第350話:ボクのこれまで
「昔──あるところに一人の少年が居ました。年齢上は成人していても、これといって取り柄のない、身も心も幼い人でした」
それはもちろん、ボクのことだ。昔話と言いわけをすることで、親方はリマデス卿のことをそうとは示さずにいた。
どうして親方がそこのところで、卿を気遣う必要があるのか。それは知らないけれど、こんな方法もあるぞと教えてくれただけなのかもしれない。
「少年は生まれた家に馴染むことが出来ませんでした。やがて耐えきれず家を飛び出すと、自分で仲間を探してそこに潜り込みました。
それもどうにか格好になってきたころ、一人の女性と出会います。窮地にあったところを仲間に助けてもらい、少年はその女性と同じ時間を過ごすようになりました」
親方が「ふん?」と相槌のような、疑問を示したような声を漏らす。
無意識に伏せ気味になっていた目を向けると、素知らぬ顔で肉を齧って視線は合わなかった。
「美しくて優しい女性に少年が心を奪われかけたころ、その女性はたくさんの嘘を吐いていたことが分かりました。
彼女はある男の復讐の道具として育てられ、その行為に手を貸し続けていました。少年は女性の優しい嘘によって遠ざけられましたが、性懲りもなくあとを追い続けます」
肉と火としか視界にない親方に、表情はなかった。広い範囲の変色した、酷い傷跡の残る顔。歳相応に、皺も刻まれ始めている。
凹凸の作り出す影が揺れる中でも、瞳はほとんど動かなかった。
ボクの話を聞いて、何か真剣に考えてくれているのだろうなと思えた。
「女性は男の復讐の仕上げに利用されました。危うく死ぬところでしたが、男の気紛れで救われました。
迎えに来ていた少年は、転がり込んだ幸運で女性と心を通じ合わせました。しかし女性の心の奥底は、男に縛られたままでした。
その鎖を解くために、少年はその男に会いに行きました。けれどそこでも少年は、何をすることも出来ずにただ傍観するだけでした。結果として女性は、その男の死によって解放されました」
小さく。「ちっ」と舌打ちが聞こえた。干し肉を食べていてたまたま音がしただけかと思ったけれど、そうではないらしい。
何か気に触ることを言っただろうか。まだこの辺りはあらすじを言っているだけで、ボクの気持ちみたいなものは含んでいないのだけれど。
「これが本当に最後の関門だと、少年は女性を自分の親に会わせました。しかしそこで少年の身に危険が迫り、女性の行動によってそれが左右されます。
少年の親は危険を回避するために、女性を売ろうとしました。少年はそれが許せず、だからといって自分でどうすることも出来ません。
そこへ少年の仲間が、助けに来てくれました。しかしその仲間も女性の存在に異論を唱えて、死を勧めました」
親方の目が、フラウのほうへ走った。でもすぐに戻ってきて、じっとボクの顔を見る。
それでボクが黙ってしまうと、「で?」と先を促された。
「あ、はい。ええと──女性は隠し持っていた毒を飲んで、死んでしまいました。
少年は親も仲間も、誰も信用してはいけなかったのだと後悔してその場を離れました。
それから今も、少年は彷徨い続けています」
もうかなり熱くなった果実酒を、口に運んだ。立ち昇る香りからは酒の気が薄くなって、甘いものだった。
これでこの話が終わりなのは、言わなくても分かるだろうと思う。でも親方は、すぐに何か言おうとはしなかった。なるほどとも、へえとも。
「……少年は、どうして親に会わせたんだろうな。気に入らないなら、放っときゃいいものを」
親方もコニーさんの分を勝手に飲んで、飲み干してしまってから聞いた。
「仲間に言われました。勝手にするなら、勝手にすると宣言しなければと。それを言う覚悟が、女性のおかげでやっと出来たんです」
「利用してた男は? もう死にかけだったんだろう。どうしてどうも出来なかった」
ここまでの話は、それでボクが思うことを言いたかったから、その前提として話した。
それを知ってか知らずか、親方は結論を言わせてくれない。
聞いて何か意見を言うつもりなのか。それならそれでも構わない。その中に、ボクが聞きたいことも含まれているかもしれない。
「どうしてその男がそうしていたのか、少年が納得してしまったからです。優しすぎて狂ってしまったのだと、共感してしまったからです」
「ふん……」
また一声だけを漏らして、親方は果実酒をカップに継ぎ足した。今度は温めずに、そのままを飲む。
なみなみ注いだ一杯をひと息に飲んで「ぷはあっ」と、げっぷ混じりの息を吐く。
奥でも飲んでいただろうに、酔った感じは全くしなかった。
「俺ももう一つ、話をしてやろう。いや今度は昔話じゃない。酒を飲みながら話すのに丁度いい、噂話ってやつだ」
「はあ……」
親方と楽しく酒盛りをしたいわけではないのだけれど。でもボクが話したいようには話させてもらえない。
まあ何か焦る用事があるでもなし、親方の言いたいことを全部聞いてからでもいいか。
「これも、ちょっと前の話ではあるがな。王宮に集まる貴族の中に居た、美人の話だ。名前は、エリアシアス男爵夫人という」
付き合い程度にでも聞こうと思っていたボクの耳に、無視出来ない名前が聞こえた。
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