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 二台の二輪車は、ぐるぐると球体の内側の壁を全速力で走り抜け、お互いほんの少しの隙を見つけて相手を叩き付けようとしていた。

 決闘の光景は、まるで優雅な舞を踊っているようだった。だが、一瞬でも油断すれば、忽ち最後であるということは、世之介には厭になるほど、判りきっていた。

 二輪車の動力音が、低く、高回転の唸りを上げるだけで、車輪が内側の壁を噛む、微かな雑音だけが聞こえる。あとは物凄い速度で走り抜けるための風切り音だけが、世之介の聞こえる総てであった。

 いきなり風祭が二輪車の向きを変え、真っ直ぐに世之介に向かってくる。世之介はぎりぎりで躱すつもりであった。

 が、風祭はぐっと片足を上げ、何と蹴りを入れてきた! どすん! と風祭の蹴り上げた足が、世之介の二輪車の車体を横に揺らす。ざざっと後輪が滑る。

 世之介は危なく横倒しになるところを、全身の力で押さえつける。

 ちっ、と風祭が残念そうな表情を浮かべる。

 世之介の顔に、汗が噴き出す。危ないところだった! もし二輪車が、天井近くを走行していたら、そのまま落下して、世之介は下敷きになっていた。

 くそっ! それじゃ、こっちからだ!

 世之介は梶棒を一杯に廻すと、わざと明後日の方向を目指し、二輪車を発進させる。風祭は予想外の世之介の動きに戸惑いを隠せない。

 世之介の二輪車が、球体の内側の壁を駆け登る。天井近くまで達し、世之介は唐突に梶棒を緩めた。

 すとん、と二輪車の駆動音が静まる。世之介は力一杯ぐいっと、把手を手前に引く。くるりと二輪車は半回転し、二つの車輪を下にして、そのまま勢い良く落下した。

 落下したその位置には、風祭の二輪車がある。風祭はポカンと顎を開け、落下する世之介の二輪車を見上げている。両目が、節穴になっていた。

 ぐわんっ! 世之介の二輪車の車体が、まともに風祭を下敷きにする。

 やったか?

 一瞬、勝利を確信した世之介であったが、風祭は戦闘用賽博格である。「うぬぬっ!」と叫び声を上げた。

 風祭は、なんと世之介の二輪車を両肩に担ぎ上げ、そのまま放り投げる。がちゃん! と世之介の二輪車は球体の内側に激突して、横倒しになる。

 が、すでに世之介は二輪車を空中で蹴り飛ばし、その勢いのまま飛び上がっていた。

 両膝を抱え、全身を鞠のようにして世之介はくるりと回転すると、足を下にして着地した。

 ちら、と世之介は自分の二輪車を見た。放り投げられ、内側の壁に激突した衝撃で、どこかが破損したのか、薄く煙が漂っていた。

 風祭の二輪車も同じようにお釈迦になっていた。世之介の二輪車の落下で、完全にぺしゃんこになっていた。

 球体の床で、世之介と風祭は睨みあった。

「どうするんだ。二輪車は、駄目になっちまったぜ」

 世之介の問い掛けに、風祭はひくひくと唇の端を震わせるだけだった。学帽の庇の下の両目が、青白い炎のような憎悪の光を放っている。


 ぶーん……。


 風祭の全身が細かく震え出した。

 はっ、と世之介は身構えた。

 あれは……! 風祭は加速状態に入ろうとしている!

 しゅんっ! と微かな空気を切り裂く音がして、風祭の全身が世之介の視界から消え去った。

 瞬間、世之介のガクランも対応を開始している。世之介の感覚が引き伸ばされ、全身の神経が加速される。筋肉が新たな相に変化し、世之介の人格は一変した。

 世之介は加速された時間の中で、風祭の姿を目にしていた。

 風祭はすでに空中に飛び上がり、天井近くの壁にまで達していた。壁に接触する寸前、くるりと身体を回転させ、両足を壁に逆さに押し付ける。そのまま両膝をぐっと踏ん張り、自分の身体を弾き飛ばす。

 速度は音速を超えているだろう。それが証拠に、風祭の頭部に、衝撃波による圧縮された空気の揺らぎが見えている。

 風祭はまっしぐらに世之介を目掛け、自分の身体を送り込むつもりらしい。まともにぶつかれば、酷いことになるのは確実だ。

 世之介は両足を踏ん張り、身体をほぼ横倒しにして飛び出した。ガクランはすでに加速状態に入った世之介の生身の身体を保護するため、装甲形状をとっている。

 爪先を球体の籠の目に引っ掛け、ぐいぐいと内側を登っていった。

 風祭は頭から世之介のいた位置に突っ込んでいた。物凄い衝撃に、球体の金属の網の目がぐにゃりと拉げる。巨大な砲弾が、まともにめり込んだようなものだろう。球体がずしん、と揺れ、大きく上下左右に揺すぶられる。

 風祭は、ぐいっとめり込んだ網の目から頭を引き抜くと、呆気に取られた表情で、内側の天井近くによじ登っている世之介を見上げた。

「てめえも賽博格なのかっ?」

 風祭の声は、超高速に圧縮され、やや甲高く聞こえた。世之介は、かぶりを振った。

「違う! このガクランのせいだ。このガクランは、俺をお前たち賽博格と対等に戦えるよう、変えてくれるんだ」

 風祭の両目が考え込むかのように細くなった。

「成る程な……。それで〝伝説のガクラン〟か! しかし、俺は本物の賽博格だ!」

 叫ぶと、再びぐっと両膝に力を込め、床を蹴って飛び上がる。

 世之介もぶら下がった体勢から、ぐっと懸垂の要領で身体を引き上げた。球体の天井を蹴って飛び出す。

 超音速での衝撃に堪えられるのだろうか……。ちらりと、そんな考えが頭を掠めた。だが、すでに世之介の身体は、空中にあった。

 ガクランの襟がするすると伸び、世之介の頭部全体を包み込む。両目のところに内側に投影窓ディスプレイが開き、世之介の全身は完全に保護される態勢となった。

 窓に映し出された風祭の顔が、ぐーっと接近してくる。世之介は歯を食い縛った。


 ぐわんっ!


 物凄い衝撃が、頭の天辺から足の爪先まで貫く。ガクランは世之介の身体を守るため、金剛石ダイヤモンドよりも硬く強張り、激突の衝撃を受け止めた。

 しかし、加速度は風祭のほうが上回り、体重も世之介の三倍はあった。空中で世之介は風祭に弾き飛ばされた。内側の壁に叩き付けられる。世之介はくらくらとなって、ぼうっと意識が霞むのを感じていた。

 世之介は顔を上げた。ゆらり、と風祭が立ち上がり、のしのしと大股で近づいてくるのを認めた。

 風祭の顔に、勝利の喜びが浮かんでいた。

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