大統領には都市伝説が付き物です

 10月のバージニア州は暑過ぎず、寒過ぎず。

 湿度がぐーんと下がる日が続いて南部州特有の蒸し暑さも和らぐので、一年を通じて最も過ごしやすい時期となる。

 日中平均気温は70℉(=約21℃)。晴天の日、セントラル・ヒーティングのスイッチをOFFにして窓を開けておけば、心地よい風が流れ込んでくる。家の隅々まで冷暖房が行き渡るシステムは便利である反面、真夏などは「どこもかしこも寒過ぎて、身体がおかしくなる」という事態を引き起こす。冷房が大のニガテな私としては、自然の優しい風で涼む方が嬉しいし、何より、電気代の節約になる。

 ただし、朝夕の寒暖差が大きくなる時期でもあるので、夜中の急な冷え込みに備えて、就寝時に厚めの毛布を足元に置いておく必要がある。



 10月も半ばを過ぎた頃。電源を切っていたはずのセントラル・ヒーティングが、いつの間にかONになっていた。しかも、暖房に切り替わっている。

 間違いない、我が家の『セントラル・ヒーティング信奉者』の仕業だ。なので、早速、問い詰めることにした。


「ごめん! でも、寒過ぎて耐えられなかったんだ」

 オヤツを盗み食いする現場を押さえられた子犬のような表情を浮かべながら、相方は意外にも素直に白状した。Tシャツと半パンに素足という、真夏と全く変わりない格好のままで。


 ……そりゃ、寒いわね。

 

「暖房をONにする前に、寒いと思ったら靴下を履いて重ね着してって、いつもお願いしてるやん!」

「でも、寒い時のために暖房はあるんだよ? 余分な服を着たら、洗濯物が増えてキミの負担も増えるだろうし……」

「余計な気遣い無用! 現在の我が家の室内温度、73℉(=約22℃)! こんなん、寒いうちに入らへんし!」

「……この家、フロリダの冬より寒い」

「靴下を履けーっ!」


 バージニア州と同じく「温暖湿潤気候」に属する日本で生まれ育った私と、「亜熱帯気候」で一年中温暖なフロリダ州で生まれ育った相方とでは、冷房や暖房の設定温度に対する感じ方がまるで違うのもムリはない。とは言え、夏の間、冷房をガンガンかけて家の中を冷凍庫状態にする人が、何故なにゆえ、自然界の寒さにはこんなにも弱いのか?



 10月も下旬になると、早朝の最低気温が60℉(=15℃)を切り始めた。

 ついこの間まで、しなやかに伸びる枝を容赦なくたわませながら咲きこぼれていたハイビスカスの庭木が、朝霜を降らせるほどの冷え込みに耐えられなくなったようで、せっかく膨らんだつぼみほころぶことなく色せて、ぽとり、ぽとりと地面に落ち始めた。

「今年もたくさん可愛らしい花を楽しませてくれて、ありがとう。来年までゆっくり休もうね」

 そう声を掛けて、冬越しのための剪定せんていを済ませると、うだるような暑さが延々と続いていたバージニアの長い夏が、ようやく終わったと実感する。



 バージニアの秋はせわしなく駆け抜けていく。

 少しでも気温が下がれば、「さっさと着替えないと、冬が来ちゃう!」とばかりに、街路樹も野の木々も庭木も一斉に秋色の装いに替わり、あっという間に葉を落とす。『落葉樹』とはよく言ったものだ。

 我が家の前庭にはアメリカオークの若木がぽつんと立っている。紅葉が美しいことで知られる北アメリカ原産の落葉樹で、和名は「アカガシワ」。その名のとおり、日本の柏の葉によく似ているが、一枚一枚がとっても大きい。

 葉が色付いてきたなあ……と眺めていたら、あっという間にそこらじゅうが落ち葉だらけになった。毎朝、ぶるりと身震いして葉を落としているんじゃないかと思うくらい、庭はもちろん、玄関から車道へと続くドライブ・ウェイの上まで、赤や黄色に染まった葉っぱだらけ。


 相方は自分のピックアップ・トラックをドライブ・ウェイに停めっぱなしなのだが、荷台が落ち葉で埋め尽くされても気にならないらしい。

「毎朝これだから、掃除してもムダだよ。走り出したら勝手に飛んでいってくれるしね」

「……それ、後続車からすれば、むっちゃ迷惑やん」

「大丈夫、アメリカ人はそんなこと気にしないから」


 生まれ育った文化背景が全く違うと、「一般常識」も「衛生観念」についての感じ方もまるで違うのは当たり前。

 とは言え、以前、目の前を走るピックアップ・トラックの荷台から(なぜだか)トイレットペーパーが落ちて来た時には、キミ、むちゃくちゃキレてたよね。



 暖房のスイッチをONにする日が続くと、瞬く間にハロウィンがやって来る。

 アメリカでは大人も子供もウキウキするホリデー……なのだが、州知事が医療従事者であるバージニア州では、他者との接触リスクが予想されるイベントの自粛を促すテレビCMが頻繁に流れている。そんな状況で、仮装をして「お菓子をくれないとイタズラしちゃうぞ」とご近所の家を訪ね歩く子供達の姿など皆無だ。

 代わりに、教会や公民館などの駐車場で『トランク・オア・トリート(Trunk or treat)』が行われていた。「玄関ドアの代わりに、ハロウィン仕様にした車のトランクを大きく開けて、お菓子を用意して、子供達を迎えよう」という屋外イベントだ。1990年代後半に、教会関係者が「子供の安全」を第一に考えて顔見知りのグループで始めたのが起源だという。

 感染リスクを極力抑えつつ、不自由な生活を強いられている子供達が少しでも屋外で楽しめるように……そんな思いを込めてイベント準備を進めた大人達に、温かな拍手を送りたい。

 


 ハロウィンの夜が明けて、11月1日の早朝。時計の針を1時間逆戻りさせると、アメリカの「夏時間」が終了する。


 そして、いよいよ、アメリカの未来を決める「運命の日」がやって来る……



***



 大統領選挙の投票日は、合衆国憲法によって「4で割り切れる年の11月の第1月曜日の翌日の火曜日」と定めてられている。

 とってもまわりくどいが、要は「4年毎の11月の第1火曜日」のこと。

 2020年は11月3日の火曜日。

 この日、有権者による一般投票と開票が、アメリカ全土で一斉に行われる。選挙当日に投票所に行けない場合は、不在投票者として登録を済ませておけば郵送での投票も可能だ。

 そして、投票締め切りから数時間後には勝者が判明する。


 ……というのが通常の流れなのだが。

 

 今年は新型コロナウイルス感染拡大に歯止めが掛からないこともあって、アメリカ国民を守るための異例な処置として、投票日の45日前から事前投票が行われている。おバカな現大統領が「大量の不正に結び付く」と猛烈に主張する『郵送投票』も然り。


 日本と違って、アメリカには「住民票」が存在しない。なので、選挙で投票をするには、現在の居住区で「有権者」として事前に登録する必要がある。

 有権者が郵便での投票を選んだ場合、「嘘偽りなく、有権者本人の意思で投票します」と書かれた宣誓書への署名が義務付けられている。この署名が「有権者登録」の際に使用した署名の筆跡と照合される。なので、「うっひっひ、隣人の郵送投票用紙を盗んじゃったよ。これで不正に投票するぞー」と目論む人がいたとして、署名照合の時点で「あー、これ、ニセモノですねー」と判明するそうな。日本の「印鑑登録」のようなものか。

 州によっては、投票用紙に「有権者の生年月日や住所、運転免許証番号」といった個人情報の記入が必要になることも。バージニア州はそこまで厳しくないものの、有権者の署名だけでなく、「確かに、ホンモノの有権者が私の目の前で署名しました」と証明する人の署名が必要だ。

「ボクの証人は、もちろん、キミにお願いするよ」

「でも、私の署名の筆跡って、どうやって照合するワケ?」

「州政府が発行するID(身分証明書)の署名を使うんだろうな。キミの場合はバージニア州の運転免許証。署名したよね?」


 ほお、そんな大切な用途があったとは。

 運転免許証の署名、むちゃくちゃ適当に書いたんやけどねえ……


「アメリカの参政権を認められていない外国人のキミでも、今回の選挙に参加できるんだ。はい、ここに署名して!」


 いや、それ、微妙に違うやん、私、一票も投じてへんし。


 思わずツッコミを入れそうになったものの、相方が妙に嬉しそうだったので、言われるがままに署名した。




 さて、今年の選挙の勝者はいつ判明するのか、という質問にズバリお答えしよう。


 「通常より数日から数週間遅れる可能性が大きい」

 

 理由は簡単。郵送による投票の場合、投票日当日の消印があれば有効だから。

 アメリカの郵便事情は、日本と比べて驚くほど悪い。以前、速達で送った書類が1週間過ぎても配達されなかったことがある。誤配や紛失も多く、郵送投票用紙を含む郵便物が遺棄される事件も既に起こっている。

 アメリカで重要書類や貴重品を送る必要に迫られた場合は、UPSやFedExなどの宅配便の利用をおススメする。



 閑話休題。


 州によって規定は様々だが、バージニア州では「郵送による投票用紙は、各地の選挙事務局に11月6日の正午までに到着する必要がある」とのこと。そうなると、必然的に勝者が判明するのはそれ以降になるワケで。

 現大統領が郵送投票を「不正の温床」と主張しているため、わずかの差で勝敗が決した場合、必ず何かしらイチャモンをつけて混乱を招こうとするのは火を見るよりも明らかだ。

 何より、投票日を過ぎてもモヤモヤする日々がしばらく続くのかと思うと、すでに胃が痛い。


 一日も早く、アメリカにとって最上の選択がなされることを祈るばかりだ。



***



 アメリカ大統領選挙には、ある都市伝説がつきまとっている。

 『テカムセの呪い(Tecumseh's Curs)』だ。


 

 テカムセは、アメリカ先住民ショーニー族の戦士で、かつて、アメリカ先住民の諸部族を束ねて合衆国軍に戦いを挑んだ「偉大な戦士」の一人。

 捕虜の拷問や殺害を一切許さなかったと言われ、その高潔な人柄と秀でた指導力、惚れ惚れとするほどの雄弁さ、おまけに優れた容姿の持ち主だったらしい。そんな彼に、アメリカ・インディアンのみならず、白人達までもが魅了され、敬意を払ったという。

 あくまでも「伝え聞くところによれば……」の話だが、カリスマ性の高い人物だったことは確かなようだ。

 「テカムセ」とは、部族の言葉で「Panther Crossing Sky (天空を駆る豹)」を意味する。彼らの言葉には詩的な響きを持つものが多いが、これなどは、勇猛果敢な戦士にピッタリではないだろうか。


 では、気高き豹の如く生きた戦士の生涯をザックリと語ってみよう。


『ショーニー族に生まれたテカムセは、6つの時に父を失いました。ショーニーの土地に侵入し、部族を皆殺しにしようとした白人の戦士に殺されたのです。(1774年 ダンモア戦争)


 次の年、白人同士の戦争が起こりました。白人の国「アメリカ」が、海の向こうの「イングランド」という王国から独立を目論んだのです。イングランドは「キミたち先住民の土地を奪うなんて、とんでもない!」と約束してくれたので、ほとんどの部族の戦士がイングランド側につき、アメリカの戦士を相手に戦いました。(1775年、アメリカ独立戦争)


 13歳になると、テカムセも部族の戦士として参戦しました。けれど、アメリカはとても強く、とうとうイングランドの戦士を追い出してしまいました。この戦いで、テカムセは兄を失いました。


 戦いが終わると、白人達は部族の土地にぞくぞくと押し寄せ、「ここは我々が買った土地だから、お前達は出ていけ!」と命令しました。アメリカ・インディアン達にとっては、世界の創造主である「大いなる神秘」のもと、人間も動物も自然も全て平等で、誰か一人が何かを独り占めにするなど有り得ません。おまけに、お互いを理解し合うための話し合いもせぬまま一方的に命令されたので、とても驚きました。


 白人達は、いつまでも「白人が買った土地」を去ろうとしないアメリカ・インディアン達を殺し始めました。わけが分からぬまま、部族の戦士達は再び白人達を相手に戦うしかありません。こうして、多くのアメリカ・インディアン達が殺され、生き残った者も、食料になるような草木も動物もいない枯れた土地に追いやられました。


 時は流れ、ショーニー族の尊敬を集める偉大な戦士となったテカムセは、アメリカ・インディアン部族連合の調停者/軍事指導者として、白人達に戦いを挑みました。テカムセ達は白人達の防衛線をくぐり抜けて彼らの宿営地に侵入しました。けれども、激しい抵抗に遭い、撤退せざるを得ませんでした。(1811年、ティピカヌーの戦い)


 次の年、再び、白人同士が戦争を始めました。アメリカ・インディアン達の土地を奪うのが目的でした。(1812年、米英戦争)

 テカムセは「イングランド」と同盟を結び、2000名を超える戦士と共に「アメリカ」の陣地(=現デトロイト)を包囲し、降伏させました。けれど、「イングランド」の司令官が殺されると、白人達はテカムセ達への協力を惜しむようになりました。


 その次の年、アメリカ・インディアン部族連合の戦士達は、戦いの中でテカムセを失いました。「アメリカ」の戦士ウィリアム・ハリソン(William Harrison)に殺されたのです。(1813年、テムズの戦い)


 ショーニー族の偉大な戦士テカムセは、どのような最期を迎えたのか。彼の亡骸は、どこで眠っているのか……それを知る人は誰一人いません。

 ただ一つ確かなことは、彼の死後、アメリカ・インディアン部族が一致団結して白人に戦いを挑むことは二度とありませんでした。


 そして、「涙の旅路」が始まるのです……』



 「へ? 『テカムセの呪い』とか言いながら、肝心の呪いについては一切触れてへんやん!」などというツッコミはご容赦を。猛々しい武人もののふが大好きなヤマトナデシコとしては、ショーニー族の戦士にも敬意を払いたいのだよ。



 では、いよいよ、都市伝説化した「呪い」について述べてみよう。

 

『テカムセは、死の間際に「お前達の暦でに選ばれるアメリカの指導者は、その任期半ばにして死ぬことになるだろう」という呪詛の言葉を放ったという』

 

 「その20って数字はどこから来たの?」と思った方も多いだろう。私もそこはツッコミどころだと思ったが、都市伝説なのでスルーしよう。


 「呪い」はテカムセ本人の言葉だ、という説以外に、彼の死を悲しんだ母親が白人を恨んで呪いをかけた、という説もある。テカムセにはテンスクワタワ(Tenskwatawa)という名の弟がいて、彼は部族の予言者で、兄を殺した白人に「死の呪い」をかけたのだ、とも言われている。

 

 では、呪いの検証といこう。


 テカムセを殺害した「アメリカ」の戦士ウィリアム・ハリソン。実は彼、後に第9代アメリカ合衆国大統領に選出されているのだが、就任後、わずか1ヶ月で病死している。

 ハリソンが大統領に選ばれたのは1840年。「テカムセの呪い」の言葉にある「20の倍数の年」だ。

 不思議なことに、その後、120年(=20の倍の年)に渡って、20年毎に選出された大統領が在職中に亡くなっているのだ。

 

 1840年当選 ウィリアム・ハリソン(肺炎で死去)

 1860年当選 エイブラハム・リンカーン(暗殺)

 1880年当選 ジェームズ・ガーフィールド(暗殺)

 1900年当選 ウィリアム・マッキンリー(暗殺)

 1920年当選 ウォレン・ハーディング(心臓発作で死去)

 1940年当選 フランクリン・ルーズベルト(脳溢血で死去)

 1960年当選 ジョン・F・ケネディ(暗殺)


 ちなみに、「20の倍の年」に選出されたにもかかわらず、ちゃっかりと生き延びた大統領もいる。


 1980年当選 ロナルド・レーガン(暗殺未遂。任期満了)

 2000年当選 ジョージ・W・ブッシュ(数度の事故に遭遇するも、任期満了)


 呪いの効力にも、有効期限があるのかもしれない。


 

 さて、今年は西暦2020年。そう、「20の倍の年」なのだ!


 まあ、呪い云々以前に、今年の大統領候補は2人とも高齢なので、4年という任期に耐えられるかどうか、という不安があるのだけれど。

 果たして、「テカムセの呪い」は実現するのか。それとも……


 都市伝説だけに、『信じるか信じないかはあなた次第です』という言葉で締めくくっておこう。



***



 その生涯を賭けて、アメリカ先住民族のために戦い続けたイメージの強いテカムセだが、実は、彼にまつわるロマンスも伝えられている。


 せっかくなので、「ロマンチックな恋物語」風に語ってみよう。


『ショーニー族の戦士テカムセが住むチャラカサ(=現オハイオ州チリコシー)の集落から少し離れた場所に、ジェームズ・ギャロウェイという名の白人が家族と共にやって来て、そこに立派な丸太小屋を建てて暮らし始めました。ジェームズは「アメリカ」と「イングランド」の戦いに参戦した戦士でしたが、腕の良い猟師でもあったので、ショーニー族の狩り場でも、時折、彼の姿を見かけることがありました。


 テカムセは集落の「調停者チーフ」だったので、新しい隣人を歓迎しようとギャロウェイ一家を訪問しました。そして、平和と友情の証であるパイプ・トマホーク(=柄が喫煙用のパイプになった手斧)をジェームズに贈りました。ジェームズは数百冊もの蔵書を抱える知的な紳士で、ショーニー族の礼儀正しく凛々しい若者をとても好ましく思いました。それが、彼らの友情の始まりでした。


 ジェームズにはレベッカという娘がいました。幼い彼女はテカムセに良く懐き、テカムセも我が子と同じ年頃の少女に愛情を注ぎました。背の高い戦士が一家の丸太小屋を訪れる度に、レベッカは父親の書斎から聖書やシェークスピア、ギリシャ古典などの本を持ち出しては読み聞かせ、テカムセも熱心に少女の声に聞き入っていました。そうするうちに、テカムセは白人の言葉を覚え、レベッカはテカムセに白人の文字を教え始めました。2人は色々なことについて語り合い、その時間をとても大切に思うようになりました。


 レベッカの成長と共に、彼らの友情は、男女の愛情へと形を変えていきました。

 

 そして、2人が出逢ってから10年後のある日、テカムセは決心しました。

 レベッカに結婚を申し込もう、と。

 

 

 テカムセの告白に、一瞬、驚いたように目を見開いたレベッカは、恥じらうように頬を染めてうなづくと、静かに答えました。

「愛しいテカムセ、あなたの求婚を喜んで受け入れましょう」


 レベッカの言葉に、テカムセは天にも昇る心地でした。けれど……


「あなたがアメリカ・インディアンとしての生き方を捨てて、私の信じるものと私達の生き方を受け入れて、私と一緒にこの町で暮らすと誓ってくれるなら」

 

 愛する女性の言葉に、テカムセは打ちのめされました。

 ショーニー族の戦士の誇りを打ち捨てることなど、彼には出来ません。


「愛しいレベッカ、今後、僕らが白人の戦士を捕虜にした時には、彼らを丁重に扱うと誓おう」


 こうして、テカムセは愛する女性に別れを告げました』

 

 

 テカムセとレベッカ・ギャロウェイの触れ合いは、史実として確証されている。

 彼が初めてギャロウェイ一家を訪問した時、レベッカはたった6歳。幼い少女は、何の偏見もなく、アメリカ先住民の戦士を「新しいお友達」として受け入れたのだろう。彼女がテカムセに英語の読み書きを教えた丸太小屋は、現在は史跡建造物として保存・公開されている。興味がある方は「The Galloway log house」で画像検索して頂きたい。



 ギャロウェイ一家と出逢った頃、テカムセには既に2人の妻と2人の息子がいた。アメリカ先住民の諸部族を導くという責任もあった……そのことを考慮しても、23歳も年の差があった少女とテカムセの間に芽生えたのは、本当の親子のような愛情だったと思うのが自然な流れだと思う。

 アメリカ先住民とイギリス植民者の間に芽生えた恋物語ロマンスとしては『ポカホンタス』が有名だが、あれも史実からは程遠い。

 「異民族/異人種の男女が出逢って、激しい恋に落ちる」のは、ロマンスの典型ではある。が、現実は「ロマンチックな空想世界」とは程遠い。二人が乗り越えなければならない試練や障害は、山ほどある。国や人種や文化背景を超えての恋愛は、昔も今も、とっても大変なのだ。



 アメリカの現状もとっても大変だ。

 現在の混乱した状況を打破し、バラバラになってしまったアメリカ国民の心をまとめ上げる「偉大な戦士」は現れるのか……?

 

 

 最後に、テカムセの言葉と共に、今後のアメリカの行く末を祈るとしよう。

 


『When you arise in the morning,

 give thanks for the food and for the joy of living.

 If you see no reason for giving thanks,

 the fault lies only in yourself.


(朝、目が覚めたら、

 食べ物の恵みと生きる喜びに感謝しなさい。

 感謝する理由が見当たらないと言うなら、

 お前自身の中に問題があるのだよ)』


 ――ショーニー族のテカムセ(1768-1813)


(2020年11月4日 公開)

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