第19話 顛末と予感

 特に何の調度品らしいものも見られない殺風景な室内、真ん中に簡素な事務机が1つ、その机を挟んで2人の男が対面していた。

 1人が懐から何かを取り出し、机の上に置いた。すぐさまそれは何らかの動作を開始、レンズのようなものが展開され発光を始める。そして球形の立体映像スクリーンが形成された。ポータブルのホログラムスクリーン投影機のようだ。スクリーンには1人の女の顔が映し出される。ウェーブがかった豊かな栗毛色の髪をハーフアップさせている20代前半と思われる女、碧がかった瞳が印象的だ。


「この女に見覚えがあるな?」


 投影機を出した男が問いかける。全身黒づくめの喪服みたいなスーツを着た男だ。


「……」


 対面する位置に座っていた丸顔の男は苦虫を潰したような顔になった。俯いて顔を見せないようにしているが、黒スーツの男には丸わかりだった。彼は苦笑している。


嘴旧門矩ハシモトユキノリ三尉、ここでは黙秘権などは認められんぞ!」


 その言葉が刺激となったのか、丸顔の男――嘴旧門矩ハシモトユキノリはビクッと全身を震わせた。


「そ……それは……」


 話したくないのか、彼の口は重かった。


「ん? どうもまだ自分の立場が分かっていないようだね? あなたは現在軍事機密漏洩の疑いを持たれ尋問を受けている。場合によっては国家反逆罪にも問われかねない重罪なのだよ?」


 黒スーツの男は目を細めてニヤリと笑った。彼は軍の情報機関の者、その権限に基づき嘴旧を尋問しているのだ。男の笑みが圧力になったのか、嘴旧は慌てて話し始めた。ただ、まだ口は重い。


「カンナ……」


 ボソリ、とその言葉だけを口にした。どうしても話したくないようだ。黒スーツの男――調査官と言っておこう――は溜息をつき、それから言葉を続けた。


「まぁいい。では私が説明しよう」


 彼は一息つき、傍らに準備されていた紙製ペットボトルに口をつけ、喉を潤した。それから改めて話を続けた。


「本名は硲那由他ハザマナユタ、フリーランスの情報屋で最近は〈ヴァンダル〉との契約を継続している。ま、本名と言ったがこれも偽名かもしれない。皇国での戸籍は確認できなかったので不明なのが実態だ」


 嘴旧は顔を上げ、間の抜けた驚きの顔を見せた。


「情報屋? ヴァンダルと協力?」


 調査官は黙って頷き、暫く置いて話を再開した。


「政府や行政機関の動向調査が主だが、それ以外にタカマノハラ内の社会状況の調査なども行っていたようだな。高級娼婦として活動し、関係者との接触を繰り返していた。もちろん自衛軍など軍事情報の収集も仕事になる。その関係であなたにも接触してきたのだな」


 そんな――という顔をする嘴旧。鳩が豆鉄砲を食ったよう――という表現があるが、この時の嘴旧にはそのまま当てはまる。


「娼婦としての人気はかなりのものだったらしいな? カンナというのは源氏名になるのか、他にジュンコとかアサヒなんて名乗っていたみたいだ。あなた以外にも自衛軍軍人や行政官僚、更に一部の政治家の中にも“顧客”がいたらしい、10人以上は確認されている。困ったものだ。タカマノハラ内でも売春行為は一部認められていて、それ自体は合法なのだが、こんなのは言語道断と言える。売春自体がどうかと個人的には思うのだがね」


 スクリーンのチャンネルが変えられた。硲と呼ばれた女の顔は消え、軍人や官僚たち――彼らが顧客になるのだろう――の顔が次々と映し出された。その中の1人を見て、嘴旧は更に驚きの表情を見せた。その反応を調査官は見逃さない。


「そう、あなたの弟――嘴旧亮悟ハシモトヨシノリ、財務省の官僚だ」


 嘴旧の顔には次第に怒りとも受け取れるものが表れ始めた。


「この弟さんの調査からあなたへと繋がったと言っておこう」


 いったいそれは――とでも言いたげな目をする嘴旧。思考を悟った調査官は説明を始める。


「硲は皇国の財政状況を探っていたみたいだ。その過程であなたの存在を知ったというわけだ」


 だから嘴旧門矩にも接近してきたのである。


「反政府勢力にとっては直接対峙する自衛軍の情報の方がより価値がある。上手い具合に自衛軍関係者のことを知ったのだから、利用しない手はないということだな。ヴァンダルから何らかの指令――というか、要請かな? それを受けた硲はあなたに接近して情報を探ったということだな」


 嘴旧は歯噛みした。


「くそっ……弟の女だったのか? 俺に優しくしたのは上っ面に過ぎなかったのか……」


 見る間に顔が紅潮してきた。怒り心頭といった風情だ。


「別にあなたに限ったものじゃないだろう? 娼婦をやっていたんだし、客なら誰に対してもいい顔していたんだろう。まぁ気持ちよくなれたんだし、良かったじゃないか――」


 グッ――と唸る嘴旧、怒りの目を調査官に向けるが、直ぐに目を逸らした。


「――などと言っていてる場合じゃないな。あなたは硲にベラベラと軍事情報を流したってことになる。そんなことが許されるとでも思うのか?」

「いや、そんなつもりは――」

「ふざけるな!」


 調査官はバン、と机を叩いた。反論しかけた嘴旧だが、口をつぐむしかなかった。


「寝物語だったのか? 色々と機密情報を話したみたいだな? せがまれて気前よく話したんだろう。全く話にならん! 典型的なハニートラップじゃないか! 特に今回の乗鞍イワドコンプレックス近辺に於ける軍事作戦情報は致命的だった」


 調査官は天を仰いで見せる。やたらと大仰な仕草だ。


「作戦を知ったヴァンダルはプロパガンダに利用する手を思いついたのだろう。結果は周知の通り、反政府勢力にとっては大成功ってトコだ。たぶん連中はお前さんに感謝しているのだろうよ。素晴らしいバカがいたお陰でホクホクだってな!」


 言葉遣いが少し乱暴になっていた。調査官はもう嘴旧をまともに扱う気はないらしい。彼は立ち上がり、顎を少ししゃくり上げた。文字通り見下すさま。


「話はここまでだ。最後は尋問というより嫌味大会になっちまったな。まぁいいだろうて。じゃあな。これでもう会うことはないぜ、二度とな」


 調査官はそのまま尋問室から出ていこうとしたが、ふと足を止めて――


「因みに“カンナ”ちゃんは雲隠れだ。もうこのタカマノハラ名古屋にはいないだろう。どこぞのナカツノクニか、もしかしたらヨミエリアのどこかに逃げ込んでいるな。追跡はほぼ不可能になる」


 一息つくが、まだ言いたいことがあったらしい。彼は話を続けた。


「弟くんも随分と財務省の内部機密を喋っていたらしいぜ。奴も処分されるだろう」


 彼は背中越しに嘴旧に目を向けた。その酷く冷たい目は彼をざわつかせるに十分なものだった。


「兄弟ともども“都落ち”は確実だろうて」


 フッ、と鼻笑いを残し、調査官は出ていった。いつまでも響く靴音を耳にしながら、嘴旧は悄然としていた。







 透き通るような青空、ややひんやりとした微風そよかぜは新緑の青葉を揺らし、瑞々しい香りを届ける。季節は初夏の頃合いを思わせる風情だ。

 そこは湖畔に造られたコテージのようなもの、緑あふれる環境の中にある。そのオープンテラスに何人もの人々が寛いでいた。その中にハサンたち強化装甲兵アーマーズ分隊の者たちの姿もある。


「ああ……信じられねぇ。これってドーム内の光景なんだよな? 全部人工的に造られてんのか?」


 モランだ。頬杖をつきながらコーヒーを飲んでいる。


「やめなさいよ、そのガラの悪い飲み方。お里が知れるってモンよ?」


 レイラーが呆れた顔をして話しかける。そう言う彼女は随分とお行儀よく座っていた。


「なぁ~にが? ガラ悪いのは当たり前だろ。てめぇこそ何上品ぶってンだよ? 全然サマになってねぇぞ。お上りさんのオママゴトって感じだ」

「お上りさん? オママゴト? 何ソレ? 何言ってくれてんの? アタシみたいな上流階級のご令嬢を捕まえて素っ頓狂なこと言わないでよ!」

「ご令嬢と来たもんだ。全く笑わせてくれるねぇ。ホント、ネタが尽きねぇ奴だよ」

「あームカつく。この筋肉ダルマはほんっとーにデリカシーってモンがないんだから!」


 などといつものやり取りを繰り返す2人は置いといて、ハサンは極めて真面目な顔をして目の前に座る金髪の男に話しかけた。


「フェルミ中佐、何故我々をこんなところに連れて来たのです? 我々はなるべく早く駐屯地に戻りたいのですが?」


 問われたフェルミは直ぐには応えず、周りに目を向けた。オープンテラスは広く、カフェテリアとして利用されているらしい。チラホラと利用者が見られるがその全てが小綺麗な装いを纏ったいかにも上品に者たちばかりだった。否が応でも軍服姿の彼ら分隊員たちは異彩を放つ。


「何、息抜きさ。タカマノハラ内なんて滅多に来られるものじゃないだろう? 思う存分堪能してもらいたいと思ってね。査問会は疲れただろう?」


 彼ら分隊員たちは査問会に呼ばれたのだが、そのための場所がタカマノハラ名古屋内だったのだ。それで彼らは訪れていたのだが、全ては終わり直ぐに帰るはずだった。だがフェルミが彼らを招待したのだ。


「少しねぎらおうかと思ってね。上層部に許可をもらったのだが、迷惑だったかな?」


 分隊員たちもそれぞれに周囲の光景を見回す。優しい気候のこの環境は成る程心地がいいものだと彼らは思った。本来なら労いにもなったのかもしれない。

 だが――――


「生きた心地がしねぇな。所詮は俺たちは異物。見ろよ、連中の目。ゴミでも見るような目ェしてやがるぜ」


 モランの言葉は吐き捨てるかのようだった。確かに何人もの人々が彼ら分隊員に視線を送っていた。それを感じて彼らが見返すと相手は目を逸らす、その繰り返しだった。


「いかにもだね。何でこんな奴らがここにいるんだ――て言いたそうだね」


 レイラーは溜息をついた。


「もしかして俺たちに思い知らせたいのかねぇ? 所詮はてめェらは穢多エタ、身の程をわきまえろってね!」


 モランの皮肉は留まるところを知らない。


「いい加減にしろ、モラン。中佐に失礼だぞ」


 ハサンはモランを睨みつけた。だがモランは「ヘイヘイ」と言うだけで、全然反省していないのは明白だった。


「まぁいいよ。この世界の真実を知る必要はあるからね」


 真実を知る? となると、モランの言う通りなのか? 分隊員たちの何人かは気色ばむのだが――――


「天上人というものがどんなものか? 我々を支配する階級の実態を知るのは将来のためにも役立つ。特に君たちのように“力”のある者たちにはね。そんな意味もあるね」


 ハサンは怪訝そうな顔をして問いかけた。


「将来のためですか? どんな将来なのです? それに“力”とは? 我々は末端の戦闘部隊です。武力はありますが、それが何ほどの意味を持つというのですか?」


 フェルミは微笑みを浮かべてハサンを真っ直ぐに見つめた。何となく居心地の悪さを感じてハサンは目を逸らせた。


「武力・戦闘力とかは関係ないよ。君たちの在り方――なのかな?」


 何を言っている? 皆もまた怪訝そうな顔をする。フェルミはその点に関して何も説明しなかった。


「へへっ、このお高い連中をどうにかできるのなら、“力”とやらも歓迎だねぇ」


 モランは相変わらず。太々ふてぶてしく同盟国の駐在武官に皮肉を並べている。


「あんたいい加減になさいって。もう十分懲罰ものだよ? せっかく無罪放免――なのかな?――査問会を切り抜けられたってのに……」


 レイラーは何度もモランを小突いた。


「モラン君だったかな?」


 フェルミは初めてモランに話しかけた。さて、とうとう怒られるのかな――皆は寧ろ期待すらして2人を見た。モランはやはり知ったことかという顔をしている。


「頭部にケガをしたはずだが見たところ何の後遺症もないみたいだね。外傷は完治しているみたいだし」


 モランはこの時、包帯も何もしていない。傷跡らしきものも一切見られず、これが2日前に砲弾並みの衝撃を喰らったばかりのものとは到底思えなかった。


「再生医療とナノ強化の結果ですよ。こんなの自衛軍では朝飯前。お陰で傷病休暇なんか取らせてもらえず、直ぐに勤務に就かにゃあならん――て結果ですよ」


 ハハ……乾いた笑いが一同の間に起きた。


「肉体の傷はともかく、心のそれは何とも言えないからね。十分なケアを受けるように」


 モランは何も応えず目を逸らすが、すると視界に玖劾クガイが入って来た。彼は一同の端に静かに座っていた。


「相変わらず誰ともつるもうともせず、1人黙っていやがる。全く何考えてるんだか……」


 モランの言葉は小声だったが、フェルミとハサンには聞こえた。彼らも玖劾に目を向けるが、それだけだった。


「そう言えば君たちも知りたいだろう?」


 フェルミのその言葉は唐突だった。


「何がです?」


 ハサンが代表するように訊いた。


「嘴旧三尉だがね、域外追放処分となったよ」


 一同の間にどよめきが走った。


「域外追放? つまり国籍を含めた諸権利の剥奪、財産その他諸々を没収されてタカマノハラから強制退去させられるってことですか?」


 うむ、と頷くフェルミ。


「ナカツノクニでの居住も認められないとのことだ。文字通り身ぐるみ剥がされて“外”に放り出されるってことだよ」


 皆は互いを見合う。何とも言えないって表情だ。

 軍事機密漏洩の罪は重い。場合に因っては国家反逆罪に問われかねず、最高刑は死刑となる。今回はそこまではいかなかったが、それでも域外追放の意味は重いものだ。


 温室育ちの天上人さまが弱肉強食を極める外の世界で生き抜ける確率は低い。嘴旧の辿る未来は火を見るよりも明らかだ。事実上、死刑判決と言える。


「どうしようもないクズだったし、ざまぁみやがれって言いたいが……こうなると、ちょっと可哀そうかな?」


 モランの言葉、奇妙なことに沈痛な顔をしている。


「意外だね。アンタなら高笑いするとか小躍りするかと思ったけど?」


 レイラーは心底本気で意外そうな顔をしている。


「ケッ、俺は死体に鞭打つようなマネは嫌いなんだよ」


 そうだね――レイラーは同意した。他の皆も同じように感じているみたいだ。


「さて、これから俺たちはどうなるのかな?」


 モランは青空に目を向ける。それは閉鎖環境都市のドーム天井に投影された立体映像であり本物ではない。だが外の世界で本物の青空というものを滅多に見ることのない彼にとっては愛おしさすら感じさせる光景だった。


「バカ上官のせいだったとは言え、虐殺の実行犯は俺たちだ。やっぱこのまま済むとは思えないな」


 嫌なこと言うなよ――そんな声が一同から浴びせられるが、然程強いものではなかった。何故ならば彼らも自覚していたからだ。


 殺したのは俺たち――必ずや因果応報があるだろう……

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