第29話 永劫の彼方に消えて……
目を閉じれば今も記憶が蘇る、まるでついさっきあった出来事のように。
その日、5歳の誕生日を迎えた日の夜、アタシは両親に連れられ別荘に向かっていた。その近くにあるオアシスで父は車を止め、南の空を指差したんだ。
「ご覧、レイラー」
目に飛び込んだものに、アタシは心を奪われてしまった。だって、あんなもの見たことがない。想像を絶するとはこのことだよ。
「わぁぁ……」
アタシは車から降りて、駆けだした。まるで“それ”に追いつこうとでもするかのように。
「ほうき星だ!」
夜空を切り裂くみたいに走る巨大な光の尾。それは蒼白いものとオレンジ色のものの2つに分かれていた。ほうき星、若しくは彗星だ。
それは天の川みたいに“静か”で“穏やか”なものじゃない。激しさすら感じさせる光の粒子が尾として伸びていて、それが空を切り裂くような印象を与えていた。夜空に描かれるその姿はこの上ない美麗として感じられ、それがアタシの心に深い感動を与えていたんだ。
「
最高の誕生日プレゼントだった。アタシは両親に心から感謝した。
「レイラー、あんまり遠くに行っちゃダメよー」
「ああ、いいなぁ。アタシもあんな風に夜空を駆け回りたいなぁ……」
心の底から思ったんだ。星とか宇宙とか、好きだったけど、別けても彗星は格別だった。だって遥か彼方からやって来て、鮮やかな光の尾を伸ばして夜空を彩るんだよ? そしてまた遠い宇宙のどこかに旅立つんだ。何年も何十年も、彗星によっては100年、1000年単位で巡って来るんだ。人間の寿命なんか遥かに超えて宇宙を旅する存在に、アタシは惹かれたんだ。
ああ……彗星になりたい、宇宙を旅したい……
それはどんなに魅惑に満ちた冒険の旅になるんだろう? 子供のアタシはただひたすら憧れたんだ。この地上から飛び上がって、遥かな天上の世界を自由自在に飛び回りたい! あの星に乗って、思う存分に宇宙を旅したい――と。
「おーい、レイラー! そろそろ行くぞー!」
「お腹すいたでしょー。別荘に行って、ご飯にしましょー」
両親が叫んでいた。いつまでも戻って来ないので業を煮やしたのかな? 確かにお腹もすいていたので、そろそろ戻ろうかなと思って引き返そうとした時――――
突如として閃光が炸裂した。灼熱の暴風が一気に叩きつけてきて、アタシは吹き飛ばされてしまった。それで意識が飛びかけたんだけど……
「うう……
朦朧としてまともにものも見られなくなっていたけど、かろうじて視界の中に炎上する車が確認できた。それが何を意味するのか……でも、もう……何も考えられなくなっていた。ただ、目に燃え上がる炎を捉えるだけだった。遠くの方で銃声が盛んに木霊している。戦闘が起きているのだろうか?
「ははっ、やったぞ! 遂に始末したぞ、独裁者め!」
炎の向こうから何人もの人影が現れて来るのが見えた。彼らは口々に何やら叫んでいたけど……“独裁者”? 何を言っているのだろう?
「おいっ、こっちにガキが転がってるぞ!」
不意にかなり近くから声が聞こえてきた。直ぐ近くまで誰かが近寄っていたらしい。アタシはその人物に目を向けようとしたけど、身体どころか、頭だけでもまともに動かせなくなっていた、痺れてしまっていたんだ。それで顔を見ることはできなかった。声から大人の男だろうとは分かったけど。
「娘だな。奴らの一人娘だぞ、それ」
別の声が聞こえてきた。そして足音が幾つも。何人かがアタシの方に歩いてきたらしい。
「――てことは何だ? “ノスラティー王家”直系の一粒種ってわけか?」
いきなり目の前に大きな足が現れた。顔のかなり近くを激しく踏みつけてきたので土が顔に叩きつけられた。痛かった……
「おい、こいつどうする? 俺たちの任務は王家の抹殺だよな? 娘ってことなら、こいつもターゲットになるよな?」
両脇に手が差し込まれ、抱え起こされた。それでアタシを取り囲む男たちが目に入った。一目で分かった。この男たちは反政府武装勢力の戦闘員だ。5歳の子供でもその知識はあった、教えられていたので。アタシの両親が統治する王国に反対する勢力の者たちだ。つまり両親は彼らが起こした爆破テロで殺された?
「う、あ……ああっ……」
怒りが沸き起こった。だが身体には力が入らなかった。
「おい、見なよ。こいつ、俺らを睨みつけてるぜ?」
男の1人が思い切り嘲るような口調で言った。
「へへっ、親を殺されて憎いってか?」
別の男の台詞、彼は同時にアタシの額に小銃を突きつけてきた。
「だがなぁ、俺たちの憎悪は比較にならんぞ。そんで、お前らを憎んでいる奴はこの国にごまんといるんだぜ? 1人2人のレベルじゃねぇぞ、何万、何十万、何百万って連中がお前ら王家を憎みまくってんだ!」
男は左手を小銃から離してアタシの服の襟を掴んで引っ張った。首を絞められ息ができなくなった。
「うっ、ふぅっ……」
苦しむアタシ、けど男は力を緩めるむことはなく寧ろ込めてきた。
「苦しいか? だが俺たちは今のてめぇの何倍も苦しめられてきたんだ! この恨み、一度や二度殺すだけじゃ収まらねぇレベルだぞ!」
突如お腹に重い衝撃が走った。男が小銃の柄をアタシのお腹に打ち付けたんだ。かなり力が入っていたらしい、たちどころに吐きそうになった。大人の男がわずか5歳の子供に何の容赦もなくこんな暴力を振るうとは……怒りを通り越して混乱を極めた。
憎むって何? アタシたちが何をしたっていうの……?
アタシはもがく、少し身体が反応した。
「無駄だ、助けは来ないぜ? 分かるだろ、銃声が途絶えたのが? 今しがた、一緒に来ていた警護兵どもの始末も完了したのさ」
耳を盛んにトントンさせて、通信端末のインカムを指している。仲間から連絡があったらしい。そして彼は再び小銃を構え直し、引き金に指をかけた。
「もういい、てめぇも親の後を追え!」
殺される! アタシは直感した。けど身体は十分に動かない、痺れは取れていない。
「あばよ、ガキ。恨むのなら、てめぇの生まれた家を恨むんだな!」
家って何よ? アタシの家が何なの? アタシたちが何をしたっていうのよ?
分らなかった。丸っきり理解できなかった。当時のアタシ、5歳の幼児はロクに何も知らされていなかったの。アタシの家が何をしてきたのか、全然知らない。反政府勢力が存在していて国内の治安に問題が出ているということは知らされていたけど、そこまで。こうした存在が現れた原因については教えられていなかった。何らかの対立があっただろうと想像はしたけど、やっぱり分らなかった。
ただ、自分に向けられる憎悪が本物だということ、もう生きる望みが何もないってことだけは理解できた。
「まぁ待てよ」
小銃の銃身に誰かの手がかけられるのが見えた。別の男が進んできて発砲を制したらしい、こめかみに肉が大きく抉れたような火傷の痕がある男だった。顔立ちのつくりが他の男たちとは異なっている。どうも人種が違うみたい。東の方の民族らしいのは分かったが、そこまでだった。
「何だ、邪魔しようってのか?」
男はそれでも撃ちたいらしい。引き金にかけた指は離していない。銃身に手を置いた男が彼に寄り添うように身体を近づけ、こう言った。
「このガキ、なかなかの上物だぜ? 味わいたいとか思わねぇか?」
ニタリと笑った。それは怖気の走ることこの上ない悍ましい笑いだった。
「はぁ? 何言ってんだ? こんな幼児、“役立つ”わけねぇだろ? お前、一発でぶっ壊れるに決まっとるぞ!」
すると火傷の痕のある男は人差し指を立てて「チチチ」と言った。
「そこはそれ、やりようよ。こんくらいのガキでも仕込めば、極上の玩具に仕立て上げられるぜ」
再びニタリと笑う。蛭のような印象のある笑い方だ。
「ケッ、“そっち”の趣味か! ロクなもんじゃねぇな!」
小銃を構えていた男は銃口を下ろしてアタシから離れていった。変わって火傷の痕がある男がアタシに近づく。怖気がいや増しに増す。
「おめぇらもいいよな? こいつは俺が貰うぜ」
彼はアタシを抱えていた背後の2人の男たちに話しかけた。
「へっ、ホントいい趣味してんな、お前」
突如突き飛ばされた。アタシは火傷の痕のある男の腕の中に飛び込んでしまった。
「くくっ、ようこそ。これからタンマリ可愛がってやるぜ」
「ぐっ、うん……んン……」
腕をまわして身体を抱えられ、口も押えられてしまった。そしてその凄惨とも言える顔を近づけてきて、悍ましい言葉を吐きかけてきた。
「これから日がな一日、その身体を味わい尽くしてやるぜ。なぁに、そのうち慣れるって。そんでお前さんも尻尾振って俺さまを求めるようになるぜ!」
「ようアンドウダイチ、日本人ってのはみんなそうなんか? 何だか幻滅だなぁ。俺たちぁ、お前らのこと結構尊敬してたんだぜ?」
立ち去っていく他の男たちの言葉、やはりこの火傷の痕のある男は彼らとは違うらしい。この国の者ではない? 何でここにいるの? ダイチ――とか言ってたけど、彼の名?
「へっ、てめぇらだって色々やってンじゃねーかよ!」
そう言いつつ、彼はアタシの服の中に手を入れてきた。怖気が頂点に達する。
「ふぐぅ――っ! ぐっ! ふぐぅぅ――――っ!」
とても耐えられない。意味は分からなかったが、本能は理解していた。これからアタシはとことん汚されるんだ!
「くくっ、教えてやるぜ。この世がいかに理不尽なのか、力がないってことがどんなに惨めなものなのか、〈
男の指がアタシの――――!
意識が廻り現実を消し去ろうとする。ただ、目は“それ”を捉える。
夜空を駆ける彗星の美麗は変わらない。地上で何が起きようと、それは変わらず輝くのみ。
アタシはあれに乗るんだ。そして、この地獄から逃れるんだ――――
『そうだよ、星の船なんだ。アタシはそれに乗って宇宙を駆けていくんだ……』
『は? おい、レイラー? お前、何ブツブツ言ってんだ?』
切り裂くような風の音は自由落下の証、成層圏の高空よりダイブした彼らはまっしぐらに地上へ向けて堕ち続けている。サーフボードのような形をしたウェーブライダーには滑空機能がある。だがこの時点ではその機能はあまり表に出さず、先端を深い角度で地上に向けて、自由落下を継続させている。
〈地上まで1万mを割りました〉
『あ、何だあの光? ミサイル攻撃は終わったんじゃねーか?』
ハサンが応える。
『あれは戦車大隊による砲撃だ。俺たちの降下が完了するまで注意を引き付ける意味もあるな』
『そうか? あんまり意味なさそうに思えるがな。電磁擾乱の真っただ中だからマーカーも効かねぇだろうし、誤爆とかゾッとしねぇぞ』
『タイムスケジュールに沿った砲撃だ。俺たちが地上に迫る時点で砲撃は一旦中断になるはずだ。降下完了後に再開されるだろうがな』
ここでベルジェンニコフが会話に参加した。
『擾乱はほんの数分で終了する。我々の降下完了時点くらいだ。その後はマーカーが届くはずだから誤爆は回避される……と思う』
モランは苦笑いを浮かべる。
『“と思う”――とか、心細いぜ』
するとツピッという注意喚起音が鳴った。モランは何事かと思い、緊迫した。
『モラン・ウフルくん、ちょっといいかな?』
網膜上情報表示ウィンドウにベルジェンニコフの顔が映し出された。その右下の表示を見て、モランは驚いた。
――秘匿回線? 個別に、俺だけに?
『三佐、これはいったい……』
モランはいつになく警戒心を露わにして応えた。
『いや、ノスラティーくんのことだが……』
『レイラー? いや、何を言っているので?』
思いもよらぬ名が出てきたので、モランは困惑した。ここで何故レイラーの名が出るのか、意味が分からなかったのだ。しかも秘匿回線で? 因みにノスラティーというのはレイラーの姓になる。
『彼女の様子がおかしいのには気づいているね?』
モランは
しかし――――
『そうだな、ちと神経症が出ちまっている
ベルジェンニコフの顔が画面左上に再び表示された、今度は小さく。彼女は頷き、口を開く。
『確実にね。戦闘ストレス反応がここに来て強く表に出てしまっている』
戦闘ストレス反応とは戦闘時に兵士が受ける様々なストレスによって現れる非物質的な反応を指す。戦争神経症、戦争後遺症とも言う。
『こんなものは俺たち全てが抱えているもんだがな。現れるっつーたって、ンなもん当たり前だろうとは言いたいが……』
『だが明らかに戦闘に支障が出かねない反応が表に出てきている。見たまえ、ブツブツ言っているし、意識が現実から遊離しかけているところもある。日頃のストレスケアの効果も消えている』
ストレスケアは彼ら兵士が日常的に受けるのを義務化されている精神セラピーのこと。特に戦闘任務の後は入念なケアが求められている。
『あんなもん、何の役にも立たねぇな。現場に立つ者としちゃ、邪魔にすらなるね』
『そうだね。結局我々は自分で何とか折り合いをつけるしかない。生き残り続ける兵士はその辺が上手くできる者たちなのだが、そんな彼らでも今の彼女のように折れてしまうこともある』
隊内共通回線を通して、今もレイラーの呟きは聞こえてきている。星が、星が――と盛んに繰り返していた。
『星? 彗星のことか? どうもあれを見てからおかしくなっているな』
『うむ、確かにあれが何らかの引き金になったと思われるね』
『全くよぉ、よりによって今か? ここに来てこれはちと勘弁願いたいぜ、と言いたいな』
ベルジェンニコフは苦笑いを浮かべ、首を振った。そんな彼女の反応がモランには障った。
『何か? ああいう神経症が1人でも現れたら、隊全体の危機にもなりかねないんだぜ? 言いたくなるのも当然だと思うけど?』
『その通りだが、だからこそ君に頼みたいのだ』
モランは右の眉を上げる。怪訝に思う意識が表情に現れたのだ。
『君は彼女と特に親しいだろう? 短い期間だが、君らのやり取りを見ていて理解していたよ』
『“特に”って、そんな特別なものは――』
ベルジェンニコフの言い方にモランは抗議したくなった。だが彼の言葉は阻まれる。
『それはいい、ともかく君は彼女の強い支えになると思うのだ』
モランは困惑する。支えとか、何だ?
『だからね、戦闘時には彼女から決して目を離さないでほしい。そしてできる限りでいい、彼女を守ってやってくれ』
『う、でも……今回の敵はかなり難敵っぽいし、正直他人を庇う余裕とかは……』
モランの言葉は歯切れが悪い。
『できる限りでいいよ。これは命令ではない、要望だと思ってくれ』
そう言って彼女は秘匿回線を閉じた。
――何だよ、言うだけ言っといて……
モランは下方を先行して降下するベルジェンニコフの
――しかしまぁ何だな。個別に部下の心配するとか、前任者とはエライ違いだな。
苦笑いを浮かべ、続いて
――とは言え、どいつもこいつも他人を庇う余裕は大してないだろうな。へっ、俺にお鉢が回るのも当然かな。
モランはベルジェンニコフの要望を受け入れることにした。
〈高度3000、雲海に突入します〉
その直後、可視視界は厚い雲に覆われた。地上まで3000mを切ったのだ。間もなく地上だ。
――いよいよ殺し合いの本番だ。俺自身、狂っちまうかもしれんな!
或いは既に狂っているのかもしれない――などと思考するが、それは直ぐに終わる。雲海を抜けた直後、分隊は激しい砲撃に晒されたのだ。
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