、今まで負けなしだったズンガが初めて負けて、ツァルケェルの配下となった。そうなれば、必然的にウルガやゾルバなどの仲間たちもツァルケェルの配下として組み込まれたのであった。ウルガはその事に不満があったようだが、ゾルバ自身は何も不満を持たなかった。だが、ズンガが負けたことはかなりの衝撃をもたらせたのは間違いない。あれだけ斬ろうとしても歯が立たなかったズンガを、ツァルケェルはたったの一撃で倒してしまったからである。しかも、かなりの余力を残して。

 それで興味が湧いたゾルバは、一度ツァルケェルと戦った事がある。結果はゾルバの圧勝。強力なのは彼の魔法だけだった。事実、ウルガも手合わせしたが、ツァルケェルは負けてしまった。それもあって、ウルガはツァルケルの事を認めようとはしなかった。けれどゾルバとしては、どうでもいい事だ。大事なのは、どれだけ強力な魔人であっても、相性によってはあっさりと負けてしまうという事実だった。

 ドグラガ大陸を平定するまでは、ゾルバにとってとても有意義な時間を過ごす事ができた。何しろ激しい戦いの日々を送る事ができたのだから。おかげで弱い者を斬るよりも、強い者を斬った方がはるかに心地よい事が分かったのだから。けれどマ国を建国し、平和になった後はとても退屈であった。ツァルケェルの方針のせいで、むやみやたらと殺す事ができなくなり、斬りたいという欲求を無理に抑えなければならなかったからである。

 ストレスが溜まる一方であったが、それでもツァルケェルはよく考えてくれていた。大陸を平定したといっても、盗賊がいなくなるわけではなかったし、マ国に反乱しようという一派はどこかしこに出現した。ゾルバにはそれらを駆逐する役目を担わせてくれたのだ。それはただ単に、ゾルバという厄介な爆弾を追い払うための方策であったのかもしれないが、後腐れなく斬れるならなんでも良かった彼にとって、むしろ願ったり叶ったりであった。

 マ国の内政が落ち着いて来た頃、ツァルケェルは人間が主に住む大陸、すなわちヒカ大陸と戦争をすることを決めた。以前から計画されていた事もあり、マ王の信奉者はついにこの時が来たかと沸きに沸いた。無類の戦闘好きとして認識されていたゾルバも真っ先に飛びつくかと思われたが、意外なことに打診された先遣隊を断ったのである。当時の彼は、生き物であれば何でもかんでも斬れればよかった昔と違って、強い者切ることにしか興味が湧かなかった。人間は弱い存在だと認識していたのだ。故に、まるでその気が起きなかったのだった。もちろんツァルケェルが強権を発揮すれば、嫌がりながらも行ったであろう。けれどツァルケェルはそうしなかったのである。

 旗色が変わったのは、ズンガが人間に殺されたと聞いた時だ。あのズンガが、たかだか人間に負けた。それは強力な魔法を使うツァルケェルに負けた時以上の衝撃だった。人間にも強い者がいる。それは一体どういう者なのだろう。ゾルバは興味が湧いた。それで自らツァルケェルに頼んだ。ヒカ大陸に連れて行って欲しいと。ツァルケェルは即断してくれた。分かった、と。




 今戦っている素早く鋭い剣捌きを行う彼女は、残念ながらズンガを倒した者ではないらしい。ゾルバはそうと理解していた。そもそも彼女の力では、ズンガを倒せるとも思えない。できればズンガを倒したというツムラミカと剣を交えたかったが、それでもゾルバはここに来て良かったと思った。魔人相手ではこのように思わなかったろう。同じ剣同士で、ここまで打ち合えたからこそだった。

 永遠に剣と剣をぶつけつづけていたい、とゾルバは思う。だがこれは戦争だ。それに体力も無限にあるわけではない。目の前の肉を斬りたいという欲求も、そろそろ我慢できなくなって来た。

 ゾルバは剣速を上げた。

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