第346話:額冠の対価
たった今。これから先。ボクはどうすればいいのか、想像もつかなかった。団長が一緒に悲しんでくれていたら、それも相談出来ただろうに。
ボクの口から出るのは、「フラウ」と彼女の名を繰り返すだけだった。もしかしたらそうすることで、現状を考えずにいようとしていたのかもしれない。
団長は何も言わず、ただそこに立っていた。そんな時間がいくらかあって、閉ざされていたこの部屋の扉が再び開く。
ゆったりとした上下一続きの服を着た女性。ボクたちのことは目に入っているはずだけれど、構うことなくつかつかと近寄ってくる。
細い靴がボクの目の前で止まると、ようやくそこでその人は口を利いた。
「ご傷心のところ申しわけありません」
「傷は大丈夫かにゃ」
聞き覚えのある声で、顔を上げてみた。首から布で右手を吊った、痛々しい姿のその人はセクサさんだ。
「ええ、問題ありません。お気遣いいただきまして」
二人は互いに頭を下げて、あの激戦に生き残ったことを讃え合う。
うん? セクサさんが戦場に居たのか。ボクは見ていないけれども。
聞こえたからにはそれくらいの疑問も抱くけれど、確認しようなんて気力はなかった。
「その額冠は、あなたがたが持っていても意味がないでしょう。譲っていただきたいのです。対価をお支払いしても構いません」
「人を替えれば、素直に渡すとでも思ったのかにゃ」
にゃにゃんと遠慮なく笑う団長に、セクサさんは遠慮がちな笑みを返す。それはきっと、ボクの心情を慮ったのだろう。
「でもいいにゃ。美人の頼みには弱いのにゃ」
「ありがとうございます。対価はいかほどに?」
あれだけ勿体をつけたのに、団長はあっさり承諾した。確かに可愛いものや美人に弱いのは知っているけれど、多く因縁の生まれた子爵に対して融通を効かせるほどではないはずなのに。
「代金は大金貨を百枚にゃ」
「──大金貨を、百枚」
すました顔のセクサさんにも、一瞬の迷いがあった。代理で交渉に来たのだから、予算くらいは聞いているだろう。それを大幅に超えたに違いない。
カテワルトに住む一般市民が、ひと月を贅沢に暮らしても金貨一枚で十分にお釣りが出る。
大金貨は、その金貨の十倍の価値がある。
国と国の取り引きなどでは使われることも多いけれど、普通の人は一生の間にその目で見ることさえないのも珍しい話ではない。
そんな物を、百枚。
それは要求されれば、繰り返して言ってみたくもなるだろう。
「偽物かもしれない物に、そんな価値をお付けになるとは」
「気に入らないなら、壊すだけにゃ」
「いえ、そこに疑問を挟むつもりはありません。そこまで仰るのであれば、本当に本物なのかと私が勝手に考えただけです」
貴重品の贋作を作ったり売ったりすることを商売にする人も、世の中には居る。そういった物を見分ける一つの材料として、不自然に安いということがある。
どれだけ精巧に作ったとしても、それを売る人は偽物だと知っているのだから、正規の価値をつけにくいのだろう。
安くして、とっとと売ってしまいたいのかもしれないが。
「あたしはこれをリマっちのところで見つけて、持ってきただけにゃ。本物か偽物かなんて、知らないにゃ」
「分かりました、その金額で買い取らせていただきます。ただその額となると現金はありませんので、等価の宝石でよろしいですか?」
それはまあ、そうだろう。
大金貨を百枚なんて、そもそもセクサさんの細腕で持ち歩けるような重さでもない。
相変わらず床にへたり込んだままのボクは構われず、二人は近くのテーブルを挟んで向き合った。
その天板に、ごろごろと無造作な音を立てさせて宝石が転がされたらしい。
金貨にしても銀貨にしても、その下の貨幣があって、基本的に価値は一定している。
でも宝石は大きさから形からばらばらで、大金貨と等価と言ってもぴったり同じとはならない。
それは売り手と買い手と、どちらかが妥協することになる。
「目減りする分をおまけにもらって、これくらいかにゃ」
「さすが目利きですね」
団長が拾い上げたのに異論は唱えず、セクサさんは宝石をしまって袋を閉じた。交渉は成立したらしい。
「これでお互いに後腐れはなく。よろしいですね?」
「城を壊した件はいいのかにゃ?」
「あれは、この領地の備えの程度を知れた勉強代としておくそうです。おかげで隅から隅までを調査しなければならなくなりました」
実行したのは団長でも、その準備をしていたのはアレクサンド夫人だ。
それはユーニア子爵でなくサマム伯爵の正規の依頼に差し挟んだもので、子爵が文句を言う筋合いではない。
「それは違うにゃ」
「と、仰いますと」
「この宝石もそうだけどにゃ。おまいたちが傷付けた、カテワルトのキトルたちへの慰謝料だにゃ」
すぐには反応を見せず、セクサさんは自然にまばたきを三度ほどする間、黙っていた。
何を考えていたのか、ため息を短く吐いてから言葉を返す。
「なるほど。閣下には、そのようにお伝えしておきましょう。他に何かありますか?」
「カテワルトには、あたしたちが居るにゃ。誰のものでも構わないけど、そういうことは街の外でやるにゃ」
やはり団長は、カテワルトが好きなのだ。そこに居るキトルも、それ以外の種族の住民たちも。
でもその中にフラウは入っていなくて、それならばボクもそうではない。
美人の二人は互いを視線で牽制し合っていて、こちらに注意を向けてはいなかった。
それでもボクの拙い足運び、身の捌きでは丸分かりだったかもしれない。
ボクはフラウの亡骸を背負って、静かにその部屋と建物を出た。
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