綿貫家

 校舎を出ると、見慣れた黒塗りの高級車が敷地内に乗り入れていた。後部座席のドアを開けて中へ入る。

「どうだった?高校生活最初の日は」

 運転席で座って私を待っていた佐藤が、ルームミラーを見ながら訊ねてきた。

「うぅんとねえ、みんなとわいわいできてぇ、滅茶苦茶楽しかったよ☆」

 片時たりとも油断はできない。私は常にキャラクターを維持しなければならないのだ。珍妙な部活に刺激されて内心穏やかではないが、それを表に出すわけにはいかない。

「そう。それは良かったわ」

 佐藤はそれだけ言うと、車をスタートさせた。この車がどのくらい高い車なのかは知らないが、少なくとも周りに停めてある先生たちの車とは比にならないことは分かっている。この高級車も私のキャラクターによる収入で買ったのだと思うと、あまりいい気分ではなかった。

 私が稼がなくても、父の給料だけで普通の車なんかはいくらでも買えただろうし、どこへ進学しても学費を払える程度の金はあったはずだ。私は働かないでそっちの生活を送ってた方が良かった。

 車は国道を少し山の方に登って、脇道に入る。新興住宅街を抜け、森と住宅地の狭間にある、我が家ながら巨大な邸宅だ。

 2m以上ある塀が周囲を囲い、入り口には重厚な黒い門がある。私の乗る車が来るのを検知すると、門は自動で開き、車はそのまま中へ乗り入れる。入ってすぐにちょっとした庭園があり、西を上にした二階建てのコの字型の建物の中心のロータリーで車は止まった。

 土地は120坪、部屋の数は正確に数えたことがないが、大きめの部屋が10部屋以上はある。さらに地下には私の歌の練習に、とスタジオまである。

 3人家族――世話係の佐藤含め4人――で住むには広すぎて虚しくなるレベルの家も、やはり私のキャラクターの賜なのだと思うと、とにかくやるせない。私はこんな豪邸には住みたくはなかった。

 ロータリーの目の前、コの字の家の北側の棟に入り、大理石の敷き詰められた玄関ホールを抜け、左の廊下を進む。ちなみに玄関ホールの目の前の扉の奥はウォークインクローゼットになっていて、私のこれまでの衣装が所狭しと並んでいる。基本的にテレビやライブなどで二度同じ服を着たことがない。

 コの字の西棟の一階が食事などをする40畳のダイニングキッチンになっている。母親は看護士をしていて、出勤日は夕方から夜にかけていない。IT企業に勤める父親も、監督者の立場であり、帰りが遅くなることもしばしばだ。そういう時はこのだだっ広い家に佐藤と二人だけになる。

「今日は何作る?カレーにしようかしら」

「カレー!?やったぁ!明日香カレーだぁい好き!」

「そ、じゃあそれで決まりね」

 もちろん、カレーなんてそんなに好きなわけでもない。普通だ。こういう場合はYESにしろNOにしろ早く答えた方が相手は心地よく感じるものだ。

 私は大袈裟にスキップをしながらテレビ前のソファに行き、テレビを点けた。見るのは基本的に私の出ている番組のみ。私の出ている番組を見ることで、私は親と佐藤からは勉強熱心だと思われている。本当は基本聞き流している。

 佐藤は親があまり帰ってこない代わりに私の面倒を見ている。実際、やろうと思えば料理だってなんだって自分でできるのだが、何せ私のキャラクターは「アホっぽい」というイメージなので、それに従ってアホを演じていなければならない。

「先にシャワー浴びちゃった方がいいんじゃない?」

「わっかりましたぁ☆」

 出演番組を一通り見たところで、シャワーを浴びに廊下へ出てすぐ左のお風呂場へ向かった。ここでも、佐藤がご丁寧に私の着替えを用意し、畳んである。

 朝も同じように、お越しにきた際にベッド横に置いていく。仕事がある時はもちろん、普通に出掛ける時でさえ、私の服を選ぶのはほぼ佐藤だ。お陰で、下着は白無地のもの以外身に付けたことがない。

 シャワーを浴び終えてダイニングに戻ると、ガラスのテーブルにカレーと諸々が置かれていた。二人分だからそこまで多くはない。私はテレビをつけてから食卓についた。

 食事中に見るのは基本的にニュースだ。バラエティなどは色んな番組に出過ぎて正直飽きてきた感じがあり、家にいるときぐらいはそこから離れたい。北朝鮮のミサイルがどう、とか、通り魔がどう、とか、暗いニュースでも気分転換にはなる。

 その時、たまたま自殺特集が始まった。毎年二万人が自殺し、その内訳は学生と新入社員が占めるそうだ。今まさに自殺しようとしている身だが、それを聞くと自殺は意外と身近であるのだな、と感じる。

 佐藤はそれを見て「可哀想ね」と言った。他人ごとだ。もちろんそんな佐藤は私が自殺しようとしていることなど知る由もない。佐藤にとって自殺など遠い世界での話なのだ。佐藤にとって私は無邪気で天真爛漫な、自殺とはかけ離れた存在なのだ。

「ご飯食べて歯磨いたらすぐに寝なさいよ」

「はぁい」

 煩わしいお小言に笑顔で返事をしつつ、空虚な時間は確実に過ぎていく……。


 この日も朝のニュースのために、6時前にスタジオにきていた。入学者説明会のときに入学早々英単語テストがあると言われたので、私はスタジオに単語帳を持ち込んでいた。

 本番数分前。テストで落ちたりすると面倒ではあるので、単語帳に目を通していると、MCのおっさんが覗きこんできた。

「お?もしかして勉強してるの?いやぁ偉いねえ。こんな隙間の時間にやるなんて」

「そうですかぁ?ありがとうございますぅ!」

 勉強中に喋りかけられたのでは集中力が散る。しかし、「うるせえ」と一喝するわけにもいかないので、笑顔でお礼を言うしかない。

「でもしかしあれだね、なんかイメージと違うね」

 おっさんのその言葉に反応して、一瞬顔が真顔になりそうになった。

「明日香ちゃん、アホの子ってイメージだから、なんか勉強熱心なのは意外だよ」

 私はそいつの顔面を殴りたい衝動に駆られた。私にはイメージのせいで勉強する自由すらないのか。

 しかもおっさんはアナウンサーやスタッフに「明日香ちゃん勉強してるよ」と言って回る。ふざけるなこのクソジジイ。私にとっては一番最悪な反応だ。

 クソジジイに言われたヤツらはみんな私を見て「意外だな」「意外です」と口々に言ってくる。心から殺意が芽生えた。アナウンサーもスタッフもコメンテーターも、みんなみんな殺してやる。私の自由をこれ以上縛るな!

 ……ああ、早く自殺しよう。このままでは本当にこいつらを殺しかねない。早く死んで、イメージから解放されよう。

 自殺部でいい自殺案が出てくるかは分からない。でも、仮に自殺案が整わなくても私は死んでやる。もう待てない。反対されようと、誰に何を言われても死んでやる。

 もう限界だ。私を縛り付けていた全ての人間を恨み、呪い、死んでやる。一生私に怯えるがいい。それが私なりのけじめだ。

 後悔したってもう遅い。アイドル綿貫明日香は死ぬのだ。そして、一般人綿貫明日香も死ぬのだ。全てはお前らのせいで。

「本番五秒前!4、3……」

「おはようございます!みなさん朝六時半ですよぉ!明日香が朝をお伝えしまぁす!」

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