15-6.なんだそれ

 本物なの、これ。

 さすがに怯んで動きが止まる。


「まったく……」

 髪を掻きむしりながらパンプスを拾い上げ、ヤツが私の目の前に立った。

「ちゃんとおまえのサイズに合わせて買ったんだ。大事にしろよ」

 言いながらその場にしゃがんで靴を履かせてくれる。

「っとに、おまえは相変わらずだなあ」


「あんたに言われたくないんだけど」

 指輪を握った手を突き出して私は顔をしかめる。

「よくわからないけど、高い物なら早くしまって。こわいから」

「おまえにやるって言ったじゃん」

「いらないし。意味わからないし」


 じとっと下から私を見上げ、ヤツは大げさにため息をついて見せる。

 それから立ち上がって私の手を取り指輪をつまみ上げた。手のひらを返してもう一度指輪を通す。

「結婚しようって言ってるの」

 なんだそれ。なんだそれ。なんだそれ。

 頭の中がそればかりでいっぱいになって、やがてぶちんと何かが切れた。


「なんだよ、それ」

 鞄でヤツの体を何度も叩く。

「やめろって、サキ」

「あんたは、いつも、そうやってっ!」

 何度も何度も殴る。

「ばかやろう。プロポーズしてなんで殴られなきゃならないんだよ」


 こっちのセリフだ、馬鹿野郎! こいつはてんでなってない。私たちはとっくに終わってる。

 そう思ってなんとか心の整理をつけて、時間をかけて、ようやく忘れたっていうのに。何を今更。


「意味がわからない! とっくの昔に別れたのに、なんで……」

「俺は別れるなんて一言も言ってない」

 私の手を押えて憮然とヤツは言う。

「別れたつもりなんか毛頭ない」

「……は?」

 こいつ何言ってんの? わけがわからなくて涙が出てくる。


 そんな自分勝手な理屈が通ると思うな。馬鹿にしてる。

 大体、順序が違うだろ! おかしいでしょ、頭悪いの? 聞きたいのはそんなことじゃない。そんなことじゃないのに。


「……ッ」

 私はヤツのすねを蹴り飛ばして再び鞄を振り上げる。

「いい加減にしろ」

 ヤツは耐えかねたように私の体を肩に担ぎあげた。

「下ろせ、馬鹿っ」

「バカはどっちだ。ちっと頭冷やせ」


 そのまましらーっと通り沿いにあるラブホテルに入っていく。

「ちょっと、何考えてんのさっ」

「おまえが騒ぐんだからしょうがないだろ」

「やめろ、馬鹿。ヘンタイ」

「はいはい。ヘンタイですよ」

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