第98話 閉鎖病棟

 僕は、閉鎖病棟と呼ばれるエリアに入院していた。外に出られず、屋上で外の空気を吸った。


 有刺鉄線が張り巡らせてある。自殺防止の為だろう。


 矢野という男とよく喋った。矢野は自称パイロットだ。早く治療してフライトしたい。勤めているのは日本航空だと言った。


 しかし矢野は、どう見てもおかしい人だ。最初、本当にパイロットだと信じた僕がバカだった。


 精神病院に入院して、状態の悪い患者に共通するのは、肌が少し黒ずんでいる点だ。日焼けの黒さとは違う。薬のせいも有るのか、焦点も合わず無表情で、話しかけても支離滅裂で会話が成り立たない。


 矢野もその一人だ。パイロットも嘘だろう。


 矢野は同じエリアにいる、太った女性に付きまとわれていた。


 「私のお腹には矢野君の子供がいるの。絶対に産むから認知してよ。退院して一緒に暮らすのが私の夢なの」


 そう言う女性に矢野は「うるさい!黙れ!」と振り払っていた。


 女性の訴えと、矢野の態度を見て肉体関係があるのではと思った。でも本当に妊娠していて閉鎖病棟にいるだろうか?まあ僕には関係無い事だ。


 部屋で、何度も煙草が盗まれていた。知らない顔の男が、僕のいる部屋に入り込んでいた。


 「お前だろ俺の煙草を盗むのは!」


 看護師に伝え、調べて貰ったらたくさんの煙草が出て来た。多くの患者から煙草を盗み、売り歩いていたのだ。隔離室に入れられたようで顔を見なくなった。


 僕の隣にいるベッドの男も不気味だった。大学ノートに、意味不明の数式を書いてはニヤニヤ、書いてはニヤニヤの繰り返し。確かに狂っていた。


 食事はとても美味しかった。厨房のカウンターに作りたてを出している。列に並び食事をもらう。僕はいつも、ご飯を大盛にしてもらい談話室で食べた。


 薬をキチンと飲まなければ退院出来ないと言われ、僕はそれに従った。早く退院したくて、毎日おとなしく過ごした。夜中に騒ぎ出す患者もいたが、我慢するしかなかった。


 入院生活は、退屈との闘いだった。朝起きて、検温をして朝食を食べて薬を飲む。昼食を食べて薬を飲む。夕食を食べて薬を飲む。寝る前に薬をのむ。これが毎日淡々と行われた。


 セミナーのメンバーと、公衆電話で連絡を取っていた。僕は正直に、精神病院に入院した事を伝え、セカンドステージに参加出来ない事を話した。メンバーは「残念です、お大事に」と言い、電話を切った。二度とこのメンバー達に再会することは無かった。


 病院内では、毎日の様にどこかで言い争いが絶えなかった。物がなくなったとか、悪口を言われるとか、くだらない事で喧嘩していた。


 一日がとても長く感じて夕方、日の出屋が暇になる頃合いを見て、毎日の様に松木に電話した。病院は暇だし早く退院したいと訴えた。


 兄に毎日松木に電話しているのがバレ、いい加減にしろと怒られた。

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