七十二 狂うしか無い
ユリエとミノルが魔人だと、シニャは暗い声でネルカに教える。
一陣の風が吹いた。大聖堂ミカルトの中庭にある一本の木の梢が、ざわざわと音を立てる。
「そ、それは本当なのですか?」
ネルカは気が動転しながらも、どうにかそれだけを声に発した。
「本当です。教会の上層部から聞きました」
「……し、しかし。ツムラミカ様は人間です。何かの間違いではありませんか?」
「これは、余り知られていない事なのですが」と、シニャは前置きをする。「魔人と魔人、あるいは人間と魔人の間からは、必ず魔人が産まれる事は皆様が知っている通りです。ですが、それ以外にも魔人が産まれる事があります」
「それ、以外ですか?」
「人間と、人間の間からも、ごく稀にですが魔人が産まれる事があるのです。もしも本当に私が会ったミノルがツムラミカ様のお兄様であるのなら、彼は人間と人間の間から産まれた魔人と言う事になるでしょう」
初耳だった。人間同士から魔人が産まれるなどという話は、ネルカに取ってあまりに信じ難い事だ。しかし、彼女はとても真摯だった。だから、言っている事は真実なんだろうとネルカは思う。シニャが嘘を言っているようには見えない。
けれど、実花の兄に限って魔人であるはずがない、とネルカは心の中で否定する。
実花が別の世界から来た人間であるならば、兄も同じく別の世界から来た人間だ。だから、兄は人間でなければならなかった。そのミノルは、きっと実花の兄ではない。
しかしネルカは否定しきれなかった。なぜならミノルという名前は、少なくともグラウノスト帝国内では聞いた事の無い珍しい名前だからである。実花と言う名前も、そうだ。ついでに言えば、実花と同じ黒髪黒目である少女、ユリエと言う名前もまた聞いた事の無い名前だった。つまり彼女も違う世界から来た可能性がある。
だけれども、別の世界から来たから魔人ではないとシニャに否定しても、きっと信じてはくれないだろう。
「驚きましたか?」
シニャは、ネルカが衝撃のあまり言葉を失ったと思い、そう尋ねてみた。
「はい」
ネルカは頷きながら、疑問が浮かぶ。なぜ教会のシスターが、魔人であるユリエの事を気にしているのか。ネルカは、続いてその事をシニャに聞いた。
シニャは少し迷った末に、口を開く。
「……私がまだ街道沿いの教会に勤めていた時です。当時、どれだけ手を尽くしても治療できなかった奇病が流行っていました。私の教会にもその病を患った患者で一杯になり、私は看病をするのが精一杯で、誰も救う事が出来ませんでした。そんな時です。ユリエと、ミノルの二人が来て下さいました。そして、私は奇跡を見ました。ユリエが全ての患者をあっという間に治してしまったんです。
私には、少なくともそのユリエとミノルの二人が、邪悪であるとはとても思えないのです」
シスターとは思えぬ発言に、ネルカは面食らう。
けれど、ネルカは思う。もしも自分の弟が魔人だったら、邪悪だと言い切れるだろうか、と。多分、嫌、絶対に無理だ。ネルカは、自身の価値観が揺らいでいるのを実感していた。
「……魔人、とは、一体なんなのでしょうか?」
と、ネルカは気付くとそう尋ねていた。
シニャは、困ったように笑う。
「私にも、今は良く分かりません」
返答を聞きながら、ネルカは思う。もしも実花の兄が魔人と思われていたとしたら、そうして今も生きているのだとしたら、行き着く先はドグラガ大陸ではないか、と。と言う事はつまり、マ国軍の中に実花の兄がいるかもしれない。
「……ミカ様」
ネルカは小声で呟いた。どうか、どうか悲しい事がこれ以上起きないようにと願った。
実花は十分に苦しんだ。悲しんだ。これ以上の試練を与える意味が果たしてあるのか。
ネルカは願う。どうか、どうか実花にはこれから幸せになってほしいと。
どうか、どうか。
シニャはそうしたネルカの様子を、心配そうに見つめるのだった。
人魔大戦の中でも最も大きな戦いが始まった。
互いに雄叫びを上げ、人間と魔人がぶつかり合う。
強い抗魔力の特性を持つミスティルの防具で身を固めた帝国軍は、魔人の強力な魔法を弱める事に成功していた。それでも魔人の魔法が強力なのは間違いない。少しずつだが、確実に帝国軍は削られて行く。
だが人間が持つ最大の武器は、その圧倒的なまでの人数差である。そこにさらに付け加えるならば、人間同士の戦争で培って来た莫大な経験値。帝国軍の両翼は、マ軍を左右から挟み込み、包囲をしこうと動いていた。
魔人には無い戦術と暴力的な数の力に寄って、マ軍は徐々に押されつつある。
だが、しかし。魔人の強みは強大な個の力であることは変わりない。その中でも一際強力な魔人達は、劣勢になりつつある戦況の中、動き出した。
ウルガは前陣の敵の中へ愚直に入り込んだ。鋭き爪で帝国兵を手当り次第に蹂躙する。ただただ超絶の身体能力と本能のみで圧倒する獣そのものの姿だった。
帝国兵は恐怖した。いかなる攻撃を行なっても、凄まじき俊敏さを見せるウルガに当たらない。そればかりか、たったの一撃で鎧ごと切り裂かれるのだ。そうして恐がり、逃げ腰になっている帝国兵に、他の魔人兵達が容赦なく襲いかかって命が奪われて行く。
強固な前陣であった。しかしウルガ一人の手によって穴が空き、魔人兵が傷口を広げる。そうして前へ前へ突き進む。ウルガ達の猛烈な勢いを、最早誰も止められない。
包囲を広げ、横合いから攻め込む右翼。前方に集中していた魔人兵達は、横からの攻撃に驚き、対応し切れていなかった。善戦するも数を減らして行く。
しかし、そうやって押され続ける魔人兵の中に、羽根や翼が生えた魔人達がいることに、帝国兵は気付いていなかった。
「飛べ!」
唐突に大声で命令したのは蠅の羽根が生えた魔人、ケープである。彼女の一声を合図に、飛行できる魔人兵達が一斉に飛び立った。
あまりに急激な変化に、帝国兵は目を白黒させる。
そこに空高く飛び立った魔人兵達が、一挙に襲撃した。奇襲の形になったこともあり、帝国兵は殆ど一方的に殺される。
特に戦果を挙げるのはケープだ。音速で飛行し体当たりする彼女に、誰もが為す術も無くやられて行く。このまま行けば右翼は崩壊するのも時間の問題であった。
同じ頃、右翼と同じように展開している左翼は、思いもよらぬ伏兵に苦しめられていた。
両腕全体が刃になっている魔人が、突如帝国軍の真っ只中に出現し斬撃を放っている。
魔人の名はゾルバ。彼の魔法である両腕の剣の切れ味の凄まじさたるや、頭から股までを豆腐を斬るが如くあっさりと真っ二つにする。しかしゾルバの真に恐ろしき点は、帝国軍人を遥に凌ぐ剣の技量であった。周囲を帝国兵に取り囲まれながらも、一太刀も浴びることなく縦横無尽に撫で斬りにする。まるで舞を舞っているかのような自由極まる剣の使い手であった。
もはや左翼側にはゾルバに敵う者はいない。ただひたすらに斬り伏せられるのみ。
「上手くいったな、ガーガベルト」
マ王ツァルケェルは、傍らに立っている老人に話しかけた。
「ふふふ」と、ガーガベルトはにやりと笑う。「帝国軍は確かに強い。伊達に戦争ばかりしてきた国ではない。しかしな、所詮は人間ばかりを相手にして来た国。魔人の強さを侮った結果なのさ」
「ですが」セールナは心配そうに口を挟む。「まだズンガ様を倒したツムラミカや、ウルガ様を圧倒した帝国軍最強のグルンガルが出て来ていません」
「何、心配はいらぬ。こちらにはマ王様がいる。マ王様の魔法に掛かれば、いかに彼らでも防げまい」
「……そうだな」
ガーガベルトの言に、ツァルケェルは遠くを見ながら呟いた。
グルンガル・ドルガの元に一人の兵士が駆け寄って来た。
「報告します。前陣に狼の魔人が出現。しかしケイザル様が手出しは無用との事。何でも優秀な手駒が手に入ったそうです」
「そうか。報告ご苦労。引き続き任を果たせ」
「は」
兵が立ち去ると、また別の兵士が報告にやって来た。
「報告します。右翼にて例の飛行する魔人の軍が出現。瓦解するのも時間の問題です」
「……分かった。すぐに手配する」
「は」
グルンガルが労いの言葉を掛けると、兵士は走り去った。その姿を見送る事無く、グルンガルは実花達遊撃部隊の面々に顔を向ける。
「聞いたな。早急に向かえ」
「は」
キルベルが応じた。そうして遊撃部隊はすぐに駆け出した。
その様子を見ていたシーカ・エトレセは、思わしくない戦況に眉をひそめる。
「彼らに対処できるのでしょうか?」
「出来る、と言うより、出来なければ困る。現状の戦力では、あの魔人達にまともな対処が出来るのは奴ら以外ではいないだろう。私がここを離れるわけにもいかんしな」
「……私でも、無理なのでしょうか?」
「無理だな」
グルンガルは容赦なく言い切った。く、とシーカは悔しそうに唇を噛む。
「勘違いするな」グルンガルは続けて言う。「あの魔人達には普通の相手では無理なのだ。遊撃部隊が最も相性が良い。あのカナルヤ・レイもいるしな。それにシーカ、お前には別の相手がいる」
「……別の?」
シーカが怪訝そうに聞き返した。するとグルンガルは、彼女の背後を見て言う。
「ほら、来たぞ」
汗を顔面にびっしりと掻いた兵士が、シーカの後ろから走って来た。
「はあ、はあ」兵士は息も絶え絶えに言う。「報告、します。左翼に両腕が剣になっている魔人が出現。たった一人に圧倒されております」
「分かった。報告ご苦労。お前はゆっくり休んでおけ」
「は。ありがとうございます」
兵士がその場から立ち去ると、グルンガルはシーカを見て命じる。
「という訳だ。行って来い」
「了解しました」
ケイザル・トラガは獣の如く暴れ回る魔人を見据えている。
「あれが報告にあった狼の魔人か」
兵士に伝令を頼んだケイザルは、側に待機させていたグリ村の四人を見た。
その内の一人、ルグストが矢を射って、確実に魔人の数を減らしている。彼の弓の腕前は、帝国の正規兵達と比べても遜色が無いばかりか、むしろ上位に位置しているだろう。
今にも飛び出さんとばかりにそわそわしているのはケルトである。彼は村一番の俊足だと言うが、ケイザルが知っている限りでは、彼と同じぐらいかそれ以上の早さで走れる者は数えるほどしかいない。速度を生かした剣技は、相手に何かさせる間を与えない程である。
カースは一流の槍使いだ。優れた身体能力と柔軟な発想で、自由奔放に戦う。戦闘訓練で行なった模擬戦で腕自慢の正規兵を何人も倒している。また指揮能力でも光る物があった。特にグリ村出身者との連携は、目を見張る物がある。
そしてグリアノス。剣は平凡。魔法は中より下。弓矢は近、中距離の命中率は評価するものの、遠距離は魔法を使用しなければまともに当たらない。だが魔法そのものは時間がかかる上に、訓練をした正規兵ならば魔法を使用せずとも当てられる距離であったりする。そこだけを見れば、普通の兵士かそれよりも弱い。しかし彼が非凡なのは、気配を完全に殺して標的に接近する隠密の能力であった。グリアノスと同じような事が出来るのは、王女殿下の親衛隊であり、今は遊撃部隊に組み込まれているキルベルぐらいしかいないに違いない。いや、恐らくは、キルベル以上の隠密の力を有している。
「どうだ、奴は」ケイザルはカースに聞く。「やれそうか?」
「分かりません。ですが不可能ではないと思っています」
「勝算があると?」
「はい。ただこちらの攻撃が通じればの話ですが」
「やってみなければ分からない。そうだろう?」
「その通りです」
「ならば、あの獣の魔人を狩って来い」
「了解しました」
二人のやり取りを聞いていたのだろう。他の三人は即座に動き出した。もちろん先程まで話していたカースも。特にグリアノスは気配を殺し、兵士達の中に紛れ込んでもう何処にいるのかよく分からない。
仮にこの四人が倒し切れなくとも、相手に痛手を負わせ、隙を作る事ができるはずである。その瞬間に一気に畳み込めば、例え強力な魔人であろうとも倒せるに違いない。そうケイザルは考えていた。
素早く動き回りながら帝国兵を倒して行くウルガを誰も止める事が出来ない。
ケルトの役割は、そうしたウルガの足を止める事だった。
いかにルグストが弓矢の名手であると言っても、尋常でない速度で走り回るウルガに矢を当てる事は非常に困難。グリ村一の戦士であるカースでも、食い止めるのは難しいであろう。基本的には隠れて待つ戦法を使うグリアノスは論外。となれば、可能性があるのはグリ村最速のケルトただ一人であった。
だが標的のウルガはまだまだ余裕がある。恐らくは、自分よりも足が速い。そうケルトは認めるしか無かった。しかし狩りの場に置いて、獲物の方が速いのはいつもの事だ。
まずケルトは、相手の動きを観察する。魔人は速さだけではない。反射神経もまた獣じみている。鎧を引き裂くほどの爪もまた脅威だ。
だがそれ故にか、力任せの戦いだった。自分の本能に従うばかりで、技術も何もない。身体能力だけで戦っている。無論、その身体能力があまりにも人間離れし過ぎているからこそ脅威足り得るのだが。
ケルトは不敵に口角を上げる。そもそも森の獣は人間よりも身体能力に優れているのが多い。魔物を狩ることも当然ある。格上の生物と戦うなど、グリ村においては日常茶飯事なのだ。
ましてや相手は狼の魔人。獣である。獣を狩るのは狩人の仕事。
ケルトは動いた。人影を上手く利用し、素早くウルガに近寄る。
そうして、ウルガが帝国兵に爪を振るう一瞬間だった。
ケルトは飛び出した。逆袈裟に剣を振る。だがウルガは不意打ちに気付く。咄嗟に両足で踏ん張り、身体を捻って反転した。ケルトの剣は、ウルガの体毛を二、三本斬るのみ。
ウルガはすぐさまケルトの向かって爪を突き出す。けれどケルトは避けられる事も反撃される事も想定済みだった。爪がケルトがいた場所に到達する頃にはすでにいなくなっている。
ケルトは周囲にいる帝国兵や魔人兵を壁にしてウルガから見えにくくなるように動く。時にフェイントを入れてウルガの目を欺き、唐突に飛び出しては一撃を放つ。ウルガの超絶な勘と反射神経のおかげで、どれも受けられるか避けられる。そうしてウルガはすぐに反撃するも、ケルトは二撃目を放たずにすぐに逃げ出している。
有効な攻撃を当てられないケルトであったが、焦ってはいなかった。ケルトの役目は足止めに過ぎない。現にウルガはケルトの幻惑的な戦法に惑わされてあまり動けないでいる。時折ウルガが標的を別の帝国兵に変えて動こうとしても、抜群のタイミングで攻撃を入れて防いでいた。
ウルガは焦れていた。動き回るケルトのせいで、途端に敵兵を殺せなくなったからだ。それでも帝国兵がウルガに向かって攻撃をしてくれれば簡単に返り討ちにしてやれる。だがどういう訳か、ケルト一人が向かってくるだけで他は来なくなっていたのである。
それはケイザルが、狼の魔人が出現した時、グリ村の四人が動き出したら他の魔人を食い止めろという命令を事前に行なっていたからだった。だから帝国兵達は、ウルガに一切手を出さずに命令通りに他の魔人達と戦闘していた。
しかし、このまま続いてもウルガを討ち取れないのは明白だ。だからこそ次の一手が必要なのである。
帝国兵の群れの僅かな隙間を風が走っている。風は右に左に急激な方向変換を行いながら、目的地を目指していた。
風の正体はシーカである。
速く速く。一刻でも速く。シーカが今考えているのはそれだけだ。数瞬でも速く辿り着き、帝国を脅かす魔人を殺す。ただただその為に疾駆する。
そうして、人々の間を抜けた時、シーカは見た。
両腕が剣になっている魔人が、帝国兵を斬って斬って斬り続けて、返り血で全身を赤く染めているのを。
ぞくり、とシーカの背筋に悪寒が走る。殺しを、戦いを楽しむ風でもなく、あるいは悲しむわけでもなく、無表情に淡々と殺戮する魔人ゾルバの姿に、シーカは戦慄したのである。
こいつは、危険だ。シーカは直感した。こいつを今ここで殺せなければならないと。
しかしシーカの脳裏に、ウルガに敗北した時の記憶がよぎる。果たして、未熟な自分にあの魔人を殺せるのだろうか。
だがシーカはグルンガルに命じられてここにいる。彼の命令は絶対にやり遂げなければならない。でなければ彼の元にいる資格などない、とシーカは思う。
剣を引き抜くと魔力を宿らさせて切れ味を向上させた。さらに脚力を最大限に強化。
そして思い切り地面を蹴って加速する。
ゾルバに迫る。シーカは渾身の力を込めて、相手の首目がけ剣を横薙ぎに放つ。
甲高い金属音。ぎりぎりと軋んでいる。ゾルバはシーカの剣を両腕の剣を交差させて防いでいた。
だがシーカにとってそれは想定済みだ。瞬時に後ろに飛んで距離を開ける。
中段に構えて相手の出方をうかがうシーカ。ゾルバは無表情のままゆっくりと歩いて近づいてくる。
「私がやる」シーカは周囲の帝国兵に言う。「お前達は手を出すな!」
寄って来たゾルバが唐突に身体を反転させたかと思うと、回転しながら剣を繰り出して来た。シーカは剣で受ける。けれどゾルバの剣は止まらない。なおも自ら回転して剣を振る。
一太刀一太刀が違う軌道を描くゾルバの剣は変幻自在だ。下から来ると思ったら左から来る。上からと見せかけて下から剣が迫る。かと思えばそのまま斬りつけてくる。あるいは右腕で突きを放ちつつ、左腕は薙いでくる。
これほど多彩な剣撃を放つ相手は初めてだった。剣術だけならグルンガル以上と言える。だがゾルバはそれだけだった。グルンガルみたいに多くの魔法を上手く活用するわけではない。ウルガの方が速度も力も圧倒的に上だ。
今は受けるので手一杯だが、慣れてくれば反撃の糸口を掴めるだろう。
シーカは耐え続けた。
実花達遊撃部隊が右翼に辿り着いた時、戦場は混沌としていた。
空を飛ぶ魔人兵達が、帝国兵を上空から襲っている。彼らの攻撃手段は様々だ。槍を持っている者、足のかぎ爪で引き裂く者、鋭いクチバシで抉る者などなど。だが彼らの対処に集中すれば、今度は地上の魔人達の魔法を喰らう。多量の血が流れ、地面を赤く染めていた。
「……酷い」
実花は思わずそう呟き、口元を抑えた。けれどむせ返るような血の臭いが鼻孔を突いて、喉の奥から酸っぱい物が込み上げてくる。実花はそれを無理矢理嚥下した。
「顔色が悪いわよ。大丈夫?」
カナルヤ・レイは心配そうに尋ねて来た。
実花は小さく首を横に振る。カナルヤの言う通り、顔が青ざめていた。
「……大丈夫です。戦えます」
「そう……無理はしないでね」
複雑そうな表情を浮かべながら、カナルヤは言った。
「……はい……。ありがとうございます」
これは集団と集団の殺し合いだ。ズンガと戦ったあの時とは違う。本物の戦場。血みどろで、凄惨で、叫び声が何処にいても聞こえてくる。
怖い、と実花は震えた。
「そろそろ行きますよ」キルベルは実花達を一瞥する。「予定通り、アレをやります」
逃げ場は無い。
意を決して実花は準備をする。
まずゴーガが大剣を構えた。剣の腹を上に向けて、肩に担ぐ。実花はゴーガの上に登り刃の腹に乗った。
「行くぞ!」
ゴーガが楽しそうに叫んだ。
「はい」
実花は返事をすると、ぐんと身体が持ち上がる。
「ぬらあああっ!!」
ゴーガは渾身の力を振り絞り、剣で実花を投擲した。
眼下でひしめき合っている兵士達が、空を飛ぶ実花に目を白黒させる。
さらにレゾッテが魔法で風を発生させて、実花の背中を押した。ぐん、と加速する。
「ホルト」
呟き、実花は魔法を発動させる。魔力で出来た壁が実花の周囲を取り囲んだ。
一番近くにいた空中にいる魔人の一人が慌てて近寄り、手に持っている槍で突く。だが魔法の壁で弾かれ、その上実花の勢いは少しも衰えを見せない。
そのまま実花は敵陣へ突き進む。
魔人はあまりの出来事に驚いたのか。あるいは危険だと思わなかったのか。ただ見上げるだけで、誰一人として逃げようとしない。
そして、魔人達が密集している中へ、実花は落下した。
何かが潰れる音と共に、多量の赤くどろりとした液体が飛散する。数人の魔人が、呆気なく潰れてしまったのである。
何が起きたのか魔人達はすぐに理解できなかった。愕然としたまま、実花と、かつて仲間だった肉塊と骨を見つめている。
実花は実花で、そのまま立ち惚けている。魔人達が恐怖で引きつった顔を、肉が潰れていく過程を、骨が砕け散る瞬間を、血が飛び散る所を、その一部始終を見てしまった。
再び、喉の奥から酸っぱい物が込み上がって来た。今度はそれを飲み込む事は出来なかった。
げえ、と思わず吐いた。
息を吐きながら、口元を拭う。また汚しちゃったな、と胸の中で呟く。
魔人であれ、殺すのは怖い事だ。嫌な事だ。不快感しか無い。みんな平気で殺して、沢山の人が、魔人がそれを楽しんでいたりする。みんな狂ってると思う。
それはそうだろう。平常な心でこんな事はやっていられない。狂うしか無い。
お兄ちゃんと再会するためには、狂うしか無いんだ。
実花は剣を引き抜いた。
「グスト」
と呟いて魔法を解除。
未だ呆然としている魔人の一人に駆け寄って、一閃。魔人の首が引き裂かれて、血がばっと吹き出した。
「うわああああああああああああああっ!」
雄叫びを上げながら、実花は次の魔人を斬る。
お兄ちゃんと会う。ただ、そのために。
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